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みんなが触れてない「ブラッドレイジ」のすごいところ(The Genius of Blood Rage (It’s Not What You Think))

本記事は、Anthony Faber氏が、2016年8月12日に投稿した「The Genius of Blood Rage (It’s Not What You Think)」の翻訳である。

いつも翻訳しているAnthony Faber氏が初めてBGG上に投稿した記事である。翻訳していたが、ストックしていた記事でもある。その理由は、翻訳しにくい文章であり、やや読みにくくなってしまったことや、どういうタイミングで公開しようか悩んでいたことからである。(定期的なブログ更新がなくなってきた関係で)彼の一連の記事を過去から掘る意味もあるだろうということで掲載することとした。

個人的にはあまり単体の作品のレビューの翻訳は好まない。そうとはいえ、この記事は、多人数のインタラクションの強いゲームに関する一般的な話が語られており、参考になるはずだ。それに、彼の思想のエッセンスのようなものが見受けられると思う。もちろん、「ブラッドレイジ」好きのボードゲーマー(日本では少ないだろうが)にとってはうってつけの記事だろう。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。また、ヘッダー画像は、BGG上の画像(クレジット: W. Eric Martin)を引用させていただいた。なお、原文にはほとんど画像がなかったので、私のほうで適宜引用する形で追加した。

クレジット: W. Eric Martin

ここ数年で「ブラッドレイジ」が最も成功した戦略ゲームの1つであることを否定するやつは誰もいないよな。

The Dice Towerの年間ベストストラテジーゲーム賞の受賞、ドイツ年間ゲーム大賞の推薦リストに初めて入った"デュード・オン・ア・マップ"(※定訳はないが、マップ上に兵士等の駒を置いていくゲームのこと)スタイルのゲームになったことを含めて、数えきれないほどの賞にノミネートされて受賞されているし、Boardgamegeekのトップ100の18位(※現在は40位)に到達しており、高い評判を得ているEric Langがデザインしたゲームの中でも最高評価となっている。「ブラッドレイジ」は、これまで販売されているコンフリクトゲーム(conflict games, ※インタラクションが強い、戦闘等があるゲームが想定される。)の中で最も優れていて評価を得ているゲームの1つとなっている。

私がここで主張したいのは、「ブラッドレイジ」の成功にはさまざまな多くの理由があるのだけれども、そのほとんどの理由は、コンフリクトボードゲームの中で「ブラッドレイジ」を大きく抜きん出た理由とは関係がないということだ。

「ブラッドレイジ」の支持者たちは、アメリトラッシュテーマにユーロメカニズムをなめらかに(seamless)結合した点を指摘する。革新的な3ラウンドのカードドラフトは、固定の非対称能力ではなく、プレイヤーが選択したアップグレードによってもたらされた非対称性を伴うことで、ダイスのないカードの戦闘や、オープンなプレイ体験につながるとか、なめらかでよくテストされたゲームプレイは、短い手番数とゲームへののめり込みを簡単にすることにつながるとかという。

ゲームの見た目の素晴らしさもご承知のとおりだ。

これら全ての指摘は正しいけれども、どれも革新的なものではない。「Cyclades」や「ケメト」には革新的なユーロのメカニクスがある。例えば、「Cyclades」には神のオークションがあり、「ケメト」にはカードの戦闘とアップグレードがある。どちらのゲームもイカしたテーマと素晴らしい見た目も備えている。

皮肉めいた人や、批判だけする人(detractors)は、そんなに数はいないんだけど、「豪華なミニチュア + 人気のバイキングテーマ + 人気の売れっ子デザイナー = 勝利!」といった表面的な部分に焦点を当てている。

こういったことは「ブラッドレイジ」の商業的な成功に資することになったけれども、どれも革新性や独創性を示すものではないことは明らかだ。実際、「ブラッドレイジ」を愛するほとんどの人たちが、このゲームについて、革新的なゲームというよりも発展形の(evolutionary)ゲームであると指摘している。私は、そうではないとの異議を申したい。

「ブラッドレイジ」は、多人数のコンフリクトゲームにありがちな共通した全ての問題を意図的に解決しようと目論んでおり、その一つ一つの問題をちゃんと解決していることから、革新的なコンフリクトゲームであるといえる。そういったゲームで頻繁に起こる、理想的とはいえないプレイ体験につながる要素について見ていこうか。

