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ボードゲームのフランス語翻訳事情 - 象がぬかるみに足を突っ込むような話(Traductions françaises, quand l’éléphant se prend les pieds dans le plat!)

本記事は、Bruno Faiduttiが2022年7月4日に投稿した「Traductions françaises, quand l’éléphant se prend les pieds dans le plat!」(英題:French translations, when the elephant puts its feet in the dish)の翻訳である。

外国で出版されたボードゲームのフランス語訳に関するあれこれについての話だ。ニッチな話であり、需要はなさそうだが、意味のある話だとは思う。本記事の翻訳は困難だが、フランス語部分にはその直訳的な意味を載せるようにしている。これが成功しているかはわからない。

また、法的な観点からの記述のある箇所がある。訳者はフランス法に詳しくないので、その内容の正しさを問われても分からないと答えるほかない。そのため、本記事を根拠に「フランスではルールが著作権として保護されている」などということは到底できない。この点には留意されたい。

蛇足であるが、記事の内容がマニアックなところもあり、あまり読まれることもないだろうから、タイトルについて細かい補足をしておく。本文中にもあるとおり、英語では、触れてはいけないタブーのことを「The elephant in the room」(部屋の中の象)という(コロンバイン高校の銃乱射事件を元ネタとした、ガス・ヴァン・サントが監督の美しく暴力的な映画である「エレファント」の題名の由来の一つ)。

このことをフランス語では、ぶしつけに微妙な話題に触れたり、失態を犯したりすることを意味で「Mettre les pieds dans le plat」という表現を用いる。直訳すれば「le platに足を入れる」ということになるが、Faiduttiはこのフランス語の表現を「put their feet in the dish」(大皿(料理)に足を突っ込む)と英訳している。確かに、platは大皿、料理という意味で用いられるので正しいようにみえる。ところが、19世紀のプロヴァンス語では、platは沼や低水域の水源という意味をもっており、そういった場所に足を入れると、水が濁って透明度が下がってしまうことから転じたとされる(参照)。そういうことから、タイトルは英題の直訳とはしていない(本文中の表現はそのままにしている。)。

とはいえ、「Mettre les pieds dans le plat」でGoogleの画像検索をかけると、みんなお皿に足を乗せた画像があふれ出るので、フランス語圏の人からすれば、「お皿(料理)に足を乗せる」という意味で捉えているのかもしれない。そういう意味で、ボードゲームのルール翻訳とは異なり、文章の翻訳には解がないなと思ったところである。タイトルの翻訳に関して、こんなに調査しなければならないとは予想外だったという話である。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

私は、ボードゲームに関するポッドキャストを聞いたり、動画を観たりすることは滅多にない。私は、文章化された記事やレビューのほうが好きなのだ。それにもかかわらず、数週間前に、Tric-Trac(※フランス語のボードゲーム情報サイト)に所属する私の友人とゲストが、毎週更新している Tric Trac Showの動画の中で、ボードゲームのフランス語訳について議論しているところは、大きな興味をもって聞いたんだ。私は、誰かが、フランス語で言うところの"料理に足を突っ込む(put their feet in the dish)"といった、みんな気づいているけど触れてはいけない話題(the elephant in the room)を取り上げて、大部分のフランスのルール翻訳が絶望的なほど凡庸であると語ってくれることを待ち望んでいた。残念ながら、この動画ではそういう話題にはならなかった。招かれていた人たちは、翻訳の仕事を上手くやっていた数少ない人たちだったという正当な理由があることから(※その話題に踏み込むことは)難しかったんだろう。じゃあ、私が、そういったみんなが触れない話題に踏み込んでいこうと思う。

私は、言語についてはあんまり得意ではない。多かれ少なかれ、英語で文章を書くことができるけど、話すことは別の問題だ。私の人生のさまざまな場面で、ラテン語、ドイツ語、ポーランド語をかいつまんで学ぶことはあったが、そのほとんどは忘れ去ってしまった。私は、日本語の基礎を習得しようとしているが、なかなか上手くいかない。それにもかかわらず、言語や翻訳に関するあらゆることに、いつも多大な興味を持っている。そして、このことは、ユニコーンに関する私の研究(work)にも現れている。

