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最高のボードゲームタイトルと最低のボードゲームタイトル(The Best and Worst Board Game Names)

タイトルに関する話はネタになるし、時には炎上する。そういった類の話だ。

この手の話は、ローカライズされる際によく問題が生じる。日本では、特定の会社が付けたタイトルが批判されることが多い。もちろん、自社内のデータ・マーケティングの成果などを踏まえて付けられたタイトルなのであろう。それに、流通の事情等の理由で、タイトルに"そういった方向性での"工夫が必要なのは想像がつく。だから、その当否について、絶対数の少ないマニア層が大きな声を出して騒いでも、建設的でないように見えることが多い。

タイトル話は、ボードゲームに限ったことではなく映画、音楽、小説等のジャンル全般に見られる。
サメ映画が好きな奇人(私も含む。)ならば、変てこりんなタイトルが馴染み深いはずだ。2022年2月に日本で公開される「Sharks of the Corn」の邦題は「シャーコーン! 呪いのモロコシ鮫」だ(ちなみに、煽り文句は「コーンなシャーク 見たことない!」だった。)。

翻って、英語圏ではどうなのだろうかという疑問が浮かぶ。付けられたタイトルが母語そのものであることも多いし、ローカライズされて英訳・変更されたタイトルも多いだろう。その時に、ボードゲームのタイトルの良し悪しというのは変わるのだろうか。どういう反応があるのか。そういう興味が湧いてくる。

前振が長くなったが、本記事はAnthony Faber氏の「The Best and Worst Board Game Names」の翻訳である。当然だが、Anthony氏の嗜好が強く反映されている。Anthony氏がどんな属性のボードゲーマーなのかは念頭に置く必要がある。

この記事を翻訳しながら、ジェイムス・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の邦訳(柳瀬尚紀訳)を少し思い起こした。年が明けたばかりであるが、時間つぶしにでもしていただければ幸いである。

元記事は以下のリンク先を参照していただきたい。また、ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。なお、記事の特性上、ボードゲームの名称は日本語版が出版されているものも全て英語表記としているが、日本語版タイトルも括弧内で付することとした。

もし,あまりの文章量に目がかすんでしまったら,ポッドキャスト「Two Wood for Wheat」で議論したものを聞くことができる。そこでは、相方のPat Flanneryが選んだ最高のボードゲームタイトルとクソなボードゲームタイトルと共に、「Calico」の私たちのレビューも聞くことができる。

クレジット: Shawn Stankewich

Calico」(「キャリコ」)のレビューを準備していたら、このタイトルが、プレイ感と全く同様に、巧みで、両義性を持たせていること(double edged, ※「二つの意味がある」という意味と「良い効果と悪い効果を併せ持つ」という意味がある。)に気付いたんだ。猫とキルト生地を題材にしたゲームで、たった1語の英語を使って、苦労することなく、猫とキルト生地の2つのことを思い浮かばせてくれる。その名前を選んだ誰もが完璧だという。2つの考えを伝える6文字だ。しかもそれだけじゃない。ゲームの名前が猫とキルト生地という2つのテーマを想起させるとともに、ゲームそれ自体が、色と模様という2つの重要度の高い要素のせめぎ合い(clash)ということも思い知らせてくる。パズルに用いる全てのタイルには色と模様が備わっている。模様をうまく合わせるために全く噛み合わない(terrible)色を選ばなければならないか、もしくはその逆のパターンも(vice versa)生ずることが多い。つまり、タイルそのものが、異質な2つの必要な要素のせめぎあいということを暗にほのめかしているんだ。

※calicoには、更紗と三毛の動物(特に猫)の意味がある。

話に入る前の余談(An aside before I dive in headlong)になるが、ゲームのタイトルは些末なことのように思えるかもしれないが、実はそうじゃない。ゲームに対する考え、意見及び体験は、全てタイトルという識別要素(identifier)のフィルターを通している。巧みなタイトルであれば、プレイの体感(gameplay)も冴えたものになるが、ひどいタイトルならそのゲームを好ましいと思うことすら難しい。それに、個人的な考えとは別に、良いタイトルと悪いタイトルの差のせいで、ゲームを遊んでもらえたり、遊んでもらえなかったり、あるいはみんなに遊ぼうって声をかけようともできなくなかったりといった違いが生じてしまうこともある。ということで、今まで遊んできたゲームの中で最高のタイトルと最低のタイトルの話をしていこうと思う。