問題点

クレジット: Dave

・袋叩き

この点は、こういったコンフリクトゲームが直面する最大で中心的な問題だ。2人以上のプレイヤーが、別の1人のプレイヤーを叩きのめしたり、引きずり下ろしたりすることを決断する可能性がある。それに、彼ら(※徒党を組むプレイヤー)はそのほかのプレイヤーのリソースの2倍以上のリソースを持っているので、(※袋叩きにされるプレイヤーは)彼らを敗退させたり、(より悪いことに)実質的に排除するためにできることはほとんどない。以下で言及するほかのほとんどの問題は、袋叩きにすることか、その特殊な形態をとっているかのどちらかに関連しているものといえる。

注釈:プレイヤーの中には、交渉、裏切り等を十分に楽しむ人もいる。このことも袋叩きを生じさせる可能性がある。私がここで指摘しているのは、これが悪いってことではなく、戦術的・戦略的スキルというよりも交渉(※の巧拙)によって決定されるといった、異なる種類のゲーム(例えば、「コズミック・エンカウンター」)となっていく可能性があるということだ。そして、戦闘や殺戮のゲームをプレイする際には、多くの人が、後者(交渉術)というよりも、前者(戦術と戦略)によって結果が決まってほしいと思っている。

・プレイヤー排除

ゲーム終了のかなり前にプレイヤーがゲームから排除されるのは、当然のことながら、悪い現代ゲームのデザインと考えられている。8時間のプレイが続き、最初の数時間で多くのプレイヤーが叩きつぶされてしまう「リスク 世界戦略征服ゲーム」といったゲームを懐かしく回想することができるけれども、早晩に敗退することになったプレイヤーにとって6時間のダウンタイムというのは、ひどいプレイ体験と呼ぶのが相当だろう。現代の多人数コンフリクトゲームは一般的に8時間も続くことはないし、今ではこういったゲームにおいてプレイヤー排除が幸いなことに珍しいことになったけれども、実質的なプレイヤー排除はいまだに起こっている。私は、それ(※実質的なプレイヤー排除)を、ゲームが終わるかなり前の段階で勝利する見込みがないと分かった状態に置かれることと定義している。これは一般的に楽しいものではなく、他のプレイヤーたちが早い段階で袋叩きをした結果として生まれた可能性がある。

・首位プレイヤーを叩く

これは、プレイヤーがゲームに勝利しそうな人をを認識し、そいつを見切りをつけない限り起こる袋叩きの特別形態である。その(※ゲームに勝利しそうな)プレイヤーは、他のプレイヤーたちによって叩かれることになる。とあるゲームでは、プレイヤーがある1つの条件を満たそうと試みようとして、ほかの全プレイヤーが潰しにかかることになるので、全てのプレイヤーが阻止する時間が残っている前に、何とかしてこそこそと条件達成に漕ぎ着けるまで、こういったことが何回も起こる可能性があるようだ。こういったことは、いくつかの異なる理由から満足感の得られないプレイ体験となる。

先頭を走っているプレイヤーにとっては、他のプレイヤーの良いプレイというのは完全な無駄のように感じられてしまう。実際のところ、意図的に悪いプレイをして、2番手に潜んでおいて、全プレイヤーで首位のプレイヤーを叩き始めた時点で首位に躍り出るべきであったと思うことになってしまうかもしれない。

参加しているプレイヤー全員にとっては、そのゲームの序盤があまり重要ではない(trivial)ように感じられてしまう。プレイヤーが抜き出た人(outliers)を叩いて相対的に平等となるのだから、費やした全ての労力がそんなに重要ではないことになるし、本当に重要なのは気付かれることないまで運良く条件達成に漕ぎ着けた者となってしまう。私は、敢えて"運良く"という言葉を使っている。というのも、"首位を叩く"ゲームにおける全般的な欠点は、能力や戦略の問題というよりも恣意的にみえてしまうところにある。

「Cyclades」においては、その恣意的にみえる運要素はペガサスの獲得という形をとっている。そのカードを得た誰もが、多くの場合、最終的な目標の達成を妨げられることはないが、到達間近だった他のプレイヤーは叩きつぶされてしまう。

Spartacus: A Game of Blood & Treachery」では、勝利目前のプレイヤーは、みんなが阻止するカードを持ち合わせていないときに、前に躍り出る誰かが現れるまで、首位を潰そうとする意地悪なカードプレイの的となる。

