論理と感性の狭間で模索するB&Hのアートディレクター富田の思考
今回は、B&Hのデザインチームを率いるアートディレクターの富田さんにお話を伺いました。
同社でブランドデザインを追求する傍ら、音楽や飲食業など多岐にわたって活動する富田さん。その幅広いスキルとセンスは一体どんな道のりを経て磨かれてきたものなのか、日頃からどんなことに関心を持ち、何を考えているのか。根掘り葉掘り聞くことあっという間の3時間。
アートディレクターの役割、言葉との向き合い方、作るとは、表現とは、作家性とは、文化とは、理想の働き方とは。同業の方はもちろん、デザインのことは専門ではないけれど普段デザイナーとコミュニケーションをとる立場にある方、B&Hに関心のある方にぜひご一読いただきたいお話です。
駆け出しデザイナー時代
ー B&Hに入る前のご経歴を教えてください。
1社目は京都にあるウェブ制作会社でした。そこは基本的にECサイトの更新案件とか、キャンペーンとかコーポレートサイトの制作がメインの事業会社で、デザインとコーディングをやっていました。でもコーディングはちょっと向いてなくて、あんま好きじゃなくて。だんだんデザインの方に振っていった感じです。
基本的に人も良くて、働く環境としてはすごくいい会社でした。実務でいうと、1日で何か仕上げて、最長でも2日ぐらいでキャンペーンのLPを作るような感じ。あとは代理店から降りてくる大企業向けの案件がたまにあって、そういうときは遅くまでやるとか、ちょっと無茶な働き方もしてたかもしれないですね。まあでも言うほどめちゃめちゃ激務って感じじゃなかったので。
最初の3年ぐらいは他の仕事を掛け持ちながらだったんですよ。イベント会場とかライブハウスでオペレーターやってる人いるじゃないですか。ああいうバイトも並行してやっていました。
ー 大学では何を専攻されていたのですか。
京都精華大学っていう美術系の学部がたくさんある大学の人文学部で、映像とかファッション学とか民俗学とか、結構幅広い範囲の学問に触れるようなところでした。一応デザインとか芸術関連の知識も扱うんですけど、専門的なことを学ぶようなところじゃないので就職率がかなり低くて。学内には芸術学部とかデザイン学部とか建築学部があるので、そういう専門的な授業も選んで受けたりはしていました。その中でやっぱりデザインは好きでした。
元々は美大に行きたかったんですけど、デッサンの実技とかは学んでいなかったので。でもそういう総合的な芸術大学だったら、デザインのことも学べるかなと思ってそこに決めました。いざ入ってみると、いろんな文化について調べるような授業が多かったです。
ー そこからどのようにしてデザインの道へ進まれたのですか。
うちの学部は、就職率3%っていう日本で一番低いところだったんですよ。みんな就活してたんですけど、私は一応デザインの方向でやっていきたいなというのはなんとなく決まっていたので、そんなに就活はしていませんでした。単位をだいたい取り終えた後、半年ぐらい自分で勉強してある程度は身につけて、あとは職場で学んでいった感じですかね。
ー デザインの独学はどんな風にしていたのですか。
デザイン系の就職って基本ポートフォリオが必要じゃないですか。作品がないと何ができるのか理解してもらえないので。まずはポートフォリオを作るっていうのが最初の段階で、その中でグラフィックもウェブもというふうに範囲を広げていきました。
ー その頃からウェブも自主制作されていたのですね。
そうですね。当時はウェブがこれからって感じだったんですよ。十何年前なんでね、まだメインはどちらかというとグラフィックで、広告会社とか、いわゆるデザイン会社とか、そういうところに応募していました。なので、グラフィックもやりつつ、時代を見据えてウェブも勉強しつつという感じで。バックエンドはあまりわからないですが、Wordpressのウェブサイトとかを作れるようにはなっていました。
ー そこから今取り組まれているようなブランドデザインへどのように移っていったのですか。
やっぱり代理店のキャンペーン・LP案件となると、いかに数字が取れるかに目が向くので、ブランドのことを考えた制作はあまりなくて。作っては捨てるみたいな、なかなか思うようにデザイン業務を継続できないケースも増えていたんですよね。どうしてこういうデザインになるのかというロジックがあまり立ってないようなことも結構ありました。
それで当時、もう少しブランドに寄った制作を個人で請け負ってやっていたんですね。友達の実家のお店のロゴやサービスサイトを作ったり、アパレルのお店の立ち上げをデザイン面で手伝ったりしたのですが、そっちの方が楽しかったし、やる意義があるなと感じて。それから何をデザインするかという面でシフトしていきました。でもフリーでやるにはなかなか知識量が追いつかないので、ちゃんと会社に入ってやっていこうかなと思い、何社か探してB&Hに入りました。
ー ちなみに音響の仕事はどういった経緯で並行されていたのですか。
親父が音響関係の仕事をやっていて、私自身も中学くらいから音楽をずっとやっていたんですよ。何かしら音楽に携わることで仕事していきたいみたいな気持ちはあったんですけど、それも専門的な勉強をしないとなかなか難しいので。実際に親がやっているのを見て、自分もバイトとして現場を経験して、やっぱり体力仕事ではあるな、これずっと続けていくのは結構大変だろうなと。
あとはどちらかというとプレイする方が好きで、大学時代はほぼ音楽しかしてないような状態でした。裏方の音響はバイトとしては楽しくやってたんですけど、本業としてやるにはデザインの方が楽しかったという感じです。
ブランドデザインを学ぶためB&Hへ
ー B&Hに入られたときの決め手は何だったのでしょうか。
確か今言ったのと同じような話をしたんですよ。「現状やっていることがちょっとデザイン業界の墓場みたいに感じている」とか「個人としてはかなり時間と労力を使ってデザインを作るのに、実際それが何の役に立っているのかあまりわからない」とか「現場の人がそういう制作を続けているとやっぱり、やっていることの無意味さをどうしても感じてしまう」とか。ちょっと虚無に近いような感じなんですかね。
たぶんそういう話をB&Hの面接でしてたんですよ。そうしたら当時B&Hにいたディレクターの方が結構咀嚼してくれたんですよね。自分の気持ちとか、業界への疑問とか、どうしたら楽しくデザインをやっていけるかとか。仕事としてブランドを作ることにどうしたらシフトできるかを話していたときに、一番噛み砕いて話してくれたのがその方だったんです。
