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過剰評価される独自性:その3 - 万人向けではない独自性のあるゲーム(Originality is Overrated - Part Three - Original Games that Aren't for Everyone: Millennium Blades, Mystic Vale, and Vast)

※前回の記事はこちら。

本記事は、Anthony Faber氏が2016年11月1日に投稿した「Originality is Overrated - Part Three - Original Games that Aren't for Everyone: Millennium Blades, Mystic Vale, and Vast」の翻訳である。

独自性に関する最後の記事となる。今回は、独自性があるけど、あまり面白くないゲームを論じることで、今までの話の裏面を語るものとなっている。今までの記事の中で、最も読みやすいものではないかと思われる。読者数は少ないが、せっかくなので最後まで翻訳している。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。また、ヘッダー画像は、本記事で主として取り上げられている「ミレニアムブレード」、「ミスティック・ベール」、「Vast: The Crystal Caverns」の箱絵を引用させていただいた(左から、David TeheroNathan Morse
Patrick Leder)。

このシリーズの最後は、私にとって最も書くことが難しいことが示された。私は、ゲームを批判することが楽しいとは思わない。多くの人たちが愛するゲームをゲームを批判するよりも、デザインの良いところをベタ褒めするほうがめっぽう好きだ。しかし、派生的なデザインやサブジャンルを褒めるだけでは、私の主張が正当性をもつとは思えない。私は、実際に、ゲームにおける独自性が過剰評価されてることを順序立てて述べなければならないわけだ。

ここで、私が立てているいくつかの重要な前提を示そう。

1) 独自性について、私は、完全に100%新しいゲームテーマやメカニクスを意味している。古臭い定評のあるメカニクスに工夫を加えたことを意味するものではない。それは、私が称賛した派生的なデザインの中にある。

2) 独自性や革新性は、当然、ボードゲーム業界にとって非常に重要なことだ。私が過大評価されていると言うのは、上記で定義した独自性のある特定のゲームに由来する楽しさに関連している。

3) 私は、意図的に、BGGの多くの人たちが聞いたことがあって、非常に評判の高い新作ゲームを挙げている。無名のゲームでは、私が話していることが理解される可能性が低まるだけでなく、議論が簡単になりすぎてしまう。例えば、誰もが、無名で、"独自性のある"大失敗した100個のKickstarterゲームを検討することができる。

したがって、その代わりに、2016年で最も高く評価された独自性のあるデザインの中から選ぶことにこだわった。こんなふうに賞賛された全ての独自性のあるデザインが、(※デベロップの過程で)おそらく何十回もの大失敗を重ねているだろうということを心に留めておかないといけない。

そのほかに非常に重大な注意点がある。私は、以下にあげるゲームが客観的に"悪い"と言いたいわけではない。ほとんど全てのゲームについてそういうことを言うには、あまりにも自分の好みが強く関係しすぎてしまう。もし、以下のゲームの1つが好きだったり、全部が好きだったりしても、それはそれでいいわけだ。私の主張は、真に独自性のあるゲームが、派生的なデザインよりも乗り越えるべき遥かに大きい課題があり、それゆえに、約束を果たせないために、プレイヤーを失望させてしまうことが多くなるということだ。

これ以上の留保をつけても飽きられてしまうだけだ。それに、私がどんなことを言おうと、私がこれらのゲームについてどれほど誤っているかを教えてくれる野郎どもが出てくる運命だから、すぐに検討に入ったほうがいいみたいだね。

「ミレニアムブレード」:独創的なテーマとメカニクスは万人受けしない

クレジット: David Tehero

みんながこのゲームを聞いたことがないという場合に備えて言っておくと、「ミレニアムブレード」はびっくりするような前提がある。それは、トレーディングカードゲームのプレイヤーやコレクターの数ヶ月間の生活に係る体験を1つにして、2時間のボードゲームで再現するというものだ。

このゲームには2つのフェイズがある。購入し、交換し、収集するフェイズと、各プレイヤーが収集したカードを使って、実際のカードゲームで他のプレイヤーと戦うというトーナメントフェイズがある。各フェイズは3回行われる。プレイヤーは固有能力も持っており、ゲームの一方のフェイズ又は双方のフェーズにおいて能力を増強する。トーナメントにおける成功は、ドラフトや交換を通して得たカードコンボの構築や、自分の対戦相手がプレイするカードに関連した適切な種類のカードを所有しているかによって大きく左右される。言い換えれば、このゲームをメタ的に考えて適切なカードを所有することは、トレーディングカードゲームと同様のメタ的な必要性を模倣している。