・逃げ切る首位プレイヤー

"首位プレイヤーを叩く"問題の反対は、"逃げ切る首位プレイヤー"という問題となる。この場合、序盤に首位に躍り出たプレイヤーを阻止することができず、それに、通常は、最高のプレイヤーが勝利することとなるけれども、実質的に勝者が序盤に決まってしまうと、ほかの参加プレイヤーたちにとってはかなりつまらないものとなってしまう。もし、ゲーム終了のかなり前に、プレイヤーの1人を除いた全員が競争から実質的に排除されるというのであれば、実際には、プレイヤー排除という問題の形で現れるとされている。

・戦わないプレイヤーが勝利する

多人数コンフリクトゲームにおける勝者が、時々、ゲームの大部分の戦闘を避け、他のプレイヤーが戦闘でお互いに弱体化させておいて、最後に、制止できないほどの兵力で歩み寄ることで、拍子抜けにも勝利を収める人になることがある。

この現象が起こることは、私が今まで挙げてきた問題の中で最悪のものだと考えている。その理由は、そのゲームが目的としてる戦闘を最も行わなかったプレイヤーが報われて、(戦闘をするためという)そもそもの遊ぶ理由とは正反対の方法でゲームをプレイすることを促してしまうからだ。

こういった現象は、「リスク 世界戦略征服ゲーム」や「斬 - サムライソード -」のような古めのゲームで起こることが多い。そういったゲームでは、勝者は、ゲーム終了時まで邪魔にならないようにすればいいだけだ。また、誰も他のプレイヤーを攻撃して弱体化したくないので、ばかばかしいほど長いゲームになりがちだ。

・勝利への道筋が1つだけ

多人数コンフリクトゲームの戦術や戦略がとても面白いものになる一方で、そういったゲームの大部分は典型的なユーロゲームよりも限定された目標しかない。つまり、プレイヤーが(※他のプレイヤーを)潰して征服するということが(※ゲームの)大部分を占めている。このことは、本質的には問題ではないけれども、勝利への道筋がかなり直接的で、誰が勝っていて誰が負けているかがはっきりしてしまうので、上記に挙げたいくつかの問題を深刻化させる可能性がある。

そういった問題を解決するメカニズム

クレジット: blair alexander

では、「ブラッドレイジ」において、こういった問題点を軽減させている具体的なゲームメカニズムについてみていこう。

ロキ戦略

実のところ、部隊や戦闘の敗北に対して報酬を与えるというロキ戦略とそれに関連するメカニズムは、このゲームの最も革新的な要素だ。そして、ロキ戦略は、従来の多人数コンフリクトゲームにみられた問題点を覆している。

ロキ戦略がどういうものかをみていこう。まさしく叩かれる側が叩かれることを明らかに望んでいるのかもしれないとすれば、誰かを袋叩きにするのが難しくなる。ここでは、"かもしれない“という言葉が非常に肝となってくる。多くの場合、ロキのカードは事後に使われることから、プレイヤーは、他のプレイヤーがロキ戦略を全般的に用いているか、特定の戦闘で用いているかはわからない。

例えば、機転の利くプレイヤーは、ヴァルハラにかなり多くの部隊が置かれるまで、部隊が殺されたことで得られる報酬に係るアップグレードをすることはないし、同じように、ラウンドの後半になるまで、ヴァルハラクエストをプレイすることもない。実際にカードをプレイするまで、プレイヤーが、激情値(rage)や戦闘カード等を盗むロキの戦闘カードを使っているかどうかはわかることはない。船のアップグレードから報酬を得る前にテーブル上に置いてある必要があるので、プレイヤーが得点が与えられる船のアップグレードを使うことはわかる。そして、賢いプレイヤーはラグナロクのアップグレードによる2倍の得点が得るようなプレイはしないけれども、プレイヤーがラグナロクフェイズで(※部隊を)殺させるために隣の地域に移動することはわかる。

そういうことで、別のプレイヤーが叩いてほしいのかそうでないのかが明確ではないことが多いことによって、そういったプレイヤーたちをどうやって叩くべきか決断するのは難しくなっている。したがって、徒党を組むことはとても困難となっている。

