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『Beep21』お試し記事パック⑪ 真・セガハード列伝 ─セガブラックハードのはじまり 第一夜 セガ・マスターシステム

『Beep21』では当時のクリエイターの
生の声を本人の言葉で残すのをモットーに
開発した”当事者”にその当時の関係者が
いていく、というスタイルで
記事を送り出してきています。

「真・セガハード列伝」
当時のセガハード開発者が
それぞれの開発者に訊いていく
企画で、ナビゲーターは戸崎健司氏。

▼戸崎氏のプロフィールと経歴はこちらからご覧ください


今回、メディアに初めてベールを脱ぐソルクス・デザインの存在

今回の「真・セガハード」は、戸崎氏が尊敬し、
取材を熱望していたソルクス・デザインの
高須社長が登場します。

セガのブラックカラーのハードのデザインを手がけたソルクス・デザイン社長の高須安夫氏。メディアに登場するのも今回が初。

おそらく当時の『Beep』はもちろん
セガハード専門誌にも出たことがない
初めてメディアに登場する方です。

アメリカで大ヒットをした
メガドライブ(GENESISジェネシス)、
そしてその前身として世に出た
セガ・マスターシステム

©SEGA 海外で先に発売され、その後国内でも発売されることになったセガ・マスターシステム。(1987年10月18日発売 / 16,800円 ※当時)
©SEGA   海外ではGENESISの名で発売されていたメガドライブ。

その後に出たゲームギアからスーパー32Xに
至るまで、セガのハードは一貫して
ブラックボディであることがわかります。

©SEGA カラー液晶ハンディゲーム機「ゲームギア」もブラックボディ。(1990年10月6日発売 / 19,800円 ※当時 )
©SEGA メガドライブ最後のユニット「スーパー32X」も当然ブラックボディです。(1994年12月3日発売 / 16,800円 ※当時 )

それ以前の世代のハード「セガ・マークⅢ」までは
白いボディだったセガハードは、なぜ突然"黒"になったのか?

©SEGA  セガ・マークⅢまでは白いボディだったセガハード。(1985年10月20日発売 / 15,000円 ※当時)

実はセガ・マスターシステムの
ソリッドで先進的なデザインを
担当したのは、今回登場する
ソルクス・デザインによるものでした。

取材の中で、SG-1000IIとセガ・マークⅢは
実は工業デザイン業界では非常に有名な
“あの会社”が担当していた...という話も初めて判明。

メガドライブのコントローラーが
なぜクロワッサンのような
形をしているのか?

ゲームギアに組み込まれた
当時の最先端技術。

また6Bパッドのデザインの際の
当時の貴重なモックアップの写真なども
今回初公開されます。

世界で大ヒットしたセガハードの
デザインを手がけた
ソルクス・デザインとは果たして
いかなる会社で、どんな製品を世に出して
きたのか?

そして、黒いボディに込められた
デザイン哲学と想いとは──

すでに30年以上っても
デザイン的に色褪いろあせない
メガドライブをはじめとした
セガのブラックハードの数々と

現代にも意外なところで目にする
ことができるソルクス・デザインの
プロダクトたち。

今回はその「第一夜」
セガ・マスターシステム誕生編です。

今まで誰も知らなかった
セガブラックハードの秘密
迫っていきます。

今回登場する当時の関係者は...

戸崎健司(とさきけんじ)「真・セガハード列伝」の企画兼ナビゲーター。セガでコンシューマゲーム機の開発部門に所属し、周辺機器などの開発を担当。セガ入社はメガドライブが発売された1988年、セガを辞めたのがドリームキャストの撤退時の2001年。13年間セガのハード開発部門に在籍していた当時のエピソードなどはこちらの記事で。
松宮博(まつみや ひろし) セガには高校を出てすぐ入社(現在74歳)。セガ入社時はAM(アーケードの)研究開発の生産技術部。開発部門で設計された試作品や試作機を量産するため図面設計の業務を10年間担当。今回のソルクス・デザインがセガハードを担当することになった際、現場でそれを見ていた当事者。まずは少しその頃の話をしていただきました。