こういったユニークなテーマがあると、すぐさまハードルに直面することになる。トレーディングカードゲームの体験をシミュレートするゲームをプレイすることに全く興味をもたない人もいるだろうし、実際に、テーマのおかげで完全に興味を失ってしまう人もいるだろう。もちろん、このテーマが大好きな人もいるだろう。驚くことに、独創的なテーマは、効果的な面と逆効果な面を併せ持ってしまう。

ユニークなテーマは、多くの人々が探し求めているものではないようなユニークなプレイ体験も生み出すかもしれない。「ミレニアムブレード」での具体例としては、購入と交換は非常に限られた時間の中で行われる。この要素は、プレイヤーが入手できる何百枚のカードを検証し、その全てについて計算し尽くそうとして、ゲームが終わりなく続いてしまうことを防ぐために必要不可欠である。しかし、実際のトレーディングカードゲームのように、この要素の結果として、カードプールを把握しているプレイヤーに優位性を与えてしまう。カードプールの把握なんて、途方もない時間がかかる。何も知らないでゲームに参加すると、完全にカードを知り尽くして難なく相手を壊滅させるコンボを繰り出す人たちに、打ちのめされるだけだ。

重ねてになるが、このことは現実のトレーディングカードゲームを反映しており、実際にこのゲームにテーマ性を付与しているが、膨大なカードプールを覚えたくないという人たちにとっては楽しめなくなってしまう。たとえ、誰も全てのカードを知らないとしても、場に覚えるべき大量の情報があることで、完全情報を好む人たちや、少なくとも、ゲームの意思決定をする際に適切な量の情報を求める人たちをイラつかせてしまう可能性がある。たとえ、全プレイヤーが同じ立場であったとしても、時として、勝利したプレイヤーは、対戦相手が最も技能のあるプレイヤーだったというよりも、対戦相手が選択したデックをたまたま無力化するデックを組んだだけだったように感じられることがある。そして、こういったことが大嫌いな人もいる。

はっきり言って、「ミレニアムブレード」は非凡なゲームデザインだと思う。このゲームは、万人向けではないし、大多数の人に向けられたものですらない。このゲームの対象となるプレイヤーにはめちゃくちゃ刺さるけれども、プレイして大嫌いになる人、それどころかそもそも興味のない人もたくさんいる。そして、この現象は、全てゲームの独自性が原因となっている。

これの何が問題なんだろうか。実のところ、何ら問題ではない。単純な話で、レビュアーが、どれほど素晴らしい独自性がゲームにあると絶賛しているのをみていて、素晴らしい独自性というのは、ほとんどの人たちにとってプレイするのが大好きなゲームであるとは必ずしも意味しないということを思い起こすことが重要である。

「ミスティック・ベール」:独自性のあるメカニクスは、必ずしも斬新なプレイ体験をもたらさない。

クレジット: Joakim Schön

今年の新作に全く目を向けなかった人たちのために説明すると、「ミスティック・ベール」は、デックビルドゲームに全く新しい工夫を加えたゲームだ。単純にユニークなカードデックを構築する代わりに、プレイヤーは本当にユニークなカードを作成し、自分のデックのカードに透明なプラスチックのスリーブを用いて最大3つの異なる能力を付与する。カードを購入する代わりに、プラスチックのスリーブを通じて能力を購入し、どの能力を備えさせるのかを選択する。

このゲームには、プッシュ・ユア・ラックの要素もある。プレイしたカードにあまりに多くの堕落シンボルがあると、"堕落(spoil)"してしまい、手番を失ってしまうというメカニクスだ。それまでは、プレイヤーはカードを引き続けることができる。ゲーム終了時に得る得点を伴うカード、各手番に得点をもたらすカード、得点を含めた特殊能力をもたらすシンボルが組み合わされたカードを用いて、勝利点を得ることになる。このゲームにおけるカードのアートは、たまたま美麗なものとなっている。

間違いなくカードドラフトは完全にユニークなメカニクスとなっている、このとりたててユニークなゲームが直面する課題は、メカニクスが全く新しいことは否定しようもないものの、このゲームで生み出されるゲームプレイの体験は必ずしも新しくないということだ。

バースト(busting)や堕落といったメカニズムは、デックビルドゲームにおいて新しい工夫だけれども、カードの作成(the card crafting)それ自体は、旧来のデックビルドゲームと戦略的に異なるところはない。一旦、カードにスリーブをスライドさせて入れる素晴らしい手触りの体験を最初にして、真に強力なカードを構築して誇らしい気持ちが高まってしまうと、ゲーム中の時間が経つにつれて、カードの作成は通常のデックビルドゲームと劇的に異なる意思決定の枠組み(set)をもたらすわけではないことに気づき始める。もし、能力が合わさってコンボを決めると、その後、当然、1枚のカードに収めることとなる。そうでないのであれば、1枚のカードに収めるか複数のカードに収めるかはあまり重要なことではなくなる。