面接受けてた当時、ブランディングを意識した事業戦略を語ってくださった会社もあったんですけど、実際どんなフレームワークを使っているのかといった話はあまり出てこなくて。その中でもB&Hは、フレームワークについても話してもらえて、こういう考え方でやってるんだなというのが一番明確だったかもしれないですね。これからどうやっていきたいかみたいな会社の方針もある程度見えたので。
個人でブランド作りに取り組んでいたとき、 こういう場合はどうしたらいいんだろうみたいなことは本で学ぶしかなくて。解が見つからないままデザインで攻略していた部分もあったので、もっと言語化して理論的に体系化できるような方法はないかと探していました。それでやっぱりどこかで学ぶのが手っ取り早いのかなと思ったのが、会社に入ることにした理由です。
あとはウェブ起点でブランドのことを考えているという印象が強かったことも決め手の一つでした。まだ当時はウェブをあまりやっていないブランディング会社が多かった印象で。B&HはLPからスタートしてるんですよね。ウェブ起点でブランドのことも考えているというのが当時の印象でした。私もウェブのことを3〜4年間やっていたので、ウェブ中心でないと転職は難しかっただろうなというのもありました。
資産化するデザインとは
ー B&Hに入ってからのお仕事にはどんな変化がありましたか。
さっき「墓場」と表現していたのは「消費されるデザイン」なんだろうなと。数字を追うばかりでブランドのことが考えられていないデザインを、私は早い段階で体験して疑問を持ちました。結果数字は取れるんですけど、長期的な目線で考えられていないので、ブランドの育成とか、どうあるべきかみたいなところがやっぱりちょっと欠落していくんですよね。
一方で資産化するデザインは、ブランドのあり方みたいなところ。今よくパーパスとか言われてますけど、B&Hも昔はWHYを起点にしたゴールデンサークルを使ったフレームワークを使ってました。最近は、ブランドの人格を表現するというか、アイデンティティを作るっていうもっと根源的なことをやっているのかなと。そのブランドがどうあるべきで、自分たちはこうであるみたいなことって、自分一人では見つけにくいというか。企業としてはこうありたいんだけど、じゃどういう見せ方をしたらいいのかみたいな、そういう分析と戦略立案をお手伝いしているんだと思っています。
もちろんクライアントの事業の売り上げとか経営サイドのことも見ていかなきゃいけないんですけど、私はデザインの分野で動いているのでやっぱり、そのクライアントの「何者であるか」といった部分の強度を上げるみたいなことをやっていて、そういう意味で私は資産化と捉えています。
うちは納期も多分長い方ですし、基本的には短期でババっとやるようなものはほとんどない。あとは縦割り組織的な考え方をしないというのもあると思います。私はなるべくみんな並列でやれたらいいなと思ってて。制作の中ではよく、戦略を立てるのが上流で、手を動かす現場に近い方が下流なんて言われますけど、私はあんまりその認識がなくて。各分野の人たちがそれぞれの工程を担っているっていうだけなので。戦略があるとデザインはしやすいけど、戦略だけでは結局、視覚的に伝わる形に表現することはできないんで。
ー マーケティング的な定量リサーチとB&Hが得意とする定性リサーチのバランスについてはどのようにお考えですか。
定量的なリサーチはやっぱり、マーケティング目線でそのブランドのことを考えてるんですよね。会社を大きくするにはマーケティングは大事。そのうえで我々はマーケティングに目を向けていない、そのプロではないっていうのは認識していて。ここでぶつかってしまうのは仕方ないかなと。
こうあるべきという方向性は理解できても、その逆を行くようなマーケティング施策をしないと数字が取れないみたいな葛藤は、ご担当者の立場によっては絶対あると思うんですよね。そういう場合はどうにかすり合わせていくしかない。あるいはもうマーケティングに振り切ってもらうしかないというか、やっぱりななかなか難しいかなと思ってて。良いアイデアっていうのはもうその時その時でしかないので。
我々が突き通したとしても、マーケティング側からするとガタが出るのかもしれないですし。逆にマーケティングのことばかりになると、やっぱりブランドのあり方の部分がどうしても下がっちゃう。それぞれのプロがいるというだけなので、クライアントだから言うことを全て聞く、というふうには考えずに、その都度話し合ってベストなバランスを探っていくしかないのかなと思います。
ー とことん話し合うことで結果的に納得してもらえるケースの方が多いのでしょうか。
そうだと思います。やっぱり相性はあって、我々の信頼度がそこにかなり紐づいてくるのかなと思います。基本的にぶつかりはそんなに生じないです。ただ組織の規模が大きくなればなるほど、営業やマーケティング側とのコンフリクトは起こりやすくなるのかなと思います。各部門がはっきり分かれていて、その部門の責任を背負っている方だとどうしてもその目線が強くなって、大きくブランドのことを考えられなくなってしまう傾向があるのかなと。
とはいえ経営者の方と話すと部署の担当者の方とは違った反応が返ってくることもあります。やっぱりマーケティングもブランディングも全部大事にしているから、どちらか一方だけに振り切るわけにはいかないという思考になるのだと。あとはうちが何をやっているかを広報でき始めているのもあって、短期的に結果を出したいといったタイプのお話がそもそも来なくなってきています。そういう意味でもぶつかる回数はどんどん減ってきていると思います。
まずはやってみないと語れない
ー ご自身の制作スキルの幅広さについてはどのようにお考えですか。
できることとしてはたぶんwebデザインが一番強いんじゃないかな。あとはグラフィックも好きなのでずっとやっています。会社に属してブランドという大きな括りで仕事していると、やっぱその時々で必要なものが変わってきます。
たとえばパッケージデザインについては、FILというプロジェクトで急に制作スキルが必要になりました。本当にシンプルな箱のデザインは経験があったんですけど、がっつりプロダクトっぽいパッケージを作ったことはなくて。でもブランドのイメージ的に、パッケージもきちんとデザインの方向性に沿ったものを作りたいなと思って。それからどうやるかを調べたり、パッケージをやっている友人に聞いたりしました。
結局、自分の思っている形をそのまま作ろうとすると、最初は自分でやらないと、誰かにお願いするにしても指示するのが難しい。なのでまずは自分で図面を書き起こして、紙工会社にパッケージの展開図とかを作るデザイナーさんがいるので、その方に送って相談して、ちょっと手直ししてもらいながら作っていくというのが最初でした。