ロキ戦略に潜在するもう1つの結果として、より多くのプレイヤーが戦闘に興味を持つようになるということだ。ほとんどのコンフリクトゲームにおいて、戦闘に興味のある者は、自分が勝つと考えている者である。「ブラッドレイジ」では、戦闘の結果は不確かではないかもしれないが、一方のプレイヤーは勝ち、もう一方のプレイヤーは負けるという形で双方のプレイヤーが利益を得るので、戦闘の発生を望んでいるかもしれない。このことは、"最も戦闘をしなかった者が勝つ“という問題に対処するのに役立つ。ロキ戦略は、プレイヤーが戦闘をしようと思わない場合でも戦闘するインセンティブを加えてくれる。

最後に、ロキ戦略は、こういったゲームで通常みられる勝利への道筋の種類を極めて拡大させる。プレイヤーは特定の戦闘を勝ちたい、あるいは負けたいがためにあらゆる組み合わせを画策する。例えば、領土を勝ち取るがラグナロクで死亡させるとか、ユグドラシル(Yggdrasil)での壮大な戦闘に向けて大それた複雑な要因(wild complications)を付け加えるとかする。多くのプレイヤーが参加する中央での大戦闘が、ロキ戦略が関係することによって起こる可能性が高まるだけでなく、その結果も、そういった戦いの中で複数の勝者と敗者がいるかもしれないので、そのほかのゲームとは異なり明快ではなくなる。この場合も、首位が逃げ切るという問題の発生や、誰かを叩きつぶす明確な必要性が減ることになる。

・プレイヤーが勝利した時だけ戦闘カードを失う

この話は、このゲームにおいて、見落とされることが多いちょっとした賢い点だ。あるラウンドで、軍事的に逃げ切ろうとするプレイヤーの能力を劇的に減らすというものだ。遅かれ早かれ、勝利した者はカードを使い果たしてしまい、叩かれる可能性が高くなる。こうすることで、バランスが取れるし、逃げ切ろうとする首位プレイヤーが逃げ切ることが難しくなる。その上、1人のプレイヤーを激しく叩くことも難しくなる。

・豊富な戦闘報酬

敗北することで得られるロキの報酬に加えて、「ブラッドレイジ」には多くの戦闘へのインセンティブがある。戦闘に勝利することで得点が得られる。領土を略奪することで、必須のアップグレードとゲーム終了時の得点が得られる。それに、略奪を阻止すれば、対戦相手に同じものを与えない。最後に、戦闘によって、クエストのために必要なエリアの支配権を得られて、対戦相手に同じことをさせないことができる。

これら全てが、戦闘を避けることで勝利しようとするプレイヤーが出てくることを困難にさせている。もし、それが起こったのならば、通常、プレイヤーたちがそうなるように放置していただけの話だ。

・戦闘は、略奪を通してのみ発生する

これも、見過ごされやすいこのゲームが偉大な理由の1つだ。他のプレイヤーの駒への直接攻撃を許さないことで、ひどい首位プレイヤー叩きや徒党を組むことを取り除き、他のコンフリクトゲームにおいて楽しさが削がれる要素を減らすことができている。同時に、このゲームは、上記で言及した報酬を得るために戦闘を大いに推奨している。だから、プレイヤーは戦うためにゲームをするのであるから、大量の戦闘が生じるのだろう。だが、プレイヤーは、戦略ゲームというより交渉ゲームにになってしまうことから、そんなに直接的な方法を取ることができない。

・ラウンドごとに増大する報酬と強さ

「ブラッドレイジ」を初めて遊ぶプレイヤーにとって明らかなのは、各ラウンドであらゆるものがより強力になってもっと多くの得点が得られるようになることだ。クエストごとの得点は、ゲーム終了までに2倍になる。つまり、ラグナロクの報酬とロキの報酬は倍増し、プレイヤーのトラックの進み具合につれて戦闘の報酬は倍増する。そうして、オーディンの玉座のような(以下にみる)強力な得点コンボと部隊を殺して自分の部族のステイタスを上げるといった戦略が出現し、モンスターがもっと強くなる……などなど。

こういったことで、劇的なゲームのアーク(arc, ※盛り上がり)を生み出すことに役立つだけでなく、後半のラウンドで得る得点が、1ラウンド目に得られる得点よりも遥かに大きい傾向にある逃げ切る首位プレイヤーの可能性を減らすことにもなる。最後の時代の得点が膨大であることから、追い上げの可能性が高くなる。

