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過剰評価される独自性 その2:「Tyrants of the Underdark」とマップのあるデック構築、派生的(だが素晴らしい)サブジャンル(Originality is Overrated, Part Two - Tyrants of the Underdark and Deckbuilders with a Map - a Derivative (but Wonderful) Sub-genre)

※前回の記事はこちら

本記事は、Anthony Faber氏が2016年10月12日に投稿した「Originality is Overrated, Part Two - Tyrants of the Underdark and Deckbuilders with a Map - a Derivative (but Wonderful) Sub-genre」の翻訳である。

タイトルは長いが直訳としている。前回の翻訳記事の続きである。この記事で取り上げられている「Tyrants of the Underdark」であるが、またもや日本では知名度が低いゲームとなっている。そういう意味でとっつきにくい記事となっているが、ゲームにおける独自性に関する詳細な検討をしている。なお、ゲームの概要は、ここで知ることができる。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像は、BGG上から引用させていただいた(クレジット: W. Eric Martin)

クレジット: W. Eric Martin

このシリーズの第一回では、レビュアーやベテランのゲーマーから、どのような具合で、"独自性"がゲームに対する究極の賛辞となる一方で、"古臭い(stale)"や"派生的"というのが死刑宣告(the kiss of death)と考えられているかについて議論した。

私は、"派生的なゲーム"の中にある些細な革新性が、新しいデザインやメカニズムにつながる、より価値のある独自性の形であることが多いという意見に取り組んだ。そして、派生的なデザインにおける"些細な独自性"の恰好の例として、具体的に「Islebound」とRyan Laukatのゲーム全般を検討した。

その2では、もう1つの派生的なゲームを詳細に分析して称賛しようと思う。そのゲームは、「Tyrants of the Underdark」だ。その1がRyan Laukatのゲームに対するちょっとしたラブレターであるとすれば、その2は、マップの伴うデックビルド(もしくはプールビルド)というゲームのサブジャンル全般に対する称賛ということになる。

2008年、「ドミニオン」は、プレイヤーにゲームを通じて変化し、改良させていく個人デックを作らせることによって、全く新しいジャンルを生み出した。各プレイヤーのデックは、ゲームを通じてどんどんユニークで強力になるように進化していく。デックビルドゲームは、エンジン全体がデックの中に組み込まれている点において、ほとんどのユーロゲームが提供するものよりもかなり早いプレイヤー体験をもたらすとともに、満足感のあるエンジンビルドの体験を生み出す。

ここで派生的なデザインが優れていることを議論するに当たり、コントロールするためのマップやボードといった新たな要素(dimension)を付け加えたデックビルドゲームが、複雑性を大量に加えることなく、巨大な(huge)新しい意思決定の場と、時には1人用ゲームになりがちなジャンルに多くのプレイヤーインタラクションをもたらすことを主張したい。

"純粋な"デックビルドゲーム

純粋なデックビルドゲームに関して個人的な意見を率直に言わせてもらうと、ちょっと退屈だよなって思う。誤解のないようにしておくと、デッキビルドというメカニズムは、複雑さに対する深さの比率が高いエンジンビルドを可能にするという点で、ボードゲームの世界にもたらされたメカニズムの中でも最高のものの1つだ。しかし、素晴らしいメカニズム単体では、必ずしも素晴らしいゲームが作れるとは限らない。

純粋なデックビルドゲームにおいて、デックビルドというメカニズムは、字面のとおり、そのゲームの全てであるので、一度カードプールを把握してしまえば、複数回プレイした後では繰り返しになってしまう可能性がある。軍事力や購入できる建物のような追加のリソースを取り入れたときでさえ、一旦、カードプールを把握してしまってその可能性を探求してしまったら、ほんの少しデックビルド体験の目新しさを延命させるだけだ。

クレジット: jung jinsup

こういうわけで、成功したデックビルドゲームには、いつも間違いなく拡張がある。「ドミニオン」は、8年間も生き残り頻繁に遊ばれ続けている(thrived)のは、(純粋なデックビルドゲームでは、カードプールこそが意思決定の場を構成するので)カードプールと意思決定の場の新鮮さを維持するために、定期的に拡張を大量に出版しているからだ(churned out)。

拡張があったとしても、"デックビルドゲーム燃え尽き症候群"と呼んでいる現象に触れておきたい。非常に多くの回数、デックビルドゲームをプレイして、本当に楽しくてやめられなくなったとしても、突然、もう十分で、これ以上に何か自分にもたらすものはないと言ってしまう状態にたどり着いてしまう。一度、完全にカードプールを熟知してしまうと、(※デックビルドゲームにおける)限られた場でなされる意思決定が、繰り返しの陳腐なものになってしまう。