これが当てはまらない具体的な例を挙げて異論を唱える人もいるかもしれないが、実際には次のような有様だ。このゲームをレビューした全てのレビュアーは、このゲームには拡張が切望されると言っていた。そして、このゲームが小売店で発売されてから2か月が経った頃に拡張が丁度販売されると、そろそろ発売される頃かなという反応を示す人もいた。もし、カード制作が、通常のデックビルドゲームにおいて必要とされている意思決定とは別に、多くの興味深い意思決定をもたらすのであれば、レビュアーの反応は異なるものになったと思うよ。前回(※翻訳はここ)指摘したように、純粋なデックビルドゲームは、一度カードプールを把握してしまうと、そのゲームを新鮮に保つためのメカニズム的な要素が他に多くないので、比較的早い時期に拡張が必要になると感じられることが多い。

そして、これこそが、少ないカードプールしかない典型的なデックビルドゲームと同じように、このゲームで感じられてしまったことだ。それに、ひどいものではないとはいえ、何人かのレビュアーが絶賛したような大きな期待を満たすようなものでもない。

「Vast: The Crystal Caverns」:独自性のあるデザインは、プレイするために高いハードル(high barriers to entry, ※高い参入障壁)を作り出すが、複雑さの割合に比して大した深みを生み出さない。

クレジット: Patrick Leder

ここで議論した全てのゲームの中で、「Vast: The Crystal Caverns」は、最も壮大な野心を抱いたゲームである。このゲームは、5つの全く異なる非対称の役割とルール一式が備えられたダンジョン探索を作り出している。洞窟地帯から逃れようとするドラゴン、ドラゴンを殺そうとする騎士、騎士を殺そうとするゴブリン、全プレイヤーから財宝を盗もうとする盗賊、そして最後は、洞窟を崩壊させてプレイヤー全員を殺すまで、全プレイヤーを妨害する洞窟地帯それ自体だ。

このデザインについて聞いたことがないというのであれば、このゲームは非対称能力が備わっているいかなるゲームとは違うということを強調することが重要だ。この5つの役割とルール一式は、文字どおり、共通するところが一切ない(これらがどのような相互作用をもつかということを説明する部分を除いて)。これは、5つの異なるゲームからルールを持ってきたのと同じようなものだ。1つの役割がどう機能するかが分かっても、その他の役割がどう機能し、全体のゲームがどう動くかについては、文字どおり何もわからないままだ。

すぐに、この要素が、プレイするための大きなハードルを生み出していることに気づく。プレイヤーは、自分が何をしているのかを本当に知るためには5つのルールを覚えなければならないし、インストするのがとても難しいゲームだ。より実用的な解決策というと、各プレイヤーに自分の役割のルールだけ覚えさせることだが、こうした時であっても、プレイヤーの意思決定は、他のプレイヤーの行動をどう考えたかによって左右されるし、他のプレイヤーのルールを知らないままでそんなことを把握することはできないので、おそらく多くの分析麻痺とダウンタイムが生ずることになるだろう。さらに、異なる役割が相互に影響する場合には、異なるルールの中でこれがどう機能するかについて詳細に話し合わなければならない。

ダウンタイムのほかに、このゲームは別の課題に直面することになる。それは、ゲームバランスだ。このゲームに5つの異なるルール一式の間で相互作用があるのならば、このゲームのバランスが取れてるってどうやって確認するのだろうか? このゲームのバランスを取ることは、ほとんどのゲームよりもはるかに困難であることは明らかだ。

このゲームは、洞窟を利用してこの問題の大部分を解決している。洞窟役のプレイヤーは、マップに壁を作ったり、他のプレイヤーが行きたい場所から離れた場所に移動させたり、その他のキャラクターの経験値やアップグレードを取り去ったりするような数多くの"ぶっつぶしてやる"能力が備わっている。

ここでいくつかの問題が生ずる。このゲームは、短くて軽いゲームではないし、プレイヤー叩きといった悪意のあるプレイが起こることが予想される。洞窟役による首位プレイヤー叩きのプレイが、ゲームのバランスを調整することになるが、その代償として、各プレイヤーの選択があまり重要ではない形で行われることになる。もし、あるプレイヤーがゲーム中に優位に立ったならば、洞窟役のプレイヤーは、疑う余地なく、そのプレイヤーを叩くだろう。負けたかって? ご心配なく。洞窟役のプレイヤーは、そのプレイヤーを無視するので、ゲームに復帰することができるさ。