松宮 当時のセガはアーケードがメインで、コンシューマ(家庭用ゲーム機)には全然力は入れてなかったんです。ですがその後、任天堂がファミコン(※ファミリーコンピュータ/1983年発売)を出す際に、セガも対抗して家庭用ゲーム機を出そう、ということで最初にSG-1000を出したんですね。デザイン的にはソフトを挿すとお墓みたいだ、と言われたりしてましたけど(笑)。

©SEGA 1983年7月にファミコンと同時期に発売された最初のセガの家庭用ゲーム機 SG-1000 (15,000円※当時)

松宮 あれがセガの家庭用ゲーム機のスタートでしたが、その時に私は機構設計の図面も書いていました。図面を書くだけでなく、当時は発売日には私も新宿のデパートに行って、販売の手伝いもさせられたりしまして。「これはセガのファミコンです」と言って売ったこともありました(苦笑)。(ファミコンは)コントロールパッドが最初から2個付いてるのに、セガの(SG-1000)は1個。あっち(任天堂の)は2個なのに、なんでセガのは1個なんだと。1個のデータで2個作った方がいい、という話もあって、とにかくなんとかしないといかんということで、次のマイナーチェンジ版のSG-1000IIではコントローラが2個になったんです。

©SEGA SG-1000の1年後の1984年7月に性能はそのままに、外見が変更されて発売されたSG-1000II (15,000円 ※当時)。コントロールパッドは確かに2つになっている。

松宮 話が少し飛ぶんですけれども、メガドライブのコントローラは、こういうクロワッサンみたいな形をしてましたよね。

©SEGA    メガドライブのコントロールパッド。

あれはソルクス・デザインさんが生み出したデザインなんです。当時セガの家庭用ゲームソフトの開発者からは、ファミコンの四角いコントローラに慣れていたので、クロワッサンみたいな形は良くないとの否定的な意見が挙がりました。現代ではエルゴノミクス(人間工学)なデザインというのは普通にありますが、あの当時にそれを家庭用ゲーム機のコントローラのデザインに採り入れたソルクスさんのセンスには、すごく先見の明があったんです。セガの先進的なイメージ、Coolクールなイメージは、本体だけじゃなくコントローラの貢献こうけんが大きいと思います。今日はそのへんの経緯の話などもいろいろご本人から聞けると思います。
戸崎 ちなみに松宮さんはゲームギアの設計にもたずさわってましたよね?

松宮 やってましたね、TVチューナーパックをつけたり。いろんなものに関わりましたね。

©SEGA   カラー液晶を生かしたゲームギアの周辺機器「TVチューナーパック (12,800円 ※当時) 」は、テレビを外に持ち出すブームにも乗って、影のキラーコンテンツとしてかなりの台数が出たという。※写真は凸レンズによってゲームギアの液晶ディスプレイ(3.2インチ)をおよそ1.5倍(5インチ相当)に拡大して見ることができる周辺機器「ビッグウィンドーⅡ」を装着したもの。

松宮 ソルクスさんはハードのデザインだけでなく、大きさからすべて計算して提案してくるのがすごかったですね。そこのこだわりも今日は話に出てくると思います。

白岩光成(しらいわみつしげ) セガ入社は1987年で、戸崎氏の1年先輩。第3研究開発部(※当時はコンシューマ開発部署)へ配属となり、機構設計を担当。その時の上司が今回同席している松宮氏だったという。

白岩 ソルクスさんの描いてくるデザインの絵はメカ屋(機構設計)からすると、「これは(基板やパーツが)入らないかな?」なんて最初は思うんですけど、実はちゃんと入るように計算されてデザインされているんですよ。そこまで計算した上で、さらに未来的なデザインを描いてくるんです。単なるデザイン屋ではなく、実はちゃんと機構設計上でも入るように、全部計算して描いてるんです。それはいつも驚いて見てましたね。
戸崎 白岩さんは僕の1つ上の先輩です。最初に入社配属された時に「新入社員は先輩たちが朝来たら、ちゃんとみんなにコーヒーを入れるんだぞ」と教えられて。それをに受けて、「この人は砂糖さとうは2杯」とか「この人はミルクちょっと」とか、皆さんの好みを全部覚えて、出社してきた先輩達にすぐにコーヒーを出してましたね。そうしたら1年後、白岩さんから「そんなことをやったヤツは、お前が初めてだ」って言われて(笑)。いや、それをやれって言ったじゃないですか!って言ってたのを覚えてます。