比喩(a metaphor)の形でポイントを示そう。デックビルドは砂糖のようなものだ。そいつは甘くて病みつきになる。けれど、それだけでは、結局のところ、満たされることはない。純粋なサトウキビの砂糖(cane sugar, ※甘蔗糖)を袋から取り出して食べてからしばらくすると、おいしさ(novelty, ※目新しさ)も徐々に消えていく。

しかし、砂糖は、あらゆる種類の素晴らしくて美味しいお菓子を作るのに用いることができるし、クッキー、パイ、ケーキ、ブラウニーなどにおいて、甘さや食感を取り入れ、さまざまな種類の深みと広がりを付け加えてくれる。

マップのあるデックビルドゲーム

そこで、ボードやマップのあるデックビルドゲームが登場する。いかなるカードゲームのように、デックビルドゲームは、空間的なコンポーネントがなく、(常にというわけではないが)多くの場合、いくらか1人でプレイしているような体験を伴う。つまり、最高のエンジンを組み上げたプレイヤーが勝利する。「Star Realms」のような、戦闘を重視するデックビルドゲームにおいてさえ、そのインタラクションはせいぜい単調な傾向になる。他のプレイヤーがしていることに反撃するか、死ぬしかない。他のプレイヤーよりも前に最高のカードを手に入れないとね。

多人数用のボードがあると、その可能性というのはほぼ際限なく増加していく。メインの作品(※「Tyrants of the Underdark」)に立ち入る前に、新しいものを生み出すマップによってもたらされるゲームプレイのメカニズムを用いた、ボードやマップのある他のデックビルドゲームの例を挙げてみよう。

クレジット: Henk Rolleman

オルレアン」は、今から挙げる作品の中でおそらく最もよく知られていて評価の高いゲームであるとともに、カードゲームではないということから、最も思い浮かぶ可能性が低いゲームだろう。"バッグビルドゲーム"は、カードデックを用いることなく、(※デックビルドゲームと)同じことをしている。そして、「オルレアン」は、リソースや、ギルドホールを用いたマップ上の都市をめぐる争いによって他のプレイヤーに干渉することができるようになるバッグビルドゲームである。同じように他のプレイヤーと争うことになるボードが他にもある。技術点に関する多人数用のトラックは、特定のマイルストーンに最初に到達したプレイヤーにボーナスをもたらすし、他のトラックは、特定の種類のワーカーを最初に一定数置いたプレイヤーにボーナスを与える。

そうすると、プレイヤーの"デック"でもあるバッグ内のワーカーは、実質的には、ポイントサラダ(※多種多様な得点手段があること)なユーロゲームにおいて競争するために必要なリソースである。ポイントサラダなユーロゲームとデックビルドゲームが好きならば、このゲームは、両方のニーズを満たしてそれぞれの可能性を増大させる夢のようなゲームだ。

クレジット: Eric Kouris

トレインズ」は、「ドミニオン」の形式をかなりそのまま取り入れた"マップデックビルドゲーム"であり、各ゲームごとに変化する固定の同じカードプールを用いている。マップによって、プレイヤーは、つながった線路や駅を建設するためにカードをプレイすることができるようになる。都市に建設された駅は、ゲーム中の勝利点の大部分を占めているが、都市に線路をつなげることでしか駅を建設することができない。インタラクションは、他の誰かが既に線路や駅を建設している場所に、自分の線路や駅の建設に当たって必要な高い費用が必要となるところから生ずる。

クランク!」は、マップがダンジョンとなっているデックビルドゲームである。つまり、このゲームは、デックビルド + ダンジョン探索 + ドラゴンに殺される前に最も多くの宝物を携えて逃げおおせるといったプッシュ・ユア・ラック(※チキンレース的な意味合い)のハイブリッドとなっている。このゲームは、デックビルドゲームの世界に、より異なるメカニズムを持ち込むことで、マップのあるデックビルドゲームという形式を一層発展させた(さもなければ、その逆に退化させたことになる。)。

デックビルドにマップを混ぜ込んだゲームの例はもっとある。「Automobiles」は、トラック上で車を競走させることとバッグビルドを組み合わせている。「A Few Acres of Snow」は、2人用のインタラクションの強い(conflict)ジャンルのゲームにデックビルドを持ち込んでいる。「Super Motherload」は、リソースの収集と目標の達成のためのタイル配置とデックビルドを組み合わせている。「Hyperborea」は、探索、戦争、交易等ができるマップとバッグビルドを組み合わせている。

こういったゲーム全ては、デックビルドゲームにマップやボードを加えた派生的なデザインであるが、これらのゲームは全てプレイ感が非常に異なる。全てのゲームが、全く独自のものと感じられるような、私の言うところの"些細な革新性"を十分に備えている。

