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より楽しくボードゲームを遊ぶために(Putting in the effort)

本記事は、Anthony Faber氏が2022年1月28日に投稿した「Putting in the effort」の翻訳である。

最近は、ゲームのメカニクスに関するAnthony氏の記事を翻訳していたが、たまにはそれとは違う記事も訳していいだろうと考えた。それに、ボードゲームの社交的な面に関する事柄は、思っていた以上に需要が高い。それは、ボードゲームの中身以外のことで悩んでいる人も多いからだろう。

元のタイトルを直訳すれば、「努力していくこと」になる(タイトルは意訳している。)。何に努力すべきなのかは本記事をご覧いただきたい。

なお、偶然だが、翻訳している最中にこんなツイートを見かけた。関連する話かもしれないと思い、ここに付記しておく。

元の記事は以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

この投稿はいつもと違う。ボードゲームに関連するのと同じくらい、生き方(life)に関連する。それに、特定のゲームやメカニズムを取り上げるわけではない。価値観(philosophy)なんかよりもゲームレビューを聞きたいのであれば、ポッドキャスト「Two Wood for a Wheat」の最新回を聞いてみてほしい。そこでは、Richard Garfieldの「The Hunger」のレビューを取り上げている。

通常、ボードゲームで遊ぶことは、多くの労力がかかる活動とは捉えられていないようだ。少なくとも、楽しみたいと思っているのであれば、労力はかかってしまうものだ。人生は十分に辛い。余暇の時間は、くつろいだり、休憩したり、働きすぎないようにしたりするのがふさわしい。

けれど、もし、今以上にボードゲームで遊ぶことに満足感を覚えたい(rewarding)のであれば、最も簡単な方法は、おそらくまだ取り組んでいないことに注力することだろう。このことは、ゲーム(ついでに言えば、人生とか)に関するほとんどあらゆる面に当てはまる。多くの人々は、最初から上手くいくもんだと思って試してみるんだけど、それで上手くいかなかったら文句を言って諦めてしまうみたいだ。実際のところ、それはそれで悪いことではないよね。けど、それじゃあ、自分をもっと良くしようと取り組む中で実際に得られる恩恵を全く受けられない。今回、取り上げるのは、こういう話だ。

プレイスキルを向上させる

ゲームを上達させるための努力は、おそらくボードゲームをもっと充実させるための最も確実な方法だろうが、同時に、最も嘲笑われる方法でもある。"腕を磨こう"(git gut)と取り組んでるプレイヤーは、全員ぶっつぶす的な競争心が強すぎる人(overcompetitive)とか、真剣にゲームに取り組む必死すぎて痛い不愉快な奴(obnoxious try hards who take games too seriously)に見えてしまう。まぁ、実際はそのとおりなこともあるけどね。でも、お気に入りのゲームにおいて、新しくて巧みな戦術(plays)を発見したり、今まで以上のレベルの練度に達したりすることには、紛れもない喜びがある。能力の上達に向けた努力が最も報われたと感じたのは、収集する競技ゲーム(competitive collectible game, ※TCGを想定していると思われる。)の世界でのこともあったが、多くは普通のボードゲームで感じたり、協力ゲームの中でさえも感じることがある。「グルームヘイヴン」のルールを最初に学んだ時、失敗したシナリオを延々と繰り返して遊ぶアイディアには、おいおいマジかよって思ったさ(skeptical)。今では、ゲームの成功に不可欠な要素だってことが理解できる。シナリオが大失敗したら、みんな反省してもっと良くしなきゃという気持ちになるもんだ。みんなが、グループでの成功に向けて連帯責任を感じるようになっている。それに、このゲームで最も記憶に残る瞬間の多くは、前回の無残な失敗の後の見事なまでのプレイと関係してる。

興味深いことに、中には自分のスキルを向上させようと努力しているけど、全然上達しない人もいる。そういう人たちは、生まれ持った才能に恵まれなかったことを嘆いたり、ゲームにある運要素についてしゃべり始めたりする。しかし、いずれにせよ、勝つためのあらゆる道筋を試して、その全部に失敗したということになる。結論の方で、こういった人たちの話に戻ろう。