白岩 下に優秀な後輩が入ってきたな、と当時は思いましたね(笑)。私のほうはセガは2年前に退職したんですが、コンシューマ(家庭用ゲーム機)事業があった時は、ずっとコンシューマ開発から品質管理、生産技術から品質保証までやっていて。コンシューマゲーム機を撤退してからはアミューズメント(=AM、アーケードゲーム)に移りました。アミューズメントにいた松宮さんとは逆にアミューズメントのほうで、品質保証の部長をやったり、生産部の部長をやったり、部長職で16年間ぐらいやっていたんですが、2年程前にセガを57歳で辞めています。今回ソルクス・デザインの高須さんのお顔も、もう30年ぶりにお会いできた感じですね。

戸崎 というわけで、いよいよ本日のメインのソルクス・デザイン高須社長です。まずはソルクス・デザインという会社はどんな仕事をしていて、セガハードのデザインをどういう経緯で引き受けることになったのか、あたりからぜひ。

株式会社ソルクス・デザイン社長・高須安夫氏。セガのハードを担当する前は、ハイファイオーディオや通信機器、医療機器などを担当。カラオケの第一興商製品のほとんどはソルクス・デザインによるものだという。

セガハードとソルクス・デザインの数奇な出会い

高須 当時、セガさんのハードのデザインは6〜7年ほどやっているんです。主に関わったのはその中の3つ(セガ・マスターシステム、メガドライブシリーズ、ゲームギア)です。セガさんの仕事をやるようになるまでは、まったく知らない会社でした。

ソルクス・デザインが手がけた製品のほんの一部。その時代のグッドデザイン賞なども多数受賞している。

高須 私は学生の頃、デザインスクールを卒業してすぐFRPの会社に入ったんです。そこには先生の紹介で入ったんですが、FRPを使った素材の研究をしていたんです。その会社ではアルバイトでデザインを始めたんですけれども、結構すごい量の仕事が来るようになって。一度そこは辞めて、1回目の独立をしたんですけれども、そう長くしないうちに仕事がなくなってきて、困っていたら、カーステレオのブームが爆発するんですね。当時、その(カーステレオ)関連の会社にベルテックという会社がありまして。そこには5年ぐらいいたんですけれども、ベルテックの時も、営業部長から他の会社のデザインを頼まれていまして。会社の仕事が終わってから寝る時間もいて、3年ぐらいそういう仕事をやっていたんです。さすがにそこで2回目の独立をしたんですが、幸いにもどんどん客層が増えて、すごくやりがいが出たんですね。そんな折、デザインスクール時代の先生から、「実は山水(サンスイ)電気が、工業デザイナーを探しているので、一度そこのデザイン部の部長に会ってください」と言われまして。当時山水電気はデザイナーが10人ぐらいいたんですけど、デザイン部長にお会いしたら、社長も来ていて。いろいろお話する中でいきなり「システムステレオのデザインを全部けてくれ」と言われたんですね。これがものすごい量なんです。当時サンスイは全国に拠点があって、レコードプレーヤーは関西で、アンプは東北でと、全国を飛び回って打ち合わせをしました。このサンスイさんとの縁が、まずはその後にセガハードの話とつながるんですが、実はそれとは別に、私の行っていたデザインスクールで、今度卒業をするんだけれども、もう1年学校に残りたいという人がいたんです。

──その学生さんを預かることに?
高須 その先生からは「カリキュラムがないから、高須さんの所で1年間実践を教えてほしい」と言われまして。それで1年間その学生さんを預かって、いろいろ実践を教えて、いよいよ卒業...という時に、「彼はソルクスに入って仕事をしたいのだが、両親の猛反対を受けている」と言われまして。親御さんからは「そんな名前も知らないデザイン会社じゃなくて、ちゃんとした会社に入れ」っていうことで、その預かっていた学生さんが入った会社がセガさんだったんです。これがまずはセガさんとの接点の1つです。