クレジット: Anthony Faber

アンダーダークのための戦い

じゃあ、「Tyrants of the Underdark」に焦点を当てよう。「トレインズ」のように、このゲームは、エリアを占領するためにプレイヤーの色の駒をつなげることと、デックビルドを組み合わせている。「トレインズ」と異なるのは、このゲームには現実的な衝突がみられる。単に多めの支払をしても別のプレイヤーが駒を置いた場所に行くことはできない。自分自身の駒を置く前に、ちゃんと他のプレイヤーの駒を倒さなければならない。「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のフォーゴトン・レルムの世界の設定において、各プレイヤーは、アンダーダークを征服しようと画策するドラウ家の主となる。このことは、非常なエリアコントロールゲームとテーマが合致している。

このゲームは、「アセンション」形式を用いている。つまり、購入することができるランダム配置のカード市場があり、そこで、馴染みのある購入力と戦闘力に分かれたカードが与えられる。購入力はもっとカードを得るために、戦闘力はボード上を巧みに動くためにある。戦闘力1点ごとに、兵隊を配置することができるようになり、3点あれば敵の兵隊を倒すことができる。

文章に記載されたカードの固有能力は、もっと兵隊を倒したり、敵の兵隊を移動させたり、兵隊を置いたり、カードを貪り食ったり(カードを破棄させる)、イカれた追放者(insane outcasts, ※インセーン・アウトキャスト)を与えたり(「Legendary」における傷、「トレインズ」における廃棄物を考えてほしい。欲しくもない無駄なカードのことだ。)、"昇格させて"カードを退場させたりする。この最後のメカニズムは、昇格したカードはより多くの勝利点分の価値があるが、大量のゲーム終了時の勝利点を得るために高い価値のカードを昇格させることによって、ゲームから最も有益なカードを取り除くことになる点で、「Valley of the Kings」の埋葬のようだ。

お気づきだと思うが、上記で言及した要素のほとんどは新しくない。この点は、他の人気のあるデックビルドゲームから恥ずかしげもなく借用してきた派生的なデザインであることは明らかだ。

しかし、単純にマップ上での直接的なエリアコントロールの争いにデックビルドを組み合わせた以上に、私が"些細な革新性"と呼ぶものがたくさんある。一見しただけでは驚くことはないが、ユニークな意思決定のための多くの機会を生み出すルールの工夫がみられる。

1) プレイヤーが多くの領土を占領して勝利点を得るためには、除去しなければならない、身代わりや序盤の障害として機能する中立の兵隊がある。このことによって、購入できるカードの中に、こうした中立の兵隊を取り除くのに非常に効果的なカードがあるという点で、意思決定の場が強化される。それに、ゲームの序盤では、領土の占領において、このようなカードのおかげでかなり優位に立つことができるようになる。しかし、ゲーム終盤では、大部分の中立の兵隊は倒されてしまうので、こうしたカードは重荷になり始めてしまう。

2) このゲームにはスパイというメカニズムがある。いくつかのカードには、プレイヤーがどのエリアにもスパイを配置できるようになるものがある。通常は、敵の兵隊を倒すか、自分の兵隊とつなげることができた場所に自身の兵隊を置くかしかできないが、スパイはこのルールを破り、プレイヤーが既にスパイを配置した場所ならどこでも(※敵の兵隊を)倒したり、(※自分の兵隊を)置いたりすることができるようになる。さらに、スパイは、1つ以上のスパイを取り除いて莫大な報酬を得る効果のある、いくつかのカードとコンボが組める。

コンポプレイのほかに、スパイは、固定された前線に限定されるというよりも、むしろボード上のどの場所でもアクションに影響を与える方法を編み出す。

3) ゲーム終了時に占領した領土の大部分は得点になるけれども、中には、占領したら、毎手番の終了時に購入力と一、二点の勝利点を与えてくれる場所もある。こうすることで、みんなが集中的に後追いをする目標がもたらされて、対戦相手からの攻撃を集中的に受ける場所が生み出されることになる。プレイヤーは、こういった場所について争う者がいない状態に置いてしまうと、その場所を占領するプレイヤーが長時間にわたり大量の得点(と購入力)を獲得し、全てのものが平等であれば、ゲームに勝利する可能性が高くなることを意味するので、こういった場所に後追いすることで、対戦相手はそこで戦う可能性が高いとわかるようになる。

こういった場所をめぐって、占領し、他人の占領を排除することの両方に関して動機付けをすることで、多人数用のインタラクションの強いゲームで発生する多くの実効的なランダム性を取り除いている。合理的なプレイヤーは、単に面白いからという理由で誰かを攻撃せず、即時に獲得する得点を得るためだったり、他のプレイヤーがそうしないように攻撃する。そして、プレイヤーは、即時に手に入る得点を得るために戦うか、ポイントの購入やカードの昇格戦術を目指すかという興味深い意思決定を行う。