構造とか、どうやって作るかとか、 こういう細かいことをやるとこんな最終形になるとか。そういうのは自分ができないと人にコメントもできないなと思って、まずは自分でやるっていうのをずっとやってきたんですよね。エンジニアリングも結局、エンジニアさんにどう指示するかは、ソースコードをどう書いたらどうなるかを知ってないとわからないと思っていて。ふんわりした指示はできるんすけど、細かいクリエイティブのディレクションまではできない。
それはたとえば、平面のグラフィックにおいてもそうだし、映像とか音楽もそうですね。あとは写真とか立体物もそう。形があるものに対しては自分がやっているとよりディレクションしやすくなると思っていて。あとはものを作るのも好きですしね。それで今言ったようなアウトプットが少しづつできるようになりました。
音楽・バンドを続けているとデザイン表現も必要だなと感じる場面によく遭います。音楽においてもブランディングが重要な時代になったと感じます。MVを自分たちで作ったり、自分で監督をやったり、アートワーク作ったり、結局それも勉強になっています。そうやっていろんなことに手を出していたら、ある程度できるようになっちゃったっていうだけなんですけどね。
ー 撮影のディレクションについてはどのように学ばれたのですか。
写真は好きだったので、自分でカメラを持ってやっていました。この絵はどういうボケ方をしていて、被写体がこの距離であって、焦点距離はこうでみたいな写真の技法は大学でも学んでいたんですけど、いわゆる広告っぽい撮影を経験したのは今の会社に入ってからですね。
アートディレクターは最後の仕上がりを見るというか、コンセプトを立てて、どういう内容でどういうものを作りましょうっていうのを統括するような役割と捉えています。
技術的な視点はカメラマンさんが持っていればいいみたいな考えの方もいると思うんですけど、そうするとたとえば、仕上がりのボケ足が強すぎて実寸大がよくわからなくなってしまうみたいなときに、絵を見た時点でぱっと判断することができないんですよね、カメラをやっていないと。
本当は全体の雰囲気で捉えるアートディレクターでも良いはずなんですけどね。カメラマンも自由にしたいっていう人もいるでしょうし。でもこのボケ足もう少し弱くできたらもっと良くなるのにという場合に、具体的にこういうレンズの方がいいんじゃないかとか、この距離感の方がいいんじゃないかみたいな話ができるんで。
カメラマンさんも具体案があると取り組みやすいという人もいるし、ここまで細かく言わないでほしいなみたいな人もいるので、なんかどっちがいいかはよくわかんないですけど。でも自分の思い描いた理想には近づきやすいですね。だから手に職というか、技術を持っているということは、ディレクションの明確さに繋がるのかなと思います。
ー 最近はCMの制作も行われていますよね。
そうですね、会社として作れるものもどんどん増えていますね。CMの場合もやっぱり、自分が映像制作の経験があって、編集もカラコレもどうやるかをある程度知っているから、監督さんと比較的近い目線で話すことができているんじゃないかなと思います。
そのコミュニケーションで監督さんが自由になりすぎると、ブランドのことが少しおろそかになってしまう場合があるんです。作りたいものを作ってしまうというか。もちろんブランドの意図を理解した上で、自分の撮りたい絵を撮影指示してくれる監督さんもいるんですけど、やっぱり皆さん基本的には自分が作りたいものを作りたくて作家になっているとは思うので。
作家の考えとブランドとしての考えが一致していると、アウトプットは最高なものになるんですけどね。 基本的には、この人はブランドの出したいイメージと繋がりそうだなと思ったうえでアサインしているので、そんなにずれが生じることはないのですが。たとえば、そういうちょっとしたズレを修正するときに、横からちゃんと意見言える人でいないとなと思うので、作るものの幅が広がるにつれて、自分の視点や知識も広げることが必要だなと思ってます。
最近は3Dの勉強をしているのですが、やっぱり知らないと細かいことが言えないですね。手を動かしてみないと見えてこないことが多いです。どれぐらい大変かわかってると、依頼内容も少しケアできるというか。依頼するときに工数がある程度がわかれば、この部分は転用が利くから、ここまではお願いしても大丈夫だなみたいなことも見えてきます。なので結構コミュニケーションの効率化にも繋がってるとは思いますね。
コミュニケーションのあるべき姿
ー PM/ディレクターの髙橋さんは、クライアントと社内外の制作チームを繋ぐ立場として、ご自身の役割を翻訳者とおっしゃっていましたが、アートディレクターの役割も、コミュニケーションという切り口では髙橋さんのお話と共通したところがあるように感じました。
そうかもしれないですね。戦略担当は理解しているデザインの範囲がちょっと違うんですよね。よく戦略担当者やディレクターはデザインの方向性を決めてコントロールする側みたいに言われるときがあるんですが、それは結構おこがましいと思っていて。戦略担当者もディレクターも手を動かす方のデザイン業務はできない場合がほとんどなので。
さっきも言いましたが、やっぱりある程度は実際に作るということが自分もできないと、本当に作れる人にきちんと伝えられないです。結局、最終的なアウトプットのディテールを詰め切るところっていうのは、私ではなくカメラマンだったりするんですよね。 私はただその指針を作っているだけで。最後にバシッとこの形この色って決めているのは、手を動かしている人ですよね。
なので戦略担当者は、デザインの方向性を決めるというよりはやっぱり、戦略を作っているのであって、私はその中のアートに関する部分のディレクションをしていて、デザイナーはそのデザインをしている。区分間のグラデーションはあるけれど、各区分を作り上げているのはそれを担っている人たちだと思っています。
何が言いたいかというと、やっぱりどうしてもコミュニケーション上、戦略側の声が上になってしまいがちなんです。社内でもたまに、デザイナーに戦略を理解してもらえないという課題感にぶつかることがあるんですけど、デザイナーはデザイン側の目線でそのブランドを見ていて。そのうえでデザイナーからのアプローチがあるから、最終的なアウトプットが仕上がっています。
そう考えると、戦略やディレクションを担う側と実際に作るデザイナーが本当に50%:50%で関係値を保たないと、良いコミュニケーションというのはたぶん一生叶わない。「デザイナーは戦略をより理解しなくちゃいけないし、戦略家はデザインをより理解しなくちゃいけない」というのではなく、対等な目線を持つことが大事なんじゃないかなと。私は特にそういう並列な思想が強いのかもしれないですが、B&Hとしても今後きちんと向き合っていきたい課題なのかなと思っています。