もう1つの接点は、さっき言っていましたように、私がサンスイで莫大な量の仕事をしていた時に、大塚商会の仕事も結構していたんですが、大塚商会さんは大塚商会さんで、セガさんやサンスイさんとも仕事をしていまして。それでセガさんのほうから、工業デザイナーを探しているということになった時に、大塚商会さんが「こういうとこ(ソルクス)があるよ」と紹介をされたんですね。そして、実は先ほどセガに入った学生さんからも、「それだったらソルクス・デザインが絶対いいです」と言って、2方向から話がつながっていったんです。それで、一度セガに来てくれないか?ということになったんですね。

──音響メーカーのサンスイさんの仕事と、1年間預かってセガさんに入った学生さんの2方向から、偶然というか意外な形で、セガさんの仕事がつながっていったんですね。

戸崎 ちょっと補足させてもらうと、その学生だった方は河野さんと言って、セガのアミューズメントの筐体開発をしていたセクションの方です。筐体デザインでは「アウトラン(1986年) 」「スーパーモナコGP(1989年) 」の筐体を河野さんは担当されていました。

▼参考

©SEGA 「スーパーモナコGP」(1989年6月リリース) ※本作の当時の開発エピソードは小口久雄氏のインタビュー記事でも触れられている。セガファンなら誰もが知る「アウトラン」や「スーパーモナコGP」の筐体も手がけたという河野氏の「推し」によって、ソルクス・デザインはセガの家庭用ゲーム機のデザイン担当会社として起用されることになっていく。

──学生時代にソルクスさんでデザインを学んだ河野氏が「アウトラン」や「スーパーモナコGP」というセガを代表するヒット作の筐体デザインをし、河野氏の「推し」によって、ソルクスさんがメガドライブなどのセガの家庭用ゲーム機のデザインを担当していく…というのは興味深い話ですね...。
高須 私自身も、サンスイ電気の仕事をやったことで、ものすごく鍛えられたところがありまして。あの膨大な仕事の中で、高級ハイファイオーディオのデザインの考え方とか、知らないことをたくさん叩き込まれたというのがありました。ご存じかもしれませんが、サンスイは当時、黒いアンプが会社のアイデンティティーで、サンスイは大塚商会と組んでカーステレオを出すことになったんです。その時、当然僕はブラックフェイスのカーステレオを出すと思ったので、高級アンプに似たデザインにしたんですけれど、その後サンスイはカーステレオをシャンパンゴールドのカラーに変更したんですね。それでサンスイは失敗していくことになるんですが...。色の違いだけで失敗するものなのか? と思うかもしれませんが、業界の中では「サンスイがブラックフェイスのカーステレオを出したらたまんないな」という声が後から出てたほどでした。それぐらいに会社の製品イメージというものは、ものすごく大切なんです。製品デザインは、ユーザーを動かすこともあるので。

ゲーム機の色をブラックにするというチャレンジ

──なんとなく話が核心に迫ってきている気がしますが、セガのハードにブラックを取り入れていった経緯は、そうした話とつながっているのですね?
高須 まずはデザイン的な部分から説明をしますと、それまでに出ていたセガのゲーム機(セガ・マークⅢ)は、基板の位置とカートリッジを支える位置に段差がある。そのために、この上がコツっとなっちゃってるんですよ。

©SEGA   セガ・マークⅢ(1985年10月発売 / 15,000円 ※当時) 従来のソフトのセガマイカードも挿せるようにしているため、盛り上がって段差のあるデザインになっているのがわかる。

高須 そのデザインがどうしてもシンプルに見えなくて。それで、マスターシステムは七面カットにして、それをカバーして、ものすごく基本的な形状にまとめられてあるんです。

©SEGA   機構に合わせてデザイン面が美しくなかった部分をシンプルな7面カットのデザインにして、マスターシステムはより美しい形状に仕上げられているのがわかる。