これらの小さな革新はどれも特別なようには思えないけれども、これらは全てボード上でのプレイに由来するので、純粋なデックビルドゲームには全く存在しない。そして、これこそがボードが行う役割なのだ。これには、びっくりするような面白さがあったり新しさがあったりするわけではない。可能性と選択可能な意思決定を増大させるだけである。

例えば、プレイヤーが「ドミニオン」における自分のデックを最適化する場合、明確なゲーム終了時の目標が役に立つ。自分のデックは、時には遠回りのルートをたどることもあるけれど、究極的には勝利点に向かう乗り物である。「Tyrants of the Underdark」では、最適化されたデックは、盤面の状態と何を達成したいかによって完全に左右されるので、明確ではなくなる。カードの購入と昇格を追求することは、ボード上でうまくその場を切り抜けるための自由さがあるかによって左右されるので、素晴らしくなるかもしれないしひどいことになるかもしれない。純粋なデックビルドゲームでは、インタラクションは少なくなるので、デックの最終的な価値は、それ自体の価値に近似する。インラクションのあるボードはこれを混乱させる。

これをもって、「Tyrants of the Underdark」が完璧なゲームであると言うつもりはない。「アセンション」形式のデックビルドゲームにあるようなランダム市場は、あるプレイヤーを有利にして首位プレイヤーが逃げ切ってしまう問題を発生させるかもしれない。そうなると、敗者は、終了時の得点計算を介した抽象的な叩かれ方ではなく、ボード上で叩かれてしまうことになるので感情はより悪いものとなる。ボードの楽しさが伴うとしても、収録されている4つのデックは限定的であるから、このゲームはデックビルドゲームにおける拡張の必要性から逃れるわけではない。それに、最後に挙げるとすると、退屈なグラフィックデザインと比較的高価な点が商業的な成功の妨げとなっているかもしれない。

しかしながら、こういった欠陥のいずれも、独自性の欠如とは関係がない。それに、このゲームは、プレイのしやすさ、バランス、ドラウというテーマに合致した純粋に意地悪な楽しさのおかげで欠陥を補っている。このゲームに絶え間のないテストプレイがつぎ込まれたのは明らかだ。テストプレイによって、最先端で(sexy)独創的ではないけれども、ゲームプレイから尖った部分(bumps)の大部分をとる役割を果たした。「Tyrants of the Underdark」のデザインチームが、「Lords of Waterdeep」も生み出したことは驚くべきことではない。同じようにプレイしやすいが、"独自ではない"デザインで、おそらく、それ自体を語るのにこのシリーズの1章分の価値があるだろう。

「Tyrants of the Underdark」のような派生的なゲームは、より"独自性のある"デザインがするように、批評家やベテランBGGユーザどもの脈拍を上げないかもしれないが、一般的なみんなは何度も何度も遊んで気にいると思う。

次回は、逆のことを検証しよう。批評家どもが絶賛する新しくて真に"独自性のある"ゲームだ。そして、そういったゲームが必ずしもプレイして面白いわけではない理由について話していこう。

注記

1) もし、私が少し単調ではないかと低く評価した「ドミニオン」を初めとする他の純粋なデックビルドゲームが大好きなのであれば、それはそれでいいことだ。私が主に論じたことは、こういったゲームをけちょんけちょんにすることじゃない。しかし、今回はエリアコントロールだったが、別の主要なゲームプレイのメカニズムを加えることで、プレイと意思決定に関する新しい地平が導入されることを示したかった。しかも、革新的というよりも進化的な形となることを。ほら、「ドミニオン」におけるデックビルドは、「Tyrants of the Underdark」のデックビルドよりも、大幅に複雑で魅力的である。けれども、「Tyrants of the Underdark」は、異なるメカニズムと組み合わせることによって、新しいゲームプレイの特徴を備えている。

2) 当然、マップのあるデックビルド以外にも、他の多くのデックビルドゲームがある。タブロービルドとデックビルドの融合、協力型デックビルド、多くのゲームメカニズムの中の1つとしてデックビルドのあるゲームがある。ここまで来ると、もはやこういったゲームを"デックビルドゲーム"と呼ぶことが適切なのか疑問の余地が出てくる。もし、他のデックビルドの融合形態(hybrid breed)が好きなのであれば、素晴らしいことじゃないか。デックビルドとマップの融合は、派生的で進化的なデザインの利点を語るのに手軽な手段を提供しているだけなんだ。

以上

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