作るときの論理と感性
ー 作るということについてはどのようにお考えですか。
先日ちょうど都内で作家さんが販売に立ち会うようなイベントがあって。ギャラリーに作品を置いた場合、販売はギャラリーの人がしたりするじゃないですか。そうではなくて、作家さんがその場でちゃんと作品のことをその場に訪れた人に伝えていくというイベントで。
実際に作家さんと話していると、作家さんは作ることを抽象的に捉えているのかなと感じました。結構自分の気持ちを映し出すためとか、心の整理のためとか。人はそこに共感して、その作品を好きになるというか。作家さんってそういう意識が強めなのかなと。自分の作りたいものを作るというか、自分主体というか。なのでそこに理屈ぽいものはないのかなと。
マーケット目線が強い人は、こういう作品だったら市場的に売れるとか、人気になるとかも意識しているのかもしれないですが。特にギャラリー側とかはやっぱりそういう意識も必要だろうとは思います。あの作家さんが売れるためにはどんな取り上げ方をするといいかってやっぱり考えるじゃないですか。でもその売り込むための戦略と作品に込められた本意があまり交わらないことも結構あるんじゃないかなと思います。
カメラマンさんの中にも、とにかくこの構図が良いみたいな感覚だけで撮ってくれるような人がいます。こういう絵が撮りたくて、こういうことを説明するために、こういう絵が必要でっていうのはデザイナー側の理論だったりするんですけど、それを超えてこの絵が本当に綺麗だからっていうのでポンと撮ってくれる写真家もいるんです。それはいわゆる二律背反というか、両極が綺麗に交わるポイントなのかなと思っていて。
理論的なものを私が受け持って、カオス的なものを作家さんが出してくれるのだとすると、私はただそのストラクチャーを作っているだけ、構造化させているだけ。作品自体が醸す雰囲気に目を向けている人は、まず最初にそれを感じ取ろうとするので、理論が理解されるのはその後じゃないですか。
作品も説明されるとげんなりしちゃうみたいなこともあるし、そもそも絵の強さって説明できるものじゃないですよね。そこを私が担ってしまうと結構まずいと思っています。アート作品に限らず、何か作るときはいつも、理論的なものと作家が発揮する感覚的なものはなるべく分離しようとしているところがあるかもしれません。
ー ビジネスにおけるアート的な思考についてはどのようにお考えですか。
これもさっき言ったことに近いかもしれないですが、デザインのことはデザイナーが一番わかっていて、アートディレクターはただそれを変換しているだけなんだと個人的には思います。「戦略的にこういう理由でこうあるべき。それを体現できているブランドとしてこんな例があって…」みたいなリファレンスは用意するんですけど、実際のところ体現方法はそのリファレンスだけが正解というわけではなくて。やっぱり文化的にアップデートしていかないと、受け手が感じる驚きやインパクトはなくなっていくと思うんですよね。「あ、なんかこの感じ知ってる」という既視感があるとどうしても単純にいいなって思えないことがあります。
やっぱり既存のものを参考にし過ぎると、カオス的すごさは出せないし、心に入ってくるようなものを作ることもなかなか難しくて。とはいえ戦略的には、既存のものを机上に上げるしか、説明する術がないじゃないですか。こういう方向性でこんなトーンがこのブランドには合っていそうな気がするっていう話をストラテジックプランナー(以下、ストプラ)がしてくれるんです。それをデザイナーの知見的に解釈していくと、 こういう表現もできるだろうし、こんな表現もその方向性の中に入り得るだろうっていうのがどんどん広がっていくんですよね。
デザイナー的な解釈はどんどん広がっていくので、 もちろん他の案件も並行しながらですけど、1ヶ月ぐらいはずっとそのことについて考えてるんですよね。初回のデザイン提案までの期間は、こういう解釈もありだな、これはちょっと難しいみたいなことがどんどん浮かんできて、それらがばーっとマッピングできてきたときに自分なりの解がポンと出てくるんです。
ただその解は、初めに提示されたリファレンスとはちょっと離れたものに見える場合があるんです。自分としてはそれが一番しっくり来ているんだけど、ストプラからすると「おお、そう来たか…」みたいな感じになっちゃうんですよね。そうするとやっぱりストプラにもお客様にも、言語化しないと伝わらないということはどうしても起こります。
ー デザイン提案でも言語化に注力するのはB&Hの特徴なのでしょうか。
どうなんだろう、わからないですね。たぶんうちみたいな範囲でブランド案件をやっているところがあまり多くなくて。B&Hは一番最初のデザイン提案の時点で、ブランドのトーンが全部セットになった状態まで仕上げるんですよね。ウェブデザインもするし、アートワークもやるし、 ロゴもやるし、グラフィックも含めてカンプを作ります。その範囲で提案しているっていうところはあまり聞いたことがなくて。でも実際、我々がこうやってますということ自体も他の会社さんは知らないと思うんですよ。だからお互いにそれぞれのやり方を知らないだけかもしれないですが。
一応うちは、戦略を立てるストプラとデザインをする人と担当領域が分かれているのですが、ここを分けているのも珍しいかもしれないですね。一人のクリエイティブディレクターが戦略もデザインもある程度決めて突破するみたいな形でやっているところの方が多いんじゃないかな。日本は結構クリエイティブディレクターが兼業しているデザイン事務所が多いですよね。
ー アートディレクションにおいても言語化への配慮が要なのですね。
アウトプットに対する自分とクライアントの納得度をいかに上げられるかを考えると、言葉や図案で説明するしかなくて。ブランドのことを考えつつディレクションするとはいえ、どうしても私のエゴが入ってしまう部分はもちろんあって、それをどう理解してもらうかは、やっぱりコミュニケーションするしかないと思うので、きちんと言語化することは意識しています。
多分ストプラ側も、デザイナーに戦略を理解してもらえるように気をつけているところがあって。クライアントに対してもそれと同じような姿勢でやっているという感じですかね。そういったコミュニケーションの方法は資料の内容も含め案件ごとに異なるんですよね。今回はこれを伝えないといけないし、まずはこの部分についてクライアントの意図を汲まないと、そもそも先に進めないだろうな、みたいなところを一番考えていますね。