悪い翻訳

30年前に驚いてしまったのは、出版社が箱内に収めているゲームルールのフランス語訳が、フランス語や英語の元々のルールよりも非常に劣っている上に、ドイツ語のゲームの英訳にも大きく劣っていることに気づいた時だった。大手出版社が大部分であるけれど、いくつかの出版社を除いて、この状況があまり変化してないのを見ると恐ろしいことだと思う。今朝、Antoine Pronoが、フランスのゲーマーからもらったメッセージをTwitterで共有していて、そのメッセージには彼の完璧な翻訳への感謝が記されていた。完璧な翻訳こそが標準的であるべきなのに、ゲーマーがそれに気づいて感謝の意を述べるほど例外的な事態になっている!

フランス語訳のルールの凡庸さには2つの面(facets)がある。まず、とはいえ、初めからフランス語で書かれたルールの多くにも当てはまることだが、こういった翻訳は、大げさな言葉遣いを上品であると勘違いしたような、不完全で、難解で、気取ったフランス語で書かれている。これが、ゲームは"文化的な所産"として認識されるべきだと主張する出版社から作られてしまうのは、かなり皮肉的だ。もちろん、彼らのいう"文化的"なるものが、単なる"VAT(※EUの付加価値税のこと。日本の消費税に比較的似ている。)の低い税率"を意味するのであれば、話は別だがね。加えて、これは翻訳特有の話だが、誤りはよくあることだし、曖昧さは至るところにある。

よくある英語からフランス語への翻訳の誤りを2つ示そう。
・フランス語には英語の代名詞(pronoun)である"any"に正確に対応するものはない。多くのフランス語訳のルールでは、"any player"は"n’importe quel joueur(※どんなプレイヤーでも良い)"と、常に単数で機械的に翻訳される。文脈や構文によっては、"un joueur quelconque(※プレイヤーの誰か)"、"un ou plusieurs joueurs(※1人又は何人かのプレイヤー)"、"tous les joueurs(※全てのプレイヤー)"と翻訳されるべきだ。結果として、フランス語のカードに記載された"n’importe quel joueur"を誰かが読む場合、それを理解する最善の方法は、大抵の場合、"any player"を用いた英語の文章を想像することである。
・多くの現代ゲームは、投票、影響力、マジョリティ(※多数)をテーマとしている。英語の"Majority"は、"majorité absolue(※絶対多数)"と翻訳されるが、"Plurality(※相対多数)"は"majorité relative(※相対多数)"と翻訳される(それに、Diversity(※多様性)は時としてPluralityと翻訳される。)。残念ながら、ほとんどの翻訳において、Majorityは単にmajoritéとなり、読み手はこの"majorité"が"absolue(※絶対)"なのか"relative(※相対)"なのか推測する方法が一切ない。

もちろん、説明をつけることもできる。英語という言葉は、ルールライティングに関してより正確で的確に用いられるので、私が最初からプロトタイプを全て作っている主たる理由となっている。多言語版を印刷のために数千部を加えて、印刷所から安い単価を引き出すために、翻訳は急いで行われることが多い。原語のルールが、デベロップの間に数百回の確認と校正がされているが、翻訳は常に校正されているとは限らず、実際のプレイヤーに確認してもらうことは滅多にない。しかし、本当の理由というのは、多くの出版社が自分たちで翻訳をしたり、(※報酬として)数個のゲームを渡して、プレイヤーに翻訳を依頼したりすることにある。このことは、ゲーム、プレイヤー、ゲームデザイナー、そして当然ながら言語に対する軽視の顕れである。

ただ、こういった説明は言い訳にはならない。出版社、特にフランスの出版社が真剣にルール翻訳について取り組み始める絶好の機会である。

出版社、それ以上に頻繁なのはデザイナーだが、土壇場での変更も問題となり得る。私もそういったことを何回か行ったことは認める。翻訳のためにルール一式を送った後で細かいルールの修正がされると、全ての翻訳者にそれが伝えられて、翻訳者はこの細かい変更を適用しなければならなくなる。このことによって、誤りや矛盾を引き起こす可能性がある。翻訳者はこれをかなり嫌っている。