態度を良くする

ゲームの腕前(prowess)と同じくらい、自分の態度を厳格に改めようとする人たちが多くいたら、この趣味はもっと良い環境になるに違いないよね。こういった態度ってのは、無限ともいえる形が存在し得る。負けた時に不機嫌(snippy)にならないようにする、勝った時に自慢しない(gloating)、新しいプレイヤーや悩んでいるプレイヤーに忍耐強く接する、全然楽しめなかった人と率直で思いやりのある会話ができる友人を持つ、卓にいる他のプレイヤーに広く興味を持つ、他のプレイヤーが楽しめるように個人的なプレイの好みを傍に置くのもいとわない、いつもと変わらず新しいプレイヤーを歓迎するなどなど。

こういったことを実践するのは良いことだって、みんなわかってる。けど、意識的にスキル向上させようとして、こういったことに取り組んでる人ってほとんどいない。みんなは、道徳的な問題(success and failure)として、人の態度を捉えてるけど、そのような考えは、こういったスキルを向上させようとする気持ちをその手から取り上げてしまうくらい役に立たない。もし、私が、固定化されてしまって、もはや変えることができない性格のせいで、ゲーム卓で不機嫌になってしまうのであれば、実際に自分の態度を向上させようと努力する義務から解放されるわけだ。向上することができるスキルとして扱うことで、みんなが責任を負うことだと実感してもらうことができるし、同時にまずいことになった時の苦痛を和らげてくれる。

ゲームグループを大きくしよう

Redditのボードゲーム関連のスレッドで最もよく見かけるものの1つは、どうやって一緒にボードゲームを遊んでくれる友達を見つけてきたり、自分たちの既存のグループや会合(meetup)を大きくしたりするのかを質問している人たちだ。このことは、いつも、長期的に向上させるべきスキルというよりか、短期的に解決できる問題のように見える。みんな、最小限の時間、最小限の努力、最小限の不快感でこの問題を解決したがっているのさ。

そして、ゲームグループを大きくしようと努力しても、その努力が誤った方向(misapply)なことが多い。何度も何度も、大切な人、友人、家族を説得して一緒に現代ボードゲームを遊ぼうとする人を見る。そして、こういった人たちはボードゲームに興味がないので、こういった努力は失敗に終わりがちだ。最初からボードゲームが大好きだったり、友達になれるかもしれない他人を見つけてくるという不快なステップを踏むよりかは、こういった人たちにやりたくもないことをさせるために、丸め込んだり操ったりしてしまうので、人間関係に軋轢を生み出してしまう。

他の場面でも、正しい努力を適用するのに失敗してるのを見るときがある。ボードゲームの集まりを運営しているほとんどの人たちは、自分たちのグループを大きくしようとしていると話してくれるだろう。そして、彼らは、大抵の場合、オンライン上のいろんなところに投稿をして、みんなに自分たちのことを知ってもらおうとしている。何がうまくいかないかわかるかな。会の停滞さ(Retention)。新しい人がそのグループに現れて、気まずそうに周囲を見渡している時、何人の会合のリーダーが、無理をして自分たちの遊んでいた手を止めて、挨拶をしに駆けつけて新しい人を歓迎した上で、ゲームを探すのを手伝ってくれるんだろうか。そんな人、めっちゃ少ないよね。同じことは、会の終わりに(at the end of the evening)、会がうまくいっていたかを尋ねることにも当てはまる。こういったことは、人間味があって、効果的で、信じられないほど簡単にグループに人を引き入れる方法だ。でも、ほとんどの人はこういうことをしてない。