二重の意味

クレジット: Todd Rowland

「Calico」は、Flatout Gamesが出版したゲームの中で、二重の意味を巧みに使ったただ一つのタイトルというわけではない。Flatout Gamesのメンバーは、「Point Salad」(「ポイントサラダ」)のデザインチームでもあった。「Point Salad」は、ありふれたユーロゲームの表現形式(desciptor)と、文字どおり得点を稼ぐためのサラダを組み合わせたゲームだ。それで、繰り返しになるけど、ゲームのタイトルが二面性のあるプレイ感(a duality of play)を伝えてくれる。つまり、このゲームの全てのカードの片面にはサラダの材料が、もう片面にはゲーム終盤の得点方法が描かれている。もっと多くの野菜カードを取るか、あるいはもっと多くの得点カードを取るかということが、ゲームの毎手番における最も重要な緊張感を生み出している。ポイントかサラダか?それは、プレイヤーが決めることだ。

クレジット: Maggie C.

Medium」は、お互いの考えをすり合わせて(the competition between two ideas)察し合いながら2つの意味をうまくもたせるようにするパーティーゲームだ。タイトルは、パートナーが考えていることを読み取れる超能力を意味するとともに、各プレイヤーが、(※カードで指定された)それぞれの言葉の中間・中庸となるような同じ言葉を選ばなければならないルールも指している。タイトルに掛けられた2つの意味が、幸せな中間となるように(in a happy medium)、お互いが一致に持っていかなければならない2つの言葉ということをそのまま表している(echoes)。

※mediumには霊能者と中間という意味がある。なお、「Medium」のルールを簡単に説明しておく。①プレイヤー2人は単語カードをそれぞれ引く、②そのお互いのカードを見て、お互いのカードから連想できる言葉(お互いの言葉の中間となるような言葉)を口に出す、③一致したら得点を獲得する、④一致しなかったら、それぞれが口にした言葉から再度連想できる言葉を口に出す、ということを繰り返すゲームである。

一方、この1000年間で最高のパーティーゲームは、7文字・2単語に3つも異なる意味を持たせている。「Just One」(「ジャスト・ワン」)というタイトルには、プレイヤーが当てようとする1単語という意味があるし、他の全てのプレイヤーがヒントとして出せるのがたった1単語だったという意味もあるし、そして最も決定的なのは、特定の1単語をヒントに出せるのはたった1人のプレイヤーだけで、複数のプレイヤーのヒントが被るとそのヒントは取り除かれてしまうということも含んでいる。タイトルはシンプルで、的確で、ゲームそれ自体を正確に表している。このゲームに他のタイトルを考えるのに一生をかけたとしても、半分くらいの良さのものしか考えつかないだろうさ。

世界観を想起させるタイトル

クレジット: Viktor Kobilke

2番目に好きなタイプのタイトルは、たった1単語でテーマの世界観(thematic world)全体を呼び起こしてくれる(summons forth)ものだ。ただ、そのまま(on the nose)すぎて、退屈だったり、あからさまだったりしないものに限る。1単語ってのが重要なポイントだ。さっきまでの話を見ればわかるとおり、私は短いタイトルが多くの働きを持つのが大好きだ。長いタイトルは単に想起させるのではなくて、説明的になりがちだ。

例を挙げると、「Rococo」(「ロココの仕立屋」)は完璧なタイトルといえる。装飾品、建築、優雅な衣装といった素晴らしい世界観を想起させるだけでなく、ユーロゲームではお決まりのルネサンス期という設定に、型破りな(non-standard)強調をあからさまに加えている。ほとんどのユーロゲームには、植民地主義、利己的な搾取・開発、熾烈な競争といった要素の混じった強い男臭さ(a strong whiff of testosterone)がある。このタイトルには、誰が中世で最高のパーティープランナーかを競うことしか頭に浮かんでこない。