・定められた目標のない勝利点の獲得

このことによって重要だと思うことは、3つ目の時代が終わればゲームが終了するということで、プレイヤーが定められた勝利点数や目標に到達した時ではないということだ。定められた勝利点や目標に到達することで勝利となることは、「Cyclades」、「Spartacus: A Game of Blood & Treachery」、「ケメト」のようなゲームで、誰かが"なぁ! あいつがあと1点で勝利してしまうぞ!“と言って、全プレイヤーがこれを阻止する方法を見つけ出そうとしているうちに、首位プレイヤーを叩く議論をもたらすこととなる。定められた点数の合計よりも、むしろラウンドの数によってゲームを終了させれば、こういった現象を大幅に減らすことができる。

・弱体化する得点取得コンボ

弱体化したカードの組合せが実現することを好まない人がいるので、こいつは議論を呼ぶ主張かもしれない。特に3つ目の時代で起こることがだね。けれども、私は、この要素を、逃げ切る首位プレイヤーの問題が起こらないようにする、意図的に取り入れた光る点だとみているよ。

オーディンの玉座を4つのクエストと組み合わせようが、破壊した船ごとに12点を得ようが、自分の部族のステイタスを上げて点数を得るためにそういったものを破壊しようが、ヴァルハラからの船を再び攻め入って、それを何度も何度も繰り返そうが、首位プレイヤーがユグドラシルを再び略奪しようが、「ブラッドレイジ」には相当数の印象的な返り咲く方法が存在する。私は、こういったことをほぼ完全に良いことだと思っている。こういったコンボのどれもが、そんなに簡単なものではない。全てのコンボには、特定のカードと自分のやるべきことをするためのある程度の自由が必要となる。これらのコンボは、少なくとも、最終の時代に入るまで得点が落ち込んでしまったプレイヤーに勝利の可能性をもたらす。

・カードドラフト自体

カードドラフトと、それに含まれるにあらゆるクエストやアップグレードは、多様な勝利への道筋を追求するための自由度をプレイヤーに与えるのに役立っている。

既に検討したように、勝利への道筋がたった1つしか存在しないことによって、プレイヤーは、ゲームが面白くならない袋叩きや逃げ切りに注力してしまう。

おわりに

クレジット: @TroyNyne

「ブラッドレイジ」におけるほとんど全ての重要なメカニズムが、恣意的だったり不公平だったりする戦闘や報酬の周りにある多人数コンフリクトゲームで発生し得る問題を減らすのに機能している理由を強く主張することができたと思うよ。

「ブラッドレイジ」のメカニクスは多くの戦闘を促すが、複数のプレイヤーが利益を得て将来的に巻き返す(recover)機会があるといった"公平"な方法でそれを行なう。

話を終える前に、時々、言われているのを見てきた、私の主張に対するあり得る異論について検討したいと思う。それは、「ブラッドレイジ」では、多くの人が勝ったり負けたりすることがよくあるけど、それはプレイヤーが時代ごとに引き継ぐことになるボードコントロールに由来するというものだ。プレイヤーがゲームの経過を通じて優位性を拡大させることもあり得るが、私が検討してきた問題の一部は、勝利しているプレイヤーが
自分がやっていること正確に理解しているというだけで後半のラウンドでも勝利するほど、このゲームが能力をベースにしているということだ。後半ラウンドでは多くの能力を用いたプレイが必要で、新規プレイヤーが大勝利につながるようなプレイをすることができないというわけだ。このことは、経験豊富なプレイヤーが、カードとゲームを解明しきれていない新規プレイヤーを潰しにかかるようなゲームであることを示すのは間違いない。

そして、1人のプレイヤーが大きなボード上の優位性と点数のリードを得て最終時代に入った時でさえ、そのプレイヤーが大量得点を目指して自分の戦略を追求することが邪魔されることは滅多にない。ゲーム終盤で負けていてすることがほとんどないゲームとは異なり、「ブラッドレイジ」の終盤では、戦うことができる戦闘、目指すことができるコンボといったやるべきことがほぼ常にある。

読んでくれてありがとう!

Tony

最後に説明すると、このゲームの真剣なファンたちが、私が書いたことのほとんどが自明のものだと考えるかもしれないと感じているさ。この記事は、このゲームが表面的な理由だけで成功したと考える人たちや、過去作をうまく洗練した形で進化させただけだと考える人たちに対する反論を意図しているものだ。

以上

※Anthony Faber氏の記事としては、以下のものがある。

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