簡単な修正

ゲームのルールは文学的であり専門的な(technical)文章でもある。この2つのことは、能力のある人によってルールの翻訳をしてもらう理由となる。大抵は、ゲーマーでもあるプロの翻訳者になるだろう。フランス語の翻訳については、Tric Trac Showの動画で話をしていたAntoine Pronoを提案するが、そのほかにMathieu RiveroやBirgit Irgangも知っているし、それ以上の数の良い翻訳者がいるだろう。もちろん、費用が追加されるが、ますます多くの出版社が翻訳費用を支払い始めるとなれば、彼らは、プレイのしやすさ、評判、それに当然のことだが売上の観点から勝ち取らなければならないものを理解していることになる。ゲームのルールは文学的であり専門的な文章でもある。このことは、プロの校正者に正しく直してもらうべき2つの的確な理由となる。しかも、翻訳であったならば、校正者に依頼する理由が更に1つ増えることになる。フランス語のルールについていうと、「Trollfest」の共同デザイナーであり、本当にボードゲームをよく知っている数少ないフランスのプロ校正者の1人であるCamille Mathieuを提案するよ。

多言語版というのはかなり少ない数しかない。多言語版は、ルールに疑念が生じた場合に、プレイヤーが元々のルールを確認することができるようになる。普通は英語のルールだね。残念だけど、こうすると、全ての箱内に紙の量が増えることとなるし、ルールだけでなくカードにも文章が記載されているような、多くの場合で最高に楽しくなる多くのゲームでは実際にはできない。
小さい日本のゲームが流行っている。日本語のルールの特異性(specificity)は、文章と図表との区別が西洋のものほど明確ではないことだ。翻訳が忠実でしっかり作り上げられている時でさえ、西洋のゲーマーは図表にしか説明されていない点を見逃す可能性がある。このことは、必ずしも、フランス語や英語に翻訳するために、小さい日本のゲームのルールを完全に再構築しなければならないというわけではない。ただ、このことは、例えば、小さいOink Gamesのルールとかを読む前に知っておいたほうがいい。

ゲーマーどもは何ができるのか?

アメリカの出版社は、大抵、ルールの翻訳に真剣に取り組んでいる。フランスのゲームの英訳は、アメリカのゲームのフランス語訳よりもはるかに優れているのが通常だ。ドイツゲームですら、フランス語訳よりも英訳のほうがずっと優れている。

この10年くらい、アメリカ、ドイツ、ポーランド、日本その他の国々から出版された新しいゲームを購入したいと思うと、たとえそれが高い値段になっていたとしても、機械的に英語版のルールを探す。私は、出版社がフランス語版で送ってきたゲームですら英語版を買うんだ。残念ながら、英語版の新作ゲームの主な購入先であったPhilibert(※フランスにある大手ボードゲーム販売店)は、段々とフランス語版しか売らなくなってきている。最近は、もっと高い値段で、イギリスから古めのゲームを買わなければならなかった。

こんな状況にもかかわらず、私のような、読解できないフランス語訳から距離を置いていて、BoardGameGeek上の英語ルールを探してきた人たちに同じことをするように呼び掛けるよ。多分、こうすることで、フランスの出版社は、正しい翻訳を制作することに力を入れるようになるかもね。

フランス語でフランスのゲームを翻訳するという矛盾

この記事は、今までゲーマーの目線から書かれてきた。ゲームデザイナーの目線からすると、全体的に馬鹿げた話になってしまう。私が英語のルールを書いたが、フランス語のルールを書いてないというゲームがいくつかある。

ドイツやアメリカの出版社が私のゲームの1つの多言語版を出版した際に、それは大体短くて単純なルールの軽めのゲームで起こることだが、私は、フランス語のルールを書いてもいいか尋ねることとしている。その後、校正者による修正が入るけれど。これは正当で理に適っている。フランスの出版社が、外国の出版社(普通は、アメリカの出版社となる。)から私のゲームのうち1つのゲームについてフランス語訳をする権利を得たとしよう。フランスの出版社は、私の同意を得たり、ましてや私に伝えることなく、自分たちで翻訳を行うか、誰かに翻訳を依頼することが多い。何回か、私がこのことを聞いた時には手遅れで、ルールを正確に校正したり修正したりすることができなくなったことがある。