とはいえ、一目見ただけで伝わるようなアートディレクションが本当は一番良いと思うんですけどね。言語化言語化っていうけれど結局、視覚化すること自体が最終的に求められているアウトプットではあるので。
戦略はとにかく言語化しないといけないじゃないですか。アートディレクションにおける言語化って本来はアート化することなんですよね。非言語で表現したものをまた言語化しているわけなので、すごいチープなことしているなとは思うんですけど、仕方ないのかなと。
タッチポイントと言葉の蓄積
ー 表現における言語化の必要性についてはどのように捉えていますか。
少し話が飛んでしまうかもしれないですが、Braxton Cookというサックス奏者でR&B歌手のアーティストがいるんですけど。R&Bとジャズの狭間で迷っている、アイデンティティが確立されてないみたいな意見を聞いたことがあって。でもそれが最高だとも言われていて、歌うこととサックスを吹くこと、いずれも音楽という括りの中にはあるものの、全く別の表現。その2つがないと本人的には表現として昇華できなかったのかなと。
さっき話した作家さんは言葉を大事にされる方でしたが、表現の最終着地点みたいなものに言語は必要ないと思っているかもしれない。表現を受け取るときの感覚って、やっぱりどうしても触れ方次第で変わるじゃないですか。Braxton Cookをサックス奏者と思って曲を聴くと、歌うし、曲もR&Bっぽいし、ジャズ?って思っちゃうんですけど、でもその狭間で揺れる姿が最高という記事を読んでから聞くと、また違った感情で聞くことができるというか。
言葉があることでより素晴らしく見えるのか、野暮ったく感じてしまうのかは、触れる側面で変わるものだと思っています。言葉を添えることで成立するアートなのであれば、それは表現として必要な言語化なのだろうし。バンクシーを挙げるのはちょっとベタですけど、彼は絶対言わないじゃないですか。見る人の解釈によって成立していて、それが最高だと言う人もいますし。受け取る側の状況や見る角度に過ぎないというところで個人的には帰結していて、どっちがどうだというよりは仕方のないことなのかなと。
たとえば、先ほど例に挙げたギャラリーイベントでの話に戻りますが、私自身としては正直どんな方がどんな想いで作っているかにはそこまで興味がなかったんです。というのも、その作品自体のオーラがすごく好きで、それだけで良かったんです。話を聞くときにちょっと怖かったのは、その内容によっては作品を好きじゃなくなってしまうんじゃないかなと。
結果的には、作品の背景を聞いた後も違和感はなく、やっぱりいい作品だなと感じたんですけど。もしそれが自分の受けた印象と全然違うストーリーだったら、作品を買わなかったかもしれないなと。結局、自分がそのとき持っている解釈度合いに委ねられちゃうから「アートって難しい」となってしまうのであって、仕方のないことなんだなと、その作家さんとお話しした後に思いました。
音楽も本当にそうなんですよね。ドラムのリズムパターンを説明することはできるんですけど、どんなにその説明が上等なものであっても、グルーヴやフィールがないと説得できないじゃないですか。表れたもののクオリティが相当高くないと結局は言語化する意味もないっていうのは大前提になるのかなと。
逆のタイプのアートもありますよね。たとえば石ひとつポンって光のあるとこに置いて、それをバーっと解説するような作品もあったりするじゃないですか。
たぶんその作品を買う人はそのストーリーに重きを置いているってだけなので、タッチポイントが違うだけなんだなと。私は単純に絵が素晴らしいって感じないとそもそも作品として成立しないってどこか思ってしまっているところがありますね。
アートの場合、あまり説明がすぎると見方が狭められてしまって面白さが損われてしまう。だからと言って説明を抑えると、受け手の判断力が求められる。ビジネスにおけるアートディレクションの場合は、完全に見る人に判断を委ねて、意図しない受け取られ方も許容するということは現実的に難しいので、説明的な表現を含まないとなかなか受け入れられにくいのは、どうしても仕方ないところかなと思います。
ただ面白いなと思うのは、いわゆる暗黙知みたいなところですね。何度もやりとりをしているパートナーさんやチームのメンバーとは「なんか丸っこくて〜」みたいなちょっと稚拙な会話でも認識ズレがどんどん生じなくなってくる。そんなに言語を使わなくても意味の受け取り合いができる感じで。
でもそれは苦労して言語化し合ってきた積み重ねがあるからこそできているんだろうなと。なので、そういった暗黙知の蓄積のない相手との意思疎通、特にビジネスでは言葉のキャッチボールの質と量が必要なんでしょうね。そうするとやっぱり言語化は大事っていう話になりますね。
肩書きを定義する難しさ
ー 改めて、アートディレクターとはどんなお仕事だと思われますか。
名前に「アート」がついているので、どうしてもアートとは何かから考えることになるんですけど、本当はもっと狭義なんですよね。いわゆるweb制作の会社のアートディレクターはwebにおけるトップデザインやトーン全体を作る人で、広告系のアートディレクターは広告の絵を決める人ですよね。だから思想的なものを含んだアート表現を考えることは、ビジネスの世界のアートディレクターにはそんなに求められていない。
その絵を通して何かが伝わるのが重要という意味では変わらないですが、いわゆる日本のアートディレクションってたぶん、そんなに言語化を要することがないんですよね。ロジカルに説明しなさいという場面があまりなくて、「こっちの方がこういう雰囲気なのでいいと思いました」みたいな感じ。
うちがやっているのは、そういう広告的なものに対するアンチテーゼみたいなところもあるのかもしれないですけど。今はアートディレクターという肩書きでやっているものの、もちろんビジネスサイドのことも考えたりはしているので、クリエイティブのディレクション全般みたいな感じで捉えています。
ー どんな肩書きだとよりしっくりきそうでしょうか。
何でしょうね。アートというよりは構造に関わることもやっていて、携わる範囲が増えていってるので、全部ひっくるめようとするともう、デザイナーでしかないんですかね。言葉もデザインするし、目に見える形もデザインするし、機能的な部分もデザインするので、たぶん「デザイナー」なんですよね。
肩書きは迷っていますね。この前、monopoのセッションに登壇したときに、別の会社のアートディレクターさんから「アートディレクターっていう言葉が広義すぎて、自分は何のアートディレクターって言ったらいいか」みたいな質問があって。そこでも考えたんですけど、やっぱりちょうどいいものが見つからないなと思って。結局また携わる領域が広がると、たとえばそれが映像だったりすると、アートディレクターはいわゆる美術さんとかになってきますよね。
