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学校と樹

あくまでも個人の感想ではあるが

学校の敷地内で

大木に育った木を

伐採するのは

学校の歴史を

ざっくりと斬り捨てるのと

等しい。

学校の敷地内で

最初から大木だったわけではなく

学校と一緒に

育ってきているのである。

昨年から今年になって

本校では

10本以上の大木が

伐採されている。

理由を尋ねると

『木の管理にお金がかかる』から

木の下に停めている自動車に

枝が落ちてきて

傷でもつけたら 訴訟になる。

・・・・・はあ。

なんと

貧しい意見であろう。と私は考える。

確かに、一本の木の

管理にかかるお金は年間100万単位で安くはない。

しかし 木が成長することは

最初から分かっていることであろう。

では

そこで 節約したお金は

何に使われているのか。

校舎の建て替え? no!

備品の充実? no!

あ、コロナ対策のための薬品や何かを買ったの? no!

職員の給与? no!

体育館の整備? no!

校舎の床を張り替えた?no!

あ、ITC授業のためのパソコンなんかを買うんじゃないの? NO!

もしかして、全クラスの照明をLEDにしたんじゃないの? no!

 結局は 何のための節約か分からない。

ただ 木の管理に お金を使いたくない。

なんと

心の貧しいことか。

それとも

またいつものように わたしが世間知らずなのか?

世間では

学校から大木を 除く運動が流行りなのか?

学校に大木はいらないのか?


そのうえ

わたしが 体中が痛い気持ちになるのは

伐採の仕方。

人間で言えば、両手両足を

胴から切り取る感じだ。

ひどい時には 首もないような木がある。

そんな斬り方を見るたび

人間が嫌になってしまう。

その斬り方の理由は

これ以上大きくしないためだと

聞いたことがあるが

そもそも 首がない胴だけなんだから

それ以上生きてはいけないだろう。


私が小さい頃

我が家に来ていた植木屋さんは

「適度に(こまめに)管理してあげたら

必要以上に大きくならないように

管理ができる」と

言っていた。

確かに頻繁に植木屋さんがきていたように思える。

別に特別裕福なうちではなかった。

地方の田舎のうちである。


大木となる木の管理もできないくらい

貧しい法人ならば

長くは経営できないなと感ぜざるを得ない。

ああ

そういえば

6月の時点で すでに2人の職員が

休職。

心のゆとりのなさが

私達末端の職員をも病ませているのかもしれない。

いつか

また 新聞を飾りそうな予感しかしない。

至極残念。










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