クレジット: Mark Johnson

Abyss」も、お気に入りの1単語タイトルだ。海底王国とかアトランティスとかそういう類の平凡なタイトルは眠たくなる。しかし、「Abyss」は謎めいた言葉だ。このゲームはどんなものだろうかと思わせてくれるし、テーマの内容も豪華な水生生物のアートワークで明らかになる。そして、単なる海の生き物の話というわけじゃない。海の本当の最深部の王国の話だ。ナショナルジオグラフィックの特番で、初めて光に照らされるような、超自然的な蛍光色の海の巨大生物がそこに住んでいる。たとえ、Bruno CathalaがJames Cameronをパクった(ripped off)だけだとしても、Cathalaはそれをばっちりやってのけたわけだ。

Jamey Stegmaierは、こういった感情に訴えかけて想起させた上で(evocative)、独自性のある1単語タイトルを作り出す達人であることに疑問の余地はない。それに、良いタイトルの名付け親である点は、彼の商業的な成功の理由として過小評価されていると思う。「Scythe」(「サイズ -大鎌戦役-」)は、怪物みたいなメックと牧歌的な農耕生活という両方の世界観を完璧に作り上げている。「Euphoria」は、ディストピア世界がどうやって労働者たちをなだめて治世しなければ(pacify)ならないかを表してる。「Wingspan」(「ウイングスパン 」)は、息を飲む鳥類の世界感を作り出しながら、ゲーム中に重要となる違いについてほのめかしたものとなっている(注釈: 「Euphoria」は実はズルしてるんだ。というのも、タイトル全体は「Euphoria: Building a Better Dystopia」だからね。説明(とかコロンとか)を付け加えると素晴らしいタイトルを台無しにする完璧な例だと思う。まるで、Stegmaierが、1単語では何を意味してるかわからないって感じでボードゲーマーを信じてなくて、アホみたいなタイトルをつけて売ったみたいだ。)。

2つのアイディアを、2つの単語で

クレジット: Ryan Laukat

世界観を表現するのに二、三の単語を使うのが最適な時もある。特に、その世界観において2つの対照的な要素がある場合にはそうだ。「Above and Below」(「アバブ&ビロウ」)は、地下での探検に噛み合った地上での街づくりということを見事に表している。「Bunny Kingdom」(「バニーキングダム」)というタイトルからは、バカなうさぎと一緒に、ユーロ的なエリアコントロールと帝国建設を行うことを教えてくれる。

Blood Bowl」は、簡潔で頭韻を踏みながら、サッカーすることを教えてくれる。ただ、多くの死体と血しぶきを伴うけどね。ビールを醸造する修道士は?「Heave & Ale」(「ヘブン&エール」)のことだ。変なオブジェクトを積み重ねるのは?「Junk Art」(ジャンクアート」)になる。猫と、猫用グッズを獲得していくのは(acquiring accompanying material accoutrements)?「Cat Lady」という感じだ。

新鮮味を持たせる
良い1単語タイトルの中には、率直にアイディアを表現するものもある。ただ、普段は聞き慣れない魅力的な言葉を使うことで、古臭さを感じさせないようにしている。Elizabeth Hargraveは、自らのゲームを「Butterflies」とは名付けないで、「Mariposas」(「マリポーサ」)というタイトルを選んだ。Dávid Turcziは、「Storms」の代わりに、嵐をほのめかす「Petrichor」(「ペトリコール」)を使った(※なお、「Petrichor」の作者はDavid Chircopであり、Dávid Turcziはソロルール担当である。)。ほかにも、「Trees」の代わりに、「Photosynthesis」(和訳付き輸入版では「光合成」)ってのもある。それに、「Wine Marking」の代わりに、「Viticulture」(「ワイナリーの四季」)だ。

