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みんなが長考する5つの理由(Five reasons people play slow)

本記事は、2022年7月9日、Anthony Faber氏が投稿した「Five reasons people play slow」の翻訳である。

"play slow"はゆっくりと手を打つということだが、いわゆる長考と呼ばれていることと重なるだろう。よくこの話題が取り上げられるが、属人的な問題として捉えられることが多く、騒がれたところであまり有意義なものではない。本記事は、主としてゲームデザイン等の観点から長考を誘発する要素は何かを検討しており、参考となることがあるだろう。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。また、ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

字を読むよりも耳で聞きたいというなら、ポッドキャストTwo Wood for a Wheatの最新回における、分析麻痺(※分析ばかりしたり、計画ばかりたてたりして実行に移さないこと)とスロープレイに関する議論をチェックしてくれ。そこでは、分析麻痺を誘発するゲームである「ゴーレム」のレビューもしている。

このブログで当たり前のことを話すつもりはないよ。携帯電話を使っている人たちがゲームを遅らせるという話をするわけがない。みんなは耳にタコができるくらい聞いていることだろうから、明らかに精神的な(psychological)理由を挙げるつもりもない。私の妻は、一緒にゲームをする人たちの何人かについて、"頭が悪くてのろまだ"と言うんだ。おそらくそうだろうけど、それでは面白くない。それじゃあ、個人の欠点(failings)とは関係のない理由について話そうと思う。こういった理由は分析麻痺に関する場合もある。けれども、ゆっくりと手を打つプレイヤーが麻痺していないにもかかわらず、その人が意識的であれ無意識的であれ時間をかけることを選択している場合もある。そこで、この記事では、みんなが自分の手番で長考してしまう、5つの当たり前ではない、(願わくば)ゲームに関連した理由を挙げたいと思う。

1 あまりにも少ない選択肢

分析麻痺が起こるのは、プレイヤーに大量の有益な選択肢が与えられ、それぞれの価値を調べ上げるのに長い時間を費やす時であると思うのが普通だ。これは、特に、多くの先取りの(front loaded)選択肢のあるゲームで起こり得る。これは、遅いプレイに対する明白で正当性のある理由となる。

しかし、私の経験上、全く逆のことのほうがよく目にする。大量の妥当な(decent)選択肢があると、プレイヤーは単に選択肢を1つ選んでそれに身を任せることが多い。最悪の分析麻痺は、プレイヤーが良い選択肢を全く見出すことができない時に始まる。論理的には、プレイヤーは単に悪い選択肢を選んで何とかやっていくべきなのだが、(※悪い選択肢を選ぶことを)頭では受け入れることができない。それどころか、プレイヤーは思考のループに陥ってしまう。プレイヤーはどの選択も気に入らないので、全ての選択肢を分析し、どれもこれも欠けていることがわかり、手を打たなくなる。"そこに何かがあるに違いない"と考えてしまい、もう一度調べ上げることになる。すぐに、プレイヤーは、コンピュータのプログラムのように思考のループに陥る。どの選択肢も受け入れられないので、(※思考を)止めて選択することができない。このことは、ユーロゲームの最終手番でよく起こることだ。全員が最も多くの得点が与えられるのは何だろうかと計算しているだけだが、プレイヤー1人は得点が与えられるものを一切見つけることができないでいるといった場合だ。

2 新しいものに対する熱狂

私は、ここで非難するつもりなんかないよ。このことは、みんなと同じように私だって当てはまるからね。私はゲームをレビューする。だから、私は、常に新しいゲームをプレイしているし、他の人にもプレイさせている。問題は、グループが次のゲームに移る前に(そして二度と戻ってこない)、あるゲームを数回しかプレイしてない場合に、初回プレイがそのゲームのルールを学ぶためとは考えられていないことだ。そういったルールを学ぶための初回プレイは、勝つためのゲームとは別物だ。これは、理に適っている。もし、絶えず新しいゲームをプレイしているのであれば、初回プレイで真剣に勝とうとするか、ゲームがただの半ば練習になるかのどちらかになる。

自分が何をしているのかわかっていても、現代のボードゲームをうまくプレイするのは十分に難しい。しかも、システムを理解するだけでも本当に難しい。だから、こういったゲームにおける計算時間の半分は、単にゲームを理解するしようとするだけで生じている。もし、グループが20回ゲームをプレイするのであれば、初回プレイはそのゲームのルールを学ぶだけの余裕を持ちつつ、あまり難しく考えないでいられる。

3 低いランダム性(と容赦のないこと)

クレジット: Jeroen Doumen

ほとんどランダム性がないゲームは、計算可能だからこそ、最悪の分析麻痺を引き起こすことが多い。そのことが何よりも明らかなのはチェスである。ランダム性による予想外のことがないせいで、かなり先の手番まで正確に算出する。もし、(チェスでみられるような)不十分な計算が致命的な結果を招くのであれば、プレイヤーはできる限り先の手番まで計算し尽くすインセンティブが生ずるだけでなく、たった1つの失敗が命取りになるため、そういった計算結果を二重又は三重に検算するようになる。低いランダム性がいかに容赦のないものになっているのかを示す現代的な例としては、「フードチェーンマグネイト」が挙げられる。