だからちょっとややこしい。何の仕事してるんですかって聞かれると本当に言いづらくて。チープに見られるのはいいんですけど、勘違いされるのはちょっと嫌だなと。だからもうやっていることを羅列するしかないか…っていう気持ちです。
表現活動のタイプと動機
ー 音楽の活動もされていますが、何かを表現するということについてはどんなふうにお考えですか。
たぶん結局みんな、自分が何者か知りたいじゃないですか。もう20年ぐらい音楽をやっていて思うのは、一口にミュージシャンと言っても、いろいろなスタイルのミュージシャンがいて。スタジオミュージシャンは、その楽曲が成立するように巧く演奏することが求められると思いますが、それって結構デザイナーにも通ずるところがあるかなと思っていて。こんな特徴があるというよりは、こういうリズムも叩けるし、こういうメロも弾ける、万能的で個性が強すぎない人みたいな感じ。もちろんめちゃくちゃ上手い人はいずれにしても重宝されると思うんですけど。
たとえばシンガーソングライターだと、その人ならではの音やリズムがある。曲を聴いただけであの人かなとわかるくらい。それは結構作家さんに近いなと思っていて。言葉の定義としてはそっち側の人を私はアーティストぽいなと感じてしまいます。
ミュージシャンのサポートでアートワークを作ったりとか作家寄りなこともするんですが、どちらかというとオーダーに応えるというか、一つの命題に対して私なりのアンサーを出すみたいなことを、音楽の方でもやっていて。作家としてゼロから自分の気持ちを表現するみたいなことは得意じゃないなと最近気づき始めています。
簡単に言うと、自分でギターを弾きながら自分が作った歌を歌うのはできない。歌を作って、歌いたい人の横でギターを弾くことはできるんです。何かを表現したい人の表現を担うみたいな。自分のやることとしてはそれがいいのかなと思い始めていて。だから作家さんへの憧れがすごくあるんですよね。
作家さんってある程度は動機があると思うんですよ。ポリティカルアートの批判的な表現もそうだし、これをしたいと駆り立てられて、自分の表現としてみんなに知ってもらいたいとか、評価されたいっていう方向にどんどん続いていくようなイメージだと思うんですけど、どうやら私にはあまりそれがないっぽくて。自分がなりたいものとしてアーティストを意識できたことはないんです。でもやっぱりそういう人たちはすごいなって漠然と思っているので、何かを生み出せる人を尊敬しています。
ー 作家的な衝動って何か段階を追って湧いてくるものなのでしょうか。
もしかしたら、段階というか、きっかけ次第なんですかね。急にやり出すかもしれないなとは思ったこともあります。作ることに対する技術的な手段はある程度持ってて。ただ別に何かを吐き出したり、誰かに伝えたいみたいなことが特にないからやっていないだけで。
でも作家とかアーティストと言ってもいろんなジャンルがありますよね。陶器の作家さんとかはどちらかというと、思想とかメンタル的なことの表現というよりはプロダクトを作る職人さんという要素の方が多いでしょうし。
売れたらいいなというのは、一つの目標として皆が思うところではあるのかなと思ってて。音楽業界でも売れるのは一握りで、それでもずっと続けている人たちの中には「自分を表現するにはこれしかない」と言う人もいて。そういう彼らにはもう自分のアイデンティティというか、どうありたいかみたいなことが見えているんですよね。だからやっぱりすごいなと思いますね。そういう人と一緒に何かをできるっていうのは本当に面白いです。
私の場合は、デザインとか音楽を通して自己観察をしているようなところもあるかなと思います。自分は何が好きでどんなことに喜んでいるか、そういうことに興味があります。意外とこれ好きじゃんみたいなのが見えてきたり、苦手なことをちょっとやってみて、やっぱりこれ嫌いだなと分かったり。自分のことを知るのって一番難しいと思うんですよね。得意な人もいるでしょうけど。
ルーツを探って体系を知る
ー 日頃のインプットはどんなふうに行っていますか。
新しいクリエイティブの会社とか家具ブランドとか、写真家とか映像作家とか、それぞれのルーツとかを調べて分類するようにしています。
B&Hはアーキタイプを使っているじゃないですか。あれも雰囲気を言語化して誰かに共有しやすくする手段ですよね。「〜っぽい」っていう分類ができればいいと個人的には思っていて。みんな共通して持っている何かに対する「〜っぽさ」みたいなものがあると思うんですけど、それを掴むと相手が何を欲しているかが「〜っぽさ」で理解しやすくなります。
たとえば好きな家具とかをばーっと言われると、どこかの系統に寄っていることがあります。 イタリアの建築家が作ったような家具ブランドが多く出てくるな、ということは、ちょっと色が多くてユニークな形をしているものが好きなのかなとか。機能主義じゃなくて自由な発想を好む方なのかなとか。
この家具はどこ由来のもので、どんなデザイナーが作っているのか。この写真家はどこの出身でどんな環境で育ったのか。カメラの機材まではちょっと調べられないんですけど。建築家の場合はどういう派生の思想から勉強して独立された方なのか。あとは料理もそうですね。どこの伝統文化が反映されているのか。これは中東系の香辛料を使っているのかなとか、ご飯屋さんで気になったときはその場で聞いたりもします。
あとは、クライアントの事業に対する理解のために案件ごとに関連書籍を読んでいます。デザイン書はもちろん、最近は建築の案件が多いのでその領域のことを体系的にまとめたりもしています。
たとえばFDMさんでいうと、建築のことに関して3〜4冊必要な書籍があったので読みました。今やっている案件もまた建築なので、また別の書籍を読んだり、提案時に必要なデザイン側のインプットをその都度行ったりしています。
文化への関心ときっかけ
ー お仕事関連に限らず興味関心のある領域について教えてください。
宗教とか文化体系を学ぶのがすごく好きなので、それから派生しているものは気になりますね。大学でやっていたことが結構そんな感じだったんですよ。ちょっと変わったところで、学祭を4日間24時間ぶっ通しでやるんです。自由自治っていうのを校訓に掲げてて、いわゆる警察とかメディアとか、そういうところが介入しない独立国家じゃないですけど、ちょっとそういう雰囲気を持っているような。その学祭が珍しくて県外から民族学者が見に来たりもするようです。授業も変わっていて、土偶が回り続ける映像を1時間半見続けたり、暗黒舞踏の先生がいたりと特殊なんです。何が身になったかは全くわからないですけど(笑)。結構ヒッピーなカルチャーがあって面白かったです。