この種のゲームバランスの調整に関する問題は、ゲームの結果が恣意的に見えるようになってしまうということだ。勝者は、必ずしも、ゲームを通じて賢い計画を実行した人であるとは限らない。勝者は、ゲームの重要な瞬間において叩かれなかった人となる。ゲームが長ければ長いほど、プレイヤーは運に基づく結果を許容できなくなるというゲームデザインの素敵な格言がある。これにより、洞窟が恣意的な結果を生み出すもののように感じられるかもしれない。

そして、こうした他のプレイヤーをぶっつぶすプレイは、このゲームがもつ別の問題と組み合わさって深刻にする。その問題とは、ルール全体の複雑さに比して、本当はそれほど深いゲームではないということだ。それは、捉えにくいというよりもむしろ不透明であると感じられる。単純なルールで深い意思決定というのは、ゲームデザインにおけるもう1つの勝ち筋の信念(mantra)だ。そうすると、ゲームの独自性のあるデザインのおかげで、全くの正反対のように思えてしまう。つまり、難しいルールに浅薄な意思決定であると。

レビュアーとベテランゲーマーのバイアス

私が冒頭で触れたことを議論することで、このシリーズを終わらせたいと思う。それは、レビュアーのバイアスのことだ。レビュアーやベテランゲーマー、要は、Boardgamegeekの長文のブログの投稿を読んでしまう私や読者のみんなのような類の人たちは、独自性のあるゲームを好むという固有のバイアスがある。

このことに異論を差し挟む余地があるとは思わない。最も著名なレビュアーが、ゲームにおいて最も気にかけている点は何かについて、どんなことを話しているか聞きに行ってみるといい。そういった人たちのほとんどは、独自性がリストの頂点に入っているだろうさ。

さて、バイアスを強く主張することによって、邪悪なことや、ましてや否定的なことを意図するつもりはない。みんなバイアスがある。避けようのないことであり、それが意味することは私たちみんながそれぞれ異なる主観的な経験をしているってだけだ。この特定のバイアスに言及することで私が言いたいことは、こういった特定のバイアスのない人たちが、レビュアーがもっている見解と非常に異なる見解をもっているにもかかわらず、レビュアーがそれに気づかないせいで、レビュアーが好むゲームを買ってしまいかねないということだ。

独自性に対するレビュアーのバイアスは驚くことではない。ほとんど全ての芸術の分野においてそういったバイアスがあるからね。みんな、たくさん体験したことにはうんざりしてしまうし、物事を新しく保つためには、絶えず多様性を必要とするものだ。1年の間に50個のワーカープレイスメントゲームを遊んだ後で、レビュアーは、51個目は何か真に違うことをしてくれるように祈っているし、前からあるものを少しだけ効果的に改良したものより、完全に斬新なものに言及する可能性が高くなる。そういったレビュアーや、みんなの中には、数回ゲームを遊んで、ゲームの潜在的な可能性の最新部に至る前に新しい注目作に向かう人もいるだろう。

これは、1000本目の派生的なアクション映画よりも、実験的で新しい映画を観たがる映画のレビュアーと異なるところなんてない。芸術の批評家も、時として、その作品が当該分野をどれほど前に進展させたかを評価することから、普通の人たちが褒めることなんてない作品を讃えることがある。普通の人たちは、良い映画、良い絵画、良いゲームを望んでいるだけなのにね。ほとんどの人たちは、あるゲームが古いゲームからメカニズムを再利用したかどうか、何か新しいことをやってのけたかどうかなんて気にしてない。みんな、楽しいゲームが欲しいだけだ。私やみんなを含めた全員とも、以前にプレイしたことがある類のゲームとの関係でしか評価することができないので、ゲームをありのままに見ることが難しくなっている可能性がある。

そういうわけで、みんな、独自性のあるゲームに寛容となっている。好きになりたいと思うデザインであるが、願っていたよりも上手くプレイされなかったゲームに対して、"少なくとも、もう一つの派生的で魂の抜けた、はいこれで仕上げました(xyz)ゲームというよりも、新しいことに挑戦しようとしている。"と言うように。結局、みんな、坂道をジョギングした人よりも、山に登ろうとして失敗した人に同情するわけだ。

それでいいはずだ。ベテランゲーマーのバイアスは、新規のゲーマーやその中間にいる人たちのバイアスよりも良いわけでもないし、悪いわけでもない。しかし、時として、みんな、今まで述べてきた巧妙さを見過ごしてるように思う。洗練されたゲームを傑作にし、1回のプレイ、5回のプレイ、ましてや10回のプレイでは見過ごしてしまうかもしれない些細なことをね。

読んでくれて感謝。そして、コメント欄で批判するのはご自由にどうぞ!

このシリーズのその1その2はこちら(※末尾に翻訳のリンクを掲げている。)。

以上

※本記事の前の記事はこちら。

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