法的視点:アメリカ法とは異なり、フランス法では、著作者の権利を財産的なもの(patrimonial, ※フランス語ではpatrimoniauxだが、英語と意味が異なり、英語でいうところのproprietaryに相当する。所有権的なものというのが直訳であるが、所有権が譲渡自由であると直感的にはわかり難いので、通例に従ってこのように訳している。)と人格的なものの2つに分けている。財産的権利は、ロイヤリティをもらうことで著作者から出版社に売却されるが、人格的権利は売却することはできない。このことは、いかなる出版社もディストリビューター(※卸売と解して差し支えない。)も、著作者の同意なくして創作物に大幅な修正を加えることはできないことを意味する。この法律は、映画監督が、世界のほとんどの地域ではスタジオ独自のカットで映画が公開されていたにもかかわらず、フランスの会場においてオリジナルカットで公開するために用いられたり、作家が自分の文章を短くさせないために用いられたりしたことが数回ある。この規定は、デザイナー自身のフランス語のルール一式の使用を、出版社が拒否できなくするための法的手段となるかもしれない。

遅すぎた場合であっても、私は、こういったことが起こったら、機械的に、出版社に対して抗議している。時として、出版社は驚いたような反応をすることもある。ほとんどの出版社は謝罪した上で、私に連絡することなんか思いもつかなかったと反論してくる。フランスのデザイナーにフランス語訳させるなんて考えたこともなかったと。私は、あんまり信じてない。私は、時として海を渡ってゲームが逆輸入される唯一のフランスのゲームデザイナーでは決してないからだ。他の出版社は問題だとも思わないようだ。最近、とある人から、私と契約しておらず、アメリカの出版社と契約しているだと回答があって、私の胃のむかつき(qualms)なんか気にしないようだった。私は、彼には、その価値に見合う成功が全て得られることを願っているよ。

何度か、英語でゲームのルールを書いたが、フランス語のルールは書いてないという馬鹿げた状況で終わったことさえある。私は、元々のデザイナーが、元々の言語での翻訳を担当すべきだとは言ってない。けれど、最初に元々のデザイナーに意見を聞くことは最低限の礼儀としてあるべきだろう。特に、出版社によってルールの修正が多くなされ、翻訳すべきルールがもはや私のものではなかった時に、多くの場合、プロの翻訳者に取り扱ってもらって、校正と訂正のための十分な時間が与えられる方が好ましいと思っている。去年、Ielloと「Vampire: The Masquerade – Vendetta」で一緒に仕事をしたけど、そんなやり方だった。そして、その作業工程は、スムーズで効率的であったし、大いに楽しめた。

より大きな問題

問題は、翻訳にあるだけではない。フランス語のゲームのルールは、不必要な副詞にまみれた長くて不完全な文章となっており、ひどい形で書かれていることが多い。比較すると、英語のルールは、短く、明確で、非の打ち所がない。真に判断することはできないが、ほとんどのドイツ語のルールも素晴らしいものだと言われている。複雑で下手な文章は読むのが不快であるし、理解するのも難しくなる。ゲームのルールにおいては、小説、エッセイ、ブログの投稿のように不快で不明確な部分を読み飛ばすことはできない。これに加えて、翻訳に誤りや曖昧さがあると、プレイヤーがボードゲームを遊び始めようとする気持ちを簡単に削いでしまいかねない。ゲーム出版社、特にフランスの出版社は、アートやレイアウトに気を配るのと同じくらい、ルール、表現、翻訳にも気を配ってほしい。ゲームやゲーマーにとって、とても重要なことなのに、そういった希望から非常にかけ離れた現状にいる。

私は、自分でこの文章を英語に翻訳し、誰からも校正を受けていない。その結果が完璧とは決していえないことは分かっている。みんなはお金を払って読んでいるわけではないし、ゲームのルールだはなく単なるブログの投稿なので、敢えてこのようにしている。ある文章が完全には明確でないとしても、読み進めて一般論を理解することはできるだろう。ゲームのルールを読む際に行なっていることとは違うからね。

以上

※Bruno Faiduttiの記事としては、ほかに以下のものがある。

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