ちょっとした詩的要素
時には、長いタイトルがうまく機能する例外がある。ある程度の詩的要素が含まれていて、ゲーム自体を正確に再現している時だ。「Betrayal at House on the Hill」(日本では「丘の上の裏切り者の館」とも呼ばれる。)のタイトルの長さは、いかにもな(campy)ゴシック感を連想させて、イカれてるけど(baggy)魅力的なプレイ体験を与えることを暗に表現してる。「The Castles of Mad King Ludwig」(「ノイシュヴァンシュタイン城」)は、プレイヤーが建築する城が無用の長物(make no damn sense)ってことを表している。「A Fake Artist Goes to New York」(「エセ芸術家ニューヨークへ行く」)は、魅力的なペテン師の物語を伝えてくれる。それに、長いタイトルが簡潔なタイトルの競合作品(「Spyfall」(「スパイフォール」))を打ち破る珍しいケースといえる。

そのままで冴えないタイトル
そしたら、あんまり良くないタイトルの話に移ろうか。テーマをそのまま参照したタイトルは本質的に悪いことが多い。そういったタイトルは想像力を引き起こさないといえる。「Pipeline」は……待ってくれ……パイプラインを建設するゲームだ。「Parks」は、国立公園を旅するゲームだ。

クレジット: Seth Jaffee

こういったそのままなタイトルは、「Petrichor」や「Viticulture」といったタイトルとは対照的に、伝えようとする言葉やコンセプトが、信じられないほど冴えない時に全くイケてないことになってしまう。そんなイケてないタイトルの1つは「Harvest」となる。もちろん、農業がテーマのゲームだ。誤解しないでほしい、このゲームは素晴らしいゲームで、隠れた名作でもある。魔法を使った農業テーマで、大胆な(wild)非対称能力が採用されている。ただ、こんな包括的なタイトルでは何も伝わってこない。このタイトルが原因となって、このゲームが隠れてしまっている。

Museum」も、簡潔で(dry)つまらない(dusty)タイトルだ。美術館(Museums)は、テーマにするには良い(cool)場所で非常に興味深い要素が含まれている。けど、言葉それ自体を単独でみると、眠くなるようなつまらなさを覚える。繰り返しになるけど、問題なのは、単に言葉選びが平凡だということじゃない。ありふれた言葉が、不思議さを醸し出すところがなく(without mystery)、思ったとおりそのまま表現されているという点にある。「Hate」はありふれた言葉だけど、タイトルが何を表現しようとしているのか思わせる。「Harvest」だと農業することが明らかだし、「Museum」だと美術館を作りましょうと言っているようなものだ。そういったタイトルとは全然違う(as opposed to)。ゲームプレイやCMONの馬鹿馬鹿しい宣伝について批判する人もいるかもしれない。けど、「Hate」は、あり得る最も惨憺な未来で、人喰い部族の戦争をテーマにしたゲームに付けられた素晴らしいタイトルだ。

包括的で何ら情報のない無益なタイトル

クレジット: W. Eric Martin

そのまますぎてつまらないタイトルの更に一段下(A step below)には、そのゲームがどんなテーマなのかさえわからない、つまらないタイトルというのがある。こういったタイトルは最悪のゲームタイトルとまではいかないが(もっとやばいのは後述するよ!)、退屈そうな臭いがぷんぷんするよね。包括的で何ら情報のない無益なタイトルでお気に入りなのは、タイトルに"king"がついたゲームだ。例えば、「Kingsburg」とか、「The King's Guild」とか。この言葉を書いてるだけで眠くなってくる。しかも、そのタイトルからわかるのは、ゲームが一般的な忠誠を舞台にしてることくらいだ。女性の為政者のことも忘れないようにしよう。「Queen's Architect」や「The Rise of Queensdale」というゲームもある。ゲームのテーマに興味を持ってもらおうって態度なんざ知らねぇよ(doesn't give a damn)っていう出版社のメッセージが伝わってくるね。

つまんない中世ゲームタイトル大賞の受賞者は「Fantasy Realms」(「ファンタジー・レルムズ」)だ。素晴らしいカードゲームで、「Generic Fantasy」(※「一般的なファンタジー」)と名付けてもそれ以上に印象が悪くならないと思う。SF分野でこれに相当するのは、おそらく「Space Empires 4x」だろう。

何も語らないタイトル
多くのユーロゲームのタイトルがうごめく(where many eurogames live)、この次の分類のほうに18xx系ゲームを入れるべきだったかもしれない。この分類に含まれるようなゲームは、タイトルが必ずしもつまらないというわけではない。だけど、実際には、何も語ってないのとほとんど同じだ。ほとんどのユーロゲームではびこっているのは、タイトルが単純に地名の場合だ。「Bruges」(「ブリュージュ」)、「Maracaibo」(「マラカイボ 」)、「The Castles of Burgundy」(おそらく、複数のFeld作品を挙げるべきではないかもしれないが、挙げてもいいくらいの内容だと思う。)。それに、「Paris」(「パリ」)、「London」(「ロンドン」)、「Lisboa」、「Saint Petersburg」(「サンクトペテルブルク」)、あと342作品ほどのユーロゲームがある。おいおい、まじかよ。その地域についてとても深く掘り下げた上でテーマにしていて、出版社も地名以外の他の事柄を脇におきたいと考えるのも理解できる。ただ、時々、出版社が考え尽くすことをしないで、易きに流れてる(goes to this easy alternative)ように思えちゃうよね。

シリーズ化されたゲーム
ゲームがシリーズ化された途端に、出版社がだるいタイトルを付けがちになる。18xx系のゲームが、古典的なそういった例だ。もし、ゲームのタイトルが「Train Game #33B」だったならば、「1830」や「1854」というタイトルほど面白さに欠けているわけでもないだろう。ある程度の有益なカテゴリ化が生じているのと同様に、年代によってほのめかされる不思議さがあることは認めるよ。でも、熱烈な(※18xx系の)愛好者たちがテーマ性のあるタイトルを嘲笑うような感じで、ちょっとだけ鼻につく感じで嫌だな(snobbery)とも思う。"こういうゲームそれ自体が素晴らしい。手の込んだ製品や大袈裟なタイトルなんて必要じゃない。"なんて声が聞こえてきそうだよね。

クレジット: Michael Coe

「Tiny Epic」シリーズは、これまでに馬鹿馬鹿しくて平凡なタイトルを約12作品ほど生み出してきた。その月のテーマとなるフレーバーの言葉を選んで、その言葉の前にTiny Epicをぶち込むというのが定型となっている。「Zombies」、「Pirates」、「Dinosaurs」、「Western」、「Mechs」、「Sci-fi (Galaxies)」とか。テーマの名前を挙げれば、それに合わせて、しっかりとパッケージ化された自社ブランドゲームができあがる。このゲームについてこき下ろしてるわけじゃない、このシリーズのほとんどのゲームを遊んだこともないわけで。けど、タイトルについていえば、何度もボロクソに言って(kicked in the pants)しかるべきだと思うよ。

つまんないとはいえ、「Tiny Epic」シリーズは、命名の観点からいえば、最も嫌いというわけじゃない。そんなありがたくもない名誉は、「Key」シリーズに譲りたいと思う。なぜ、Richard Breeseは、全てのタイトルの頭に「key」をつけることが、どこかしらイケてるとか感動を生むとかと考えたのか、私には不可解だ。タイトルについていえば全作品ダメだが、「Key Harvest」が最低につまらない。「Keythedral」が最も間抜けなタイトルだと個人的に思う(my vote)。

非常に恐ろしいコロン
シリーズ化されているタイトルのいくつかをからかってきたけど(ridiculed)、最悪の現代ボードゲームのタイトルではないんだ。惜しくも最悪にならなかったわけでもない。そういうことで、コロンがタイトルのどこかに含まれるゲームが生息する、より低次元の地獄の領域(much lower circle of hell)の中に入っていこうか。このような多くの惨状が起こってしまうのは、出版社が、タイトルだけではゲームのことが十分伝わらないと思ってしまい、その惨状がやって来て、より説明的にしようとしてしまうからだ。劇場公開版の「ブレードランナー」にあった、Harrison Fordのひどい説明ナレーション(explanatory voiceover)みたいなものだ。彼は、あまりにもくだらないので、もうどうにでもなれという感じで酔っ払って(he got rip roaring drunk)、単調な話し方で全てのナレーションをこなしたみたい。映画スタジオ側は、観客の頭が悪すぎるので、台詞が少ない、ハイ・コンセプトな映画が理解できないと考えて、物語の進行と共に一切合切を説明しなければならないと感じてしまった。映画のタイトルの世界では、コロンの存在が、Rotten Tomatoes(※アメリカの映画評論サイト)で下位25%の評価を得てしまう映画かどうかがわかる、極めて信頼できる指標となっている。

クレジット: Awaken Realms

近年、タイトル中にコロンが含まれるゲームが、Rosenbergがポリオミノゲームを発表するよりも速いスピードで増加しており、ボードゲーム出版社がこういった教訓を取り入れてないことは明らかだ。先ほど例に出した「Euphoria」のように、ゲームの中には、コロン以外の部分は卓越したタイトルなのに、コロンが入ることで台無しになるものもある。他のゲームはどうかというと、最初から悪いタイトルだからより悪くなるだけだ。「Tainted Grail: The Fall of Avalon」(「テインテッド・グレイル」)は、前者の分類に含まれる。「Tainted Grail」は素晴らしいタイトルだ。「The Fall of Avalon」は、その素晴らしさを全て吸い取る(sucks the life out of it)。まぁ、おそらく、Awaken Realmsは、「Tainted Grail」のシリーズを作っているんだと思う。シリーズ化のためにコロンを付けたんだろうけど、そうだとしても、最悪のタイトルだ(It still sucks)。

クレジット: Richard Amann

"最初から悪い"タイトルには、「Cerebria: the Inside World」と「Caverna: The Cave Farmers」(「カヴェルナ:洞窟の農夫たち」)が含まれる。「Cerebria」は、本当にクソダサくて頭悪いタイトルで(a damn dumb title)、しまいには、inside worldってつけやがって、出版社自身が知性に欠けた分かりにくいタイトルだって認めてしまっていることがわかる。それに、Pixarの映画「Inside Out」(※邦題は「インサイド・ヘッド」)との関連がありそうに見せて売ろうとしていて、本当に恥知らずな出版社だってことも物語っている。「Caverna」の全体のタイトルはもっとキテる。"このゲームはアグリコラみたいだけど、洞窟での話だ。うーん……「Caverna」だけだと、わかってもらえないかな。よっしゃ、洞窟と農業についてサブタイトルの方でもう一回言っとこうか!"って感じだ。

クレジット: W. Eric Martin

興味深いことに、Lookout Gamesは、「Caverna」の続編となる2人用ゲームで、一層ダメなタイトルを頑張って考え出すことに成功して、ゲームを遊ぶことができるプレイヤー人数よりも多くのcaveをタイトルに入れ込むことにした(managing to get even more references)。それは、「Caverna: Cave vs. Cave」(「カヴェルナ:洞窟対決」)。アホな私が騙されて「Caverna」の6人プレイをさせられることになったら、心の中でこう思ってしまうね、「Caverna: Cave vs. Cave vs. Cave. vs. Cave vs. Cave vs. Cave」。

人気のゲームの中で、身の毛もよだつタイトルの例とは、「Through the Ages: A Story of Civilization」で、もちろんその後の作品である「Through the Ages: A New Story of Civilization」(「スルー・ジ・エイジズ」)となる。タイトルにコロンを入れて、その後に言葉を付け加えることで一層良くなるゲームなんて存在しない。このことに、私は本当に当惑する。私たちは、本当に「Through the Ages」がciv系ゲームだってことすらわかってないのかな。「Cerebria」がPixarにヒルのように寄生して利益を上げたいと考えていたように、Sid Meierに寄生するために、civの言葉をタイトルに入れ込もうとしているのかなぁ。

もちろん、出版社がうんざりするような説明を加える必要があると感じたり、自惚れたクリエイターが、箱の表面に冗長な言い回しをゲロのように吐き出したい(to be vomited)という強い欲求を露わにしたりしているゲームが何千以上もある。飾り立てただけの気取ったタイトルを付けられた、Kickstarterのゲームには、2番目の例(※自惚れたクリエイターが冗長な言い回しをしがち)が散見される。それは、その草分け的存在(grandaddy)ともいえる「Kingdom Death: Monster」に端を発している。

そのタイトルを見て、うーんと考え込んでしまった。もし、現代の偉大な作家たちが、コロンを付けてタイトルに説明を加える必要性を感じていたらどうなるんだろうかと。もし、「戦争と平和: ナポレオンがロシアの景観を永久に一変させる」とか、「日の名残り: 完成されない(unconsummated)愛と逃した機会の物語」ってなっていたらどうなるんだろうか。

幸いにも、ボードゲーマーのほとんどが、コロンの無意味さをわかっていて、コロンが付いた実際のタイトル全体で参照するようなことはしていない。

◯◯・ザ・ダイスゲームとか、◯◯・ザ・カードゲーム

クレジット: W. Eric Martin

出版社がベストセラーとなってるゲームのダイス版やカード版を制作し、はっきりとわかるように「◯◯・ザ・ダイスゲーム」というタイトルにする理由は100%理解できる。でも、こういうタイトルを見るたびにいつも、リッチ(※アンデッドの一種で高い知能を持ち魔術等を使えることが多い)に口から生命力を抜き取られるような気分にさせられてしまう。そして、オリジナルのゲームが既にダイスゲームやカードゲームだった暁には、二重に精神的ダメージを負ってしまう。「Bang! the Dice Game」は、この種類のタイトルの中で最も嫌いなものだ。Sam Healy(※大手ボードゲームYouTubeチャンネルであるThe Dice Towerの出演者の1人)が長年にわたって何度も褒めたたいているのを聞かなければならなかったし、おまけに感嘆符もついてるところが気に入らないよ。

もう一つ、指摘するに値するゲームは、タイトルとは異なり、メカニズムへの言及が少しも大胆(adventurous)ではないし、感嘆符も付いているしということで、「Clank! A Deck Building Adventure」(「クランク!」)になる。繰り返すよ、「Clank!」は素晴らしいタイトルだ。「Clank! A Deck Building Adventure」は、わんちゃんのうんちみたいな最低品質のタイトルだ(dogshit)。「Clank! In! Space! A Deckbuilding Adventure」は、腐った魚を混ぜた犬の糞って感じだ。

単にクソなタイトル
多くの落胆を生み起こしながら、コロンがタイトルを惨憺たるものにした(riddled)けど、本当に単純にクソなタイトルに出くわすと、幸せな安堵感に包まれるようだよ。頑張って考えたけど、全くうまくいかなかったって時のものが楽しめる。「The Castles of Mad King Ludwig」は良いタイトルだ。「Between Two Cities」(「ふたつの街の物語」)は良いタイトルだ。じゃ、その2つを組み合わせた(mashup)ゲームのタイトルは、その2つのタイトルを組み合わせたら、良いものになるに決まってるよね。答えはノーだ。「Between Two Castles of Mad King Ludwig」(「ふたつの城の物語」)ってタイトルは、即座に落ち目になるような(jumping the shark, headfirst)タイトルだ。

クレジット: W. Eric Martin

しかし、私の考える、史上、最も最低な現代ボードゲームのタイトルは、最も高く評価されたデザイナーたちの中の1人の作品である。自分たちのゲームグループでこのゲームの話を持ち出そうとすると、その単語が口の中で死んで、口に出すことができなくなるようなタイトルだ。単純に話せなくなってしまうんだ!馬鹿馬鹿しすぎる。そのゲームとは、Alexander Pfisterの「Oh My Goods!」(「オー・マイ・グーッズ!」)だ。このタイトルは翻訳が悪いのか、単にアイディアが悪いのかどうかわからない。そんなことはどうでもいいのさ。Lookout Gamesは「Caverna: Cave vs. Cave」を自ら超えてきたってことだけわかる。

これで終わりだ、みんな。大好きなタイトル、大嫌いなタイトルは何かな?私が挙げた例を遥かに上回る、まだ知られてない(obscure)ゲームがあるはずさ。必ず、コメント欄で共有してほしい。

以上

※同じく、ゲームメカニズム以外のAnthony氏の記事として次のものがある。

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