ゲームストアでも同じようなことを見ている。おそらくみんなもそうだろう。数年前に、私の住んでる地域に新しい店舗がオープンした。その店舗には、今まで見た中で最高のプレイスペースがあった。オーナーは、時間や費用を惜しまず、最新製品を入荷した、広くて、明るくて、現代風の見た目の綺麗な店を建てた。オーナーは、「マジック:ザ・ギャザリング」のゲーム会の予定を立てたり、トーナメントや無料のゲーム会を開催したりするなどの点では、正しいことをしていた。しばらくの間は、多くの人たちが押し寄せていた。しかし、その後、そういった人たちは離れていった。なぜだろうか。オーナーや、その延長線上にいるスタッフが、無愛想で、不親切で、よく来る客に興味を持たなかったからだ。そんな雰囲気が嫌われてしまい、数か月後にはその店は閉店した。オーナーが人間関係を築こうとしなかったばかりに、物理的なスペースに費やした労力とお金は全て無駄になってしまったのさ。

自分が不快だなと思うことをしていく

じゃあ、なんでみんな、自分たちのゲーム趣味に関する目標を達成しようとして、間違った方向に努力してしまうことが多いのか。ここが話のキモだ(punch line)。努力するってことは、単に時間を費やすことではない。自分自身に真っ向から(truely)挑戦し、不快になったり、馬鹿みたいに見えたり、リスクを取ったりすることを嫌がらないことだ。良い努力というのは、自分自身の無知さや盲点があることを認めることから始まる。

自分のスキルを向上させたいのかい。自分のしていることがよくわかってないことを認めて、わかってる人、できれば親切な人よりも遠慮のない人(blunt)を見つけてきて、何が間違っているか尋ねてみることだ。そうしたら、真摯に耳を傾けてほしい。私は、同じ方法を使って、いくつかの収集するゲーム(※TGCを念頭)で優秀なトーナメントプレイヤーになったことがある。まず、みんなをぶっ潰していて、負けた原因となった失敗をことごとく指摘してくる、嫌われ者を探す。私は、そんな失礼な勝者に自分がゲームでミスしたことを質問して、彼らの言うことを全て聞いた。そしたら、そういった人たちとたくさんゲームをして、自分がボコボコにされておく。自分の自尊心には良くなかったけどね。でも、他の人と遊ぶと、今度は着実に勝てるようになった。

誤解のないように言っておくと、この話は勝つためにしているわけじゃない。自分の自尊心を横に置いて、自分の弱点に関する懸命なアドバイスを聞こうということだ。この話は、その他のあらゆる物事に当てはまる。自分の態度を改善させたいのかな。あなたの性格の強みと弱みが何かということをごまかさないで判断してくれる人と話してみよう。少し前にこれをやってみたら、私が本当に気を配っていた人たちの何人かが、私のことを物事を継続するためには頼りにならない人だって思っていたのがわかった。最初は、マジで凹んだよ(devastating)。でも、それは大いに役に立つことでもあった。

素晴らしいゲームグループを作りたいのかい。既に成功している誰かのところへ話を聞きに行って、彼らがしていること全てを聞いてみるといい。そしたら、自分がしていることを話してみて、何が間違っているかを教えてもらうといい。ゲームストアを始めたいってか。5つの成功しているゲームストアのオーナーに話を聞きに行って、彼らが話してくれること全てを聞いておくんだ。

この全てに共通する特徴は、あんまり良く知らない人と話をしなければならなくて、馬鹿みたいに見えるリスクを負うってことだ。別にこんなことやる必要はないさ。ゲームで遊ぶことは、そんな大それたものじゃない(the end of the world)。そして、多くのゲームがそんな努力を費やすに値するものじゃないことには、間違いなくそのとおりだ。でも、ゲームであろうが、人生であろうが、動かなかったものを動かしたいと思ったら、チャンスをつかんで、ボロクソに言われる(vulnerable)必要がある。さもなければ、いつもしていることにもっと頑張っていけば、いつも手に入れるような成果を得ることができる。

今日はこれで終わりだ。この話がみんなにとってあまりにも説教くさくないことを祈ろう。私が話したことのほとんど全ては、私が十分に自身に挑まないでいた結果、いつも失敗してきた人生と関係してるってことは信じてほしい。以下のコメント欄でどんなことを思ったか教えてほしい。

以上

※Anthony Faber氏のゲームの社交面に関わる記事として以下のものがある。

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