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最近の神社美に対する考えについて

こんばんは。長い間記事を投稿できず、申し訳ございませんでした。

この休載期間の間、私はいろんな本を読んでいました。そこで色々私の神社に対する考えが大きく変わりました!そこで、今回の記事では、私の神社に関する考えがどのように変わったのかをお伝えした後に、今後の活動についてお伝えしようと思います!


1.神社美の本質とは

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写真引用:https://table-life.com/columns/post/21466

今回の休載期間中に私は、「本当の神社美とはどのようなものなのか、神社美の本質とは何か」ということをずっと考えていました。

そこでこの問題に対して、答えの糸口を差し出してくれたのが「民藝」という考え方でした。

民藝の思考は、おそらく後の私の思考に大きく関わってくるため、後日記事を別で投稿しようかと思います!

今大雑把に説明すると、「民藝」とは「民衆的工藝」の略語で、偉大な芸術家によって生み出された美術品ではなく、職人などが制作した工芸品に、実際に使うことで「健全な美」を見出そうとする考え方です。(少しわかりにくいですね、申し訳ございません)


神社の美とはとても不思議なもので、写真や動画を見てもその美を本当の意味で感じることはできません。というよりかは、実際に参拝した際の感動を、写真で見た時の感動が追い越すことはないのです。まあこのことは芸術全般に言えることでもあるんですけども、特に神社、大きくいうと建築の美は実際にみることによって感じることのできるものだと思います。

つまり神社の美には、社殿の装飾、意匠、狛犬、鳥居、自然など「視覚によって体感することのできる美」と、「実際に参拝し、その場の空気を感じることで体感できる美」の二つがあるということになります。ここからは「視覚によって体感できる美」を「姿の美」、「実際に参拝し、その場の空気を感じることで体感できる美」を「用の美」とすることにします。「用の美」という名前はその名の通り、使「」することで感じることのできる「」と意味で名づけました。この「姿と用の美」という考え方も民藝の考え方に沿ったものです。

今まで私は「姿の美」を主に取り上げて記事を投稿していました。この直線美が素晴らしいとか、この建築様式がきれいとかですね。しかし、「姿と用の美」という考え方からいくと、今までの私の投稿は姿の美だけを取り扱っており、用の美について触れることがなく、神社の美について考察するのに不十分であったということなのです。            かなしい…



2.これからの投稿について

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私は今これまでいろんな神社について取り上げてきました。これは第一章です。私が「姿の美」として伝えたいことはすべて書きました。

なのでこれからは第二章として「用の美」について記事を書く、ということなのですが、ただでさえ「姿の美」においても私個人の主観ありきの記事が多かったのですが、「用の美」は「使用の美」でありますから、さらに主観が強くなるとおもいますが、どうか温かい目で見守って頂けるとありがたいです。

なお、まだ私も学生の身分で、まだこの考えも合っているのかわからない状態ですので、以前のように週一投稿は少し厳しくなるとおもいます。もしかしたら、週一で少し専門的な神社社殿の意匠についてのお話などさせて頂くかもしれません。投稿頻度についてはまだ未定です!


では長々と拙い文章でしたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!これからもよろしくお願いします!



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