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「自分なら」精神を大事に

「自分ならどんなことを伝えられるのか?」

この問いがいつも大切な気がして。

昨日の文章を読み返してそう思う。

それでも自分の発信を難しくさせるのは、
引け目に感じることなんじゃないかって

新潟のことを例にあげると、
自分は「県外だから」「出身地じゃない」、
「新潟で住んだりしているわけじゃない」
などなど、どこか負い目を感じることもあって。

かといって、
人から直接言われたわけじゃないけれど、
なんか思われても仕方ないというか。

たまに複雑な感情に襲われることも、
あるんです、実は。

これからもしかしたら、そんなふうに、
人から言われることもあるかもしれないけれど、
1度受け止めつつも、
流れ流されたくないんだよなーが本音。

なんでなんだろう??
それは自分がきっと人の役に立てるって
信じてるんじゃないかな。


自分の見ている視点、熱狂、想いが、
必要な人や地域も必ずあるって。

そう思い立ったとき、
控え目になる自分はいなくて、
力になれることを探して夢中になってる自分がいるというか。

人の目なんか気にしちゃいない自分に
きっとなってる。

これが「自分なら」精神なんだろうなぁ。


noteでなにか表現するときもきっとそうで、
「自分なら」をヒントにすると、
出てくる言葉もまた違って湧いてