大人 ‐ ハイジ ‐

犬や猫であれば基本中の基本を身に着けたら独立します。人間は基本中の基本を身に着けたら価値びます。これが動物人間との違い(差)です。あなたは私と異なる見解をなさってらしゃるかも知れません。異なる見解にも関わらずあなたのどちらもハイジを認めているとしたら?その場合は両者が認めている意味(中身)が異なっているという事になりませんか⁉独立は独り立ちです。価値を学ぶとは哲学することと言い換えて構わない。

独立の条件(基本ライン)は基本中の基本を身に着けること。犬であれば成犬になること。人間で言えば大人になること。ハイジは5歳にして大人でした。畜生は奪い奪われの弱肉強食の世界を生きるから生存競争に勝つための能力を具えなければならない。人間は共生する世界で生きますからじるベキをじる知恵を具えなければならない。5歳のハイジにはその知恵が既に具わっていました。そこに哲学で更なる磨きをかけることになる。

さて、あなたは何を信じますか?「お金は裏切らない」という人が日本に大勢いらっしゃいますが、あなたは如何でしょう?使いかたを間違わなければこの世界に危険なものは何もない。使いかたを間違えて事件になるのです。そんなことも分らない成人が日本には大勢いるのです。その人に知恵が着いていないのは信じるベキを知らないからであり、また哲学しないからです。その人は大人でなく、ハイジのレベルに遠く及ばないのは明らかです。

ハイジのお祖父さんは大人にならずに社会に出ていった。それで財産をすっかり失って、名誉挽回する意味もあって傭兵になったと考えられる。そのように落ちぶれる中で人生の哲学をしていった結果、信じるべき対象をある程度んで身に着けたと言えるでしょう。故郷の村の教会の牧師は信じる対象でないと感じた。ハイジの叔母デーテも信じるベキ対象たり得なかった。ハイジとは少し一緒にいて、信じて大丈夫(な大人)と感じたのでしょう。

大人のハイジは会って程なく信じるベキ対象のお祖父さんだと分った。私の想像だが息子を立派な大人に育てたお祖父さんの人柄が感じられて、それでハイジはお祖父さんを信頼できたのだと思う。大人になるための家庭に恵まれなかったお祖父さんだったことは疑いありません。誰を信じるべきか、何を信じるべきか、お祖父さんは知らなかったが、息子やハイジをく育てるべき環境を提供する知恵は身に着けていたことが分るでしょう?

あなたは教会だから大丈夫とか、牧師だから大丈夫とお想いかも知れませんが、確かに入り口には教会と書かれてるし、牧師は牧師の服を身に纏っている。そんなあなたは星の王子さまのなかのフレーズを振返えられては如何だろう?サン・テグジュペリは「心で見るんだ。もっとも大切なものは目では見えないんだ」との口を借りて王子(≒私)に教えます。ハイジもお祖父さんも心で見る境涯に至っている。成人は心でしっかり見たいものですね。

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