ー 文化を学ぶことに興味があったのは大学に入る前からそうだったのでしょうか。
どうだったかな。親父は生みの親と育ての親がいるんですけど、生みの親は小4ぐらいまで一緒に暮らしていて、その人はゲームのデザインとかプログラミングをしていて完全に工学系のデザイナー?だったんです。確かその父方のおじいちゃんが理科の先生で、祖母が編み物教室をやっていました。母親方の祖父は大工で、母親は当時では珍しく服飾の専門学校に行っていたらしくて、よく縫い物をしていました。小さい頃からそういう物作りみたいなことは身近にあったんじゃないかなとは思います。
文化のことは無意識的に触れていた部分があって。そもそも大学も入る時点ではここまで変わったところだとは知らなかったんです。学内でも我々の学年はモルモット世代って呼ばれて、各学部各学科の先生が一同に会して、一つの学科の授業をするという実験的な試みが行われていたんです。たとえば、建築学や住居学を学ぶんだったらこの教授とかあるじゃないですか。そういうのがもうごっちゃになっている体系を実験してた時期だったんですよね。私のゼミはファッション学と映像学と住居学と身体表現学のミックスでした。
学内で学生運動ぽいこともやっていましたしね。ティーチングアシスタントという学内で働く人たちがいて、彼らはその雇用契約の2年を過ぎると確か職を失ってしまうんですけど、その仕組みに対する反対運動みたいなのを学内でテント張ってやっていました。理念が自由自治なので警察も入って来ない(?)し、ほぼ何をやっていても大丈夫な印象でした。山を切り開いて作った大学なので裏山があるんですけど、そこで大麻を育ててる人もいたという噂も…。その学域内だったらオッケーだからって感じで、何か言う人もいなかったんじゃないかな。
ー 音楽活動も文化を学ぶことへの意識と何か繋がりはあるのでしょうか。
あ、そうですね、確かにあるかも。高校生のときにやっていたバンドがスカという管楽器を使うジャンルの音楽で。あれもジャマイカとかの派生なんですよ。ジャマイカはイギリスの植民地だったじゃないですか。そこで発展したツートーンというスカのジャンルがあって、そっち方面の音楽をやっていたんですよね。当時の地元ではスカをやっている高校生なんていなくて。日本のメロコアバンドが流行っていた時期にそういう音楽をやっていたので、おじさんたちの反応が良くて、彼らから音楽の歴史とか文化的な話を聞いたりしました。
ー そのジャンルを選んだのはなぜですか。
なんでだったっかな。元々レゲエとかが好きだったのでその影響もあったかもしれないですし、たまたま周りに管楽器できる人がいたので、じゃあスカやってみるかみたいな感じだったと思いますね。スカがジャマイカに関連していることは知っていたんですが、どう分類されるかみたいな細かいことは、結構最近になってから仕事で調べる機会があって知りました。
母親がそれこそ昔はフォークギターを弾いていたような感じで、ヒッピー文化とかに理解があるというか。育ての親父は元々ドラマーでブルースをやっていたらしい。親父の車ではブルースが流れて、母親の車ではユーミンとか昭和歌謡が流れていて。ブルースはどちらかというとジャズとかブラックミュージックの派生、労働者階級の音楽だったりするんですけど。車でそういう音楽が流れていると慣れ親しんでくるので、きっかけはそういうところからだったんじゃないかな。
組織内部からデザインをサポートする
ー 今のお仕事について思い描いている展望を教えてください。
そうですね。デザイン経営も日本でも重要視されるようになってきて、徐々にブランドデザインの市場価値が上がってきていると思います。ただ、ブランディングって継続していくことが最も重要なんですけど、受託でやっている以上、基本はスポット解決になるので全案件での継続の実現まではなかなか難しくて。
個人的な野望というか、やらなきゃと思っているのは、クライアント企業に外部デザインマネージャーとして入って、その会社の中からブランディングしていく、デザインしていくことです。どうやるかを今模索しています。
最近代表の今村がLIGのデザイン顧問になりました。今回は、デザイナーが入って育ってはやめていってしまう状況をどうにかしたいというのが一番の目的だったようですけど、結局やっぱり一つのプロジェクト期間だけではカバーしきれない範囲がありますよね。
新築住宅の建築やリノベーション、特殊建築をやっている大分の会社、FDMさんのプロジェクトでは、リブランディングプロジェクトでガラッと印象が変わりました。CMの撮影で訪問したときにクライアントの皆さんとお話しする機会があったのですが、まだ社内では、そのリブランディング後のデザインに移行しきれないところもあるみたいで。デザインの刷新で会社として本当にやりたいことはこういう感じだということは明確になったものの、組織全体ではまだそれに馴染めていない部分もあると。今はその新たに掲げたイメージに向かって徐々に近づいていく移行期間だと思うのですが、こういったフェーズもサポートできるような関係性を築いて行きたいと思っています。
とはいえ日々いろいろなご相談をいただいているので、そういった通常のデザイン案件も進めつつ、デザイン顧問といった形で内部からのブランドデザインに携われたらと考えています。
ー 内部からのデザインサポートとは具体的にどういったことが行われるのでしょうか。
資料のデザインを統一するなどインハウスのモノづくりの上でのデザインサポートもありますし、SNSなどPRの文言ひとつにしても、どういうトーンや言葉遣いで告知するかを決めていくのも当てはまるかなと思います。
たとえば、FDMさんでPR担当されてる方が、結構幅広い層に親しみを持ってもらえるようなフレンドリーなトーンでSNSを投稿されていて。そうすると本来刺さってほしいと戦略立てた層とは少しずれてきてしまうのではないかなと、ご本人に相談したことがあります。
今回は「居住空間をより良いものにするために、ちゃんと機能的な側面も持ったうえで、デザインとしても長く愛せる建築を作っていく」そういった考えのもと見え方をアップデートしようという意図がありました。したがって、ターゲットには今までより品質を重要視するような層が入ってくることが期待されるので、信頼感の醸成など、広報の表現もそれにどう対応させていくかといった検討が必要になるのかなと思いました。それから本当にその路線へ振り切って変更して良いのか、段階を追うならどう進めるか、といったところも合わせて考えないといけない。