高須 シンプルなデザインを引き立てるために、マスターシステムのカラーにブラックを提案したんですが、実は松宮さんの下に入りたての社員さんがいて、その人としゃべっていた時になにかの拍子ひょうしで「実は私の両親とか親戚しんせきから、おもちゃ作っている会社になんか、なんで入ったんだ、と言われてすごくくやしい思いをした」という話を聞いたんですね。当時はファミコンなども含め、ゲーム機は白が基調の色で、見た目もおもちゃっぽかったですから。それでその話を聞いた時に「あっ」と思いまして。だったら製品をおもちゃじゃなくしちゃえばいい、となったんです。

──「ゲーム機=おもちゃ」には見えない色がブラックだったんですね?
高須 そのときに提案した”ブラック”というのは、まさにサンスイのカーオーディオの流れからも、そっちのイメージに持っていけばいい、と。ただ、私もゲーム業界についてはまったくくわしくなかったですから。そんな黒いデザインで出していいものかどうか...。非常に不安だったんですけれども、そのデザインを見せてみたら結構気に入ってくれまして。実際、アメリカのセガ(SOA=セガ・オブ・アメリカ)の社長が「BlackブラックCoolクールだ」と言ってくれたんですね。それでマスターシステムは黒になったんです。

新事実! SG-1000IIとセガ・マークⅢは意外にもあの有名デザイン会社がデザインを担当していた!

──今あらためて見てみると、確かにマスターシステムのデザインの秀逸さがわかりますが、セガ・マークⅢまでのセガハードのデザインは全部社内デザインとかだったんですか?
松宮 あれは社外のデザイン会社が担当していて、GKデザインという超有名な会社がやっていましたね。

戸崎 え!?  あのGKがやったんですか?
松宮 GKの女性デザイナーがデザインしたものですね。

戸崎 まさかこんなところでGKの名前を聞くとは...驚きました。いちおう補足解説しますと、GKデザインは日本最大、最大手の工業デザイン会社です。

【参考】GKデザイングループHP

高度経済成長期の日本の製品に、工業デザインの重要性や、デザインの商品性という概念を浸透させた会社で、工業デザイン=GKというぐらい、その名前は筆頭に上がるような会社です。トヨタ2000GTとか、一時期の時代ですぐれたデザインプロダクトは、GKがデザインしたものが多いです。海外のデザイン会社、海外デザイナーに唯一対抗できた、日本のデザイン会社と言える存在、それがGKです。

ちなみに、ドリームキャストのデザインコンペで、入交(昭一郎)さんからGKに(デザインを)依頼しろ、と指示があった話は、別の収録インタビューで話題に出てきてましたよね(※編集部注 : こちらの話は今後記事で公開予定です)。

──ドリームキャストの話はまた別の回でする予定ですが、それよりも驚くのはそんなにかなり前のSG-1000II、マークⅢのデザインが、実は工業デザイン界で有名な会社がを担当していたとは...。この話はたぶん初耳だと思います。

戸崎 余談ですが、現代では工業デザイナーは、ほとんどインハウス、つまり社内にいます。昔はトヨタやホンダも、イタリアのジウジアーロピニンファリーナなんて外の会社に車のデザインを依頼することもありましたが、今ではほとんどないはずです。そんな中、ソルクスさんのような独立系のデザイン会社が長く続くのは、なかなか難しいんじゃないかと思います。かっこいい形やスケッチなんかは、学生でも描けますし。実際、そういう「僕はセンスあります!」っていうデザイナーは山ほどいる。それでもなお、ソルクスさんは、多数の企業から信頼をされていたのだと思います。優れたデザインという側面もありますが、そのデザインは実際に実現できるデザインであり、さらに企業イメージすら構築してくれるようなデザイン力。もちろんデザインで終わらずに生産現場にも立ち会ってくれて、市場での評判もいい。そういう実績が、多くの企業から信頼を得ていたんだと思います。

──ちなみに「墓標のようだ」と言われていたSG-1000のデザインは...?
松宮 一番初めのSG-1000はGKじゃなかったですね。どこの会社だったかはちょっとわからないですが...。