しかし、少なくともある程度のランダム性を伴うゲームは、たちまち計算することができなくなり、プレイヤーが、正確な知識よりも直感やヒューリスティック(heuristics, ※発見的な、推測に基づいたといった訳語が当てられるが、ここでは"経験則上の"くらいの意味と捉えて差し支えない。)に基づいて、より素早く決断するようになる。ここで注意したいのは、(※先の手番の)計算が可能なゲームは、長考してしまうほど特段複雑なゲームである必要がないということだ。私が最も長考するゲームは、「Lanterns: The Harvest Festival」になる。このゲームは、複雑でも扱いにくい(tricky)わけでもないが、数多くの計算可能な配置の選択肢があり、プレイヤーが利用可能な選択肢を骨を折って計算し尽くした上で、客観的に最善の選択肢を単純に1つ選ぶようなインセンティブが与えられる、かなり戦術的な(tactical, ※戦略的という意味のstrategicと異なり場当たり的なという悪い意味合いが強い)ゲームとなっている。

4 プレイヤー人数の多さ

理論上、プレイヤー人数が多いと、プレイヤーは何人もの対戦相手の手番の間にたくさん考えることができるので、プレイヤー1人当たりの時間という観点では比較的早く進むはずだ。しかし、現実には、プレイヤー人数が多いことによって起こるダウンタイムは、プレイヤーの意識をそらし(check out)、そして、自分の手番にさかのぼって他のプレイヤーの打つ手を調べ直すこと(check back)につながる。このことは、プレイヤーの手番の間に盤面の状態が大きく変わり、多くの場合計算が無駄になるようなゲームに特に当てはまる。つまり、プレイヤーが増えると、手番の間に起こる盤面の変化が増え、自分の手番までの間に注意しておこうとする理由がなくなるということだ。結果として、プレイヤーが自分の手番でゼロから始めると、各手番は手を打つまでが遅くなるだろう。

プレイヤーは、4人や5人でユーロゲームを遊ぶことができそうにもないことだとわかっているが、全てのプレイヤーが本当に集中すれば、合理的な時間内にゲームを終えることができると楽観的に考えている。しかし、プレイヤーが増えると、各プレイヤーの集中の度合いは下がる。それは、単に盤面の状態が変わるというだけでなく、関わる人の数に比例して自分のこととは考えなくなる、生来の傾向(natural tendency)のせいでもある。2人用ゲームで遊んでいる間に、どのくらい頻繁に気をそらすというのか。5人で遊んでいる時ほど頻繁には起こらないだろう。

5 悪い製品と悪いゲームデザイン

クレジット: Sara T.

ルールブックが不明瞭であったり、プレイヤーエイド(player aids, ※サマリー )がないとか不足しているとかだったり、盤面の装い(aspects)が解析し難かったりするといったことがあると、最低になるのはみんなが知ってるとおりだ。しかし、悪い製品と悪いデザインがプレイヤーに与える影響のせいで、プレイヤーは不明瞭で、直感に反する、不十分な説明にとどまっている点を解決しようとして、長考を引き起こしてしまうということを主張しておく価値がある。

個人的に最悪で最もありふれた、この観点における違反者は、特殊能力、ゲーム終了時の得点等の効果が付いた大量のカードやタイルがあるゲームで、各カードやタイルを個別に説明せず、記載されたアイコンをうまく解読することができたプレイヤーに任せっきりにする(rely on)ゲームのことだ。テキストびっしりのカードがどれほど扱いにくくて、誰にとっても言語依存のないように、そのようなカードを製造することができないということは理解できる。しかし、もし、カードがアイコンだけだったら、別表(appendix)か何かで全て説明すべきだろう。ほとんどのゲームでは、そんなことをしておらず、プレイヤーが曖昧なカードの意味を推測しようとするたびに、プレイが中断することになる。ここで、Rio Grande Gamesには特別の賛辞を贈らなければならない。彼らの出版する作品は小綺麗でないかもしれないが、非常に機能的だ。最近発売された「Space Station Phoenix」には、何百ものあり得るプレイヤーの固有能力が全て説明されたプレイヤーエイドが含まれている。それは、テキストでぎっしりの1枚のシートで非常に見苦しいが、スロープレイやイライラを防いでくれる。Rio Grande Gamesは、「ビヨンド・ザ・サン」でも同じことをやっていた。

もう1つの落とし穴は、そもそもアイコンが極めて不明確なゲームだ。つまり、たとえアイコンが説明されたとしても、プレイヤーは、アイコンを全て記憶するまでルールブックに顔を埋めて(buried)、手番に多くの時間を使ってしまうゲームを意味する。Cranio Creationsの「ゴーレム」は、このカテゴリに分類される。幸いにも、このゲームはタイル全てを説明してくれるが、これはアイコンがふざけた冗談のようなので必要不可欠のものとなっている。このゲームでは、プレイヤーが自分のゴーレムの1つの隣にある場所のアクションを行うことができる、とあるタイルをどのように説明しているだろうか。ゴーレムとその横の!(※ 原文ではexplanation pointとなっているが誤記だろう)で表している。というか、彼らは(※アイコンでしっかりと表そうとする)努力すらしてないじゃないか。アイコンを"ルールブックを参照してください"ってテキストに置き換えたほうがマシだよね。

おわりに

今夜はこれでおしまいだ。みんなが長考してしまうプレイヤーの属人的な欠陥よりも大きい理由が他にあったらコメント欄で教えてくれ。読んでくれてありがとう!

以上

※ゲームメカニクス以外の話に関する、Anthony Faber氏の記事としては、以下のものがある。

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