作って終わりではなく、作ったものを通してどんなコミュニケーションをとっていくと良いかもデザインと一緒に考えていくべきですよね。
音楽もビストロもやるアートディレクターの働き方
ー 現在のお仕事のスケジュールや社内文化について教えてください。
基本的にはほぼ週5日で家にいます。社内で何か直接会って話した方がいいことがあるときだけオフィスに行っています。進め方としては、日々オンラインミーティングを設定して、デザイナーのクリエイティブのチェックとか、全体の進行に対するロードマップの確認とかを行っています。
案件ごとの定例ミーティングは、社内で行うものとクライアントと行うものがあって、週に合計2時間くらい確保しています。なので案件を3つ担当していれば、定例ミーティングの時間はその3倍ってことですね。またそれとは別で毎週月曜に社内全体で進捗共有する時間があったり、デザイナーからの相談があると別途ミーティングを組んだりという感じです。
ー 実際オフィスに行かれるのはどういうときですか。
社内で撮影するときとかお客さんとの打ち合わせがあるときとか。ブランドスプリントという一番最初に行う大きなワークショップに関しては、暗黙知を拾うためにクライアントの顔を見て話したいなと思うので、現場に行くようにしていますね。
時間の使い方も基本自由なので、資料を漁りに図書館か本屋に行ったり、展示を見に行ったり、そういうことは勤務時間内でもやっています。次の提出期限までに何を提出するかをちゃんと守っていればって感じですね。
ー 音楽活動の他にもタコス屋さんを運営されていますが、どんなふうに並行されているのですか。
音楽は基本土日とかでリハがあったりして、音楽制作に関しては平日の夜とかを使ったりしていて。 タコスは今、隔週で金曜日にやっています。なので金曜の午後は仕事を休んで仕込みをやって、次の日の土曜日か日曜日にできなかったことをやるようにしていますね。
音楽の方は今のところは落ち着いてますけど、制作期間に入ると毎日編集したり、レコーディングに立ち会ったりします。ライブは月に2本くらい入っているので、それが平日にあるときは夕方から出かけたりしなきゃいけないので、なるべく朝早めに仕事してとかいうようにしていますね。音楽と仕事の並行自体はB&Hに入る前からやっていたので、バランスの取り方も結構習慣化されています。今はタコスの方がきついですね(笑)。
元々、友人のコミュニティスペースを間借りしてカレー屋を少しだけやってたりしました。今タコスやってるお店のオーナーである友人が、立ち上げ時にバーをやりたいけど料理できないからどうしようと言っていて。実家が今ご飯屋さんをやっていたり、自分自身も寿司屋で働いたことがあったりで、なんだかんだ料理は好きだし、その友人のところで何かできないかなと思って始めたんです。東京の方は間借りのカレー屋がたくさんあって、何か他のことできないかなと考えた結果、タコスやれないかなと思って。それからちょっといろいろ勉強して作ってみて、みたいな感じでやってます。
見た目がきれいだと食べるとき嬉しいじゃないですか。単純に目で食べる的なところの要素もちゃんとしないとと思って。私、今までずっと盛り付け苦手だったんですよ。お皿は好きで収集してるんですけど。結局そのお皿が綺麗だから盛り付けもどうにかなっているみたいなところもあって。
そうやって盛り付けから逃げていたんですけど、ちょっと考えてみるとやっぱり盛り付けのいいものをちゃんと作らないとなと思って。ビストロって綺麗に盛るじゃないですか。タコスでそういうのはあまり見たことないなと。タコスって日常的に手軽に食べられるものっていう文化だと思うので、その手軽さは残しつつ、もう少し面白くできないかなと自分なりに開発してみて、妻と一緒にやっているという感じです。
思考を巡らすのが好きかどうか
ー 最後に、B&Hはどんな人がフィットすると思われますか。
自立している人が向いていると思います。自分を制御できたりとか、考えることが好きとか、ちゃんとコミュニケーションするのが好きとか、そういう方がフィットするかと。やっぱり考えるというところが一番なんですかね。自分のことも相手のことも考えられる人。案件プロジェクトに対しても思考を巡らせられる人。せっかく自由な社風はあるんで、活動的な方が面白いですよね。いいアウトプットする人は、インプットの量や質が良いのかもしれないです。
現実的な話をするとやっぱり、頭の回転が良くて言語化が上手いとか、それこそデザインが上手とか、そういうことにはなっちゃうんですけど。
いろんな分野に興味を持てる人、知らないものを知ることが好きというか、苦にならないという方が近いんですかね。デザインのことも学問的な捉え方ができる人の方が向いているとは思います。面接のときにはいつも趣味は何ですかって聞くんですけど、それもやっぱり興味の範囲が広い人と一緒に働きたいっていうのがあるのかもしれないです。しっかり稼げることとしっかり楽しめること、どちらかが削れてもやっぱりしんどくなると思うので。
人生を豊かにできるような考えを持とうとすると、仕事でもしっかり勉強しようってなると思うので、そういう思索ができる人が合ってるんじゃないですかね。自由と責任のバランスというか。うちは結構やり方も自由なので、どちらかというと自分でやり方を考えて試してやっていくみたいな、そういうマインドを持っている人の方が働きやすいかもしれないです。最近はもう、会社に言われたことだけをやっていくみたいな働き方をしている人もそんなに多くはないと思いますけど。
あとは墓場的なデザインワークでがんばって生きてきた人たち。もっと有意義なデザインを目指す環境で働きたい人。ビジネスデザインとか、そういう分野も含めて体系的な視野を持ってデザインがやりたい人。中にはそうじゃないデザインをやりたい人もいることを認識したうえで、こっちをやりたいというふうに思っている人ですね。もちろん本人次第なところは大きいですけど、B&Hはちゃんと考えたうえで納得感を持って仕事ができる環境であると思うので。
それこそ言語化の話に戻るかもしれないです。やっぱりちゃんと考えようとすると、ちゃんと聞こう、伝えようという意識が働くだろうし、そうすると自然と言葉は丁寧になる。その考えが上手く作用しているのか、クライアントにコミュニケーション面で不安を感じさせてしまうことも少ないと思います。きちんと言語化されることで腑に落ちる感じというか、クライアントもそういう安心感を求めているのかな思います。結局言葉は重要なんですね。
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