©SEGA   最初のセガの家庭用ゲーム機SG-1000のデザインはGKではない、とのこと。

戸崎 いきなりGKというビッグネームが出てきて、私もそれは知らなくてすごく驚いたんですが、当時は誰か「GKに頼んだらどうだ」みたいな人がいたんですか? 当時のセガとGKというのは、あんまりつながりがなさそうなイメージがありますが...。

松宮 研究開発の部長とか副部長とか、もっと上の方で出たのかもしれませんね。

製品イメージは企業イメージを決めることすらある

──ただ、マスターシステムのデザインはおもちゃっぽいデザインからの脱却というのが根底にあったんですね?
高須 それもありましたね。「子供が遊ぶ”玩具”じゃない方向性」がひとつ。それは実はもうひとつあって。当時はブラウン管テレビが大型化していく時代でもあったんですね。14インチとかのテレビモニターが、30インチぐらいの大きな画面になっていく時代に、たとえば任天堂のゲーム機(ファミコン)などをセットして、つり合うのか?というところがありました。うち(ソルクス)では、テレビもデザインしていましたので、そうした大型テレビに合う感じのデザインを、と。

──まさにオーディオ機器っぽい感じがマスターシステムにはありますね。

高須 少し余談をしようと思うのですが、ソニーはどうしてCDプレイヤーを最初に出すことができたのか?という話があるんですが、ビデオデッキ戦争の際に、ソニーのベータ対ビクターのVHSという戦い時に、松下陣営はVHS側、つまりビクター側についたんですね。その流れで松下幸之助さんがフィリップスに行った時に現地で体調を崩してしまいました。そして交渉会議後にフィリップスが「ちょっとすごいものが出来たのでお見せしたい」と幸之助さんにCDの音を聞かせました。ところが幸之助さんは、CDに興味を示さないで帰っちゃったんです。それから数週間後、今度はソニーの大賀(典雄)さんがフィリップスに行くんです。大賀さんはもう完璧に音については詳しくわかる方でしたから、フィリップスからCDの音を聞かされてものすごくびっくりしたんですね。あまりに驚いたので、社長の盛田(昭夫)さんに電話するわけです。盛田さんがスゴイのはその場で契約済ませろと判断をしたことです。まさに即決だったんですね。だから、もしもその時に松下幸之助さんがCDを採用していたら、松下電器が最初にCDを出していたんです。(この事は『陽はまた昇る』というVHSに関した本で知り得た話です)

──トップの判断が命運を分けたわけですね。
高須 VHSとベータの戦争でもトップの判断、ソニーのベータが負けていく原因は”1時間録画”でしたよね。それは盛田さんが決めたんです。技術の方から「録画時間が短い」という話はあったんですけど、盛田さんは「(そんなものは)テープを2本買えばいい」と判断した。だけどビクターのVHSは最初から2時間録画だった。

──(VHSは)120分テープとかありましたね。ドラマとか映画とかはやっぱり2時間ですよね。
高須 そういうね、トップの判断で大きな違いが出る、ということは本当にいろんなところであるんです。先ほどのサンスイのカーステレオもブラックであるべきだったのが、シャンパンゴールドにしたことで、イメージが崩れ、ちていく...。そういうことは工業製品には往々にしてあることなんですね。本当にそんな些細ささいなことで...と思う部分で大きな違いが出たりするんです。

──それはソルクスさんがマスターシステムで白いハードを黒にして、その後のセガのハードもメガドライブ、ゲームギアと黒を基調にして統一されていたあたりにも、そこに込めた意味や想い、哲学といったものがあるわけですね。
高須 このマスターシステムを皮切りに、メガドライブ(Genesis)もアメリカで大ヒットしたわけですが、そこで多くのユーザーに受け入れられた”セガのゲーム機はBlack(黒)だ”というイメージ。これは、とても大事なものだと思うんです。そうしたイメージというのは、コロコロ変えるものではないと思います。先ほどの話のように、トップが変わったとかで、そうした根本的な部分を変えてしまうと、本当にろくなことがなかったりしますから...。

©SEGA   ブラックのハードを並べると、そこにはソルクス・デザインが込めた哲学や想いを感じられる。ちなみにメガドライブ本体にも刻印されている英文字のロゴもソルクス・デザインがデザインしたものだという。

──別の回のインタビューで、セガサターンのデザインはソルクスさんが手がけたものではなく、社内のデザインが採用されたものの、実は「メガドライブの後継デザインのセガサターンの姿も見てみたかった...」という話を当時の(セガサターン)デザイン担当者の及川さんがされていました。セガサターンがアメリカで失敗した要因はソフトや価格などいろいろな要素ももちろんありましたが、もしかしたらデザインとしての一貫性という部分も少しあったのかもしれませんね...。ちなみに、マスターシステムは光線銃とかもありましたが、あれもソルクスさんのデザイン?

©SEGA

高須 あれ(光線銃)もデザインしましたね。本物の銃に見えないようにデザインするというのもアメリカの場合は重要な部分でしたので、そこも意識しつつデザインしています。

戸崎 マスターシステムでデザインを担当されたときは、コンペとかはなく、ソルクスさん単独指名だったんですか?

松宮 そうですね。あの当時はコンペではなかったですね。

高須 何案持っていったかは忘れてますが、だいたいいつもA案・B案・C案・D案とか、3〜4案を用意していました。

松宮 僕らは(中山隼雄)社長に見せる前に、先にデザインを見せてもらうわけですからね。仕事として図面にすることも考えて、こちらで読まなければなりませんから。「これかな? あれかな?」とか言いつつ、私はいつも楽しみにして見てました。当時は大きなデザインボードにエアブラシで描いてあって。それがすごく美しかったですね。

白岩 その後に我々も持ってきてもらって、見せてもらうのを楽しみにしてました。楽しみでもあるし、恐る恐るというのもあった。それ(高須さんのデザインを)をちゃんと形にしないといけないわけですから。

──数案あったという中から最終的に製品版となったデザインの決め手は?

松宮 SOA、アメリカの意見でしたね。結局、アメリカの社長に刺さったというのが決め手でしたね。当時はシカゴだったかな? 展示会が開催されていて、そこにモックを徹夜で作って持っていって。

──まさにマスターシステムでセガのゲーム機がアメリカでデビューしたわけですね。

白岩 結構売れたんですよ。そこから次のGENESISにつながっていくわけです。

──デザインとかは今見ても色褪せてないというか、洗練されてますよね。

©SEGA   背面の通風口ひとつとって見てみても、おもちゃではなく、オーディオ機器的な雰囲気を漂わせているセガ・マスターシステム。

高須 フロントのパネル部分も通信機器とかでよく使うデザインがあって。何もないとさびしいので、ワンポイントに赤を配して、何か説得されそうなパターンを書いて、キャッチーなものにしました。メガドライブではその”キャッチー”なワンポイントで「16BIT」と書かれたものが配されているわけですが、黒だけでなく赤のワンポイントを入れたりすると引き締まりますよね。

©SEGA マスターシステムのパネルには接続イメージがデザインされていて、グリーンのPOWER(パワー)ランプは光るようになっている。
©SEGA   メガドライブ。黒いボディを引き立たせる赤のワンポイントと燦然と輝く16BITの金色の文字が目を引く。

松宮 メガドライブはコントロールパッドもすごくかっこいいじゃないですか。まるでソニーがデザインしているかのようなクロワッサン型のコントローラーも、今から35年というはるか昔にデザインされたものというのは、今見てもすごいと思います。デザイン画の段階では、もっととがったデザインでバットマンのマークみたいな、コウモリ型のものすごいデザイン案もあったりしたんですよね。

戸崎 この流れで、メガドライブの話を続けて聞きたいと思いますが...。

──というわけで、まずは今回の「セガブラックハードのはじまり」はここまで。次回はいよいよメガドライブのデザインの話に続いていきます。話の中で当時デザインの際に作られた6Bパッドのモックの写真も見せていただきました。メガドライブのコントロールパッドがクロワッサンの形になったいきさつなど、当時の"生の証言"が語られていきます。

こちらもぜひご覧ください。

初公開!6Bパッドのモックアップ

次回メガドライブ編ではクロワッサン型のコントロールパッドが生まれた経緯や6Bパッドのデザインの際の秘話を初公開のモックとともに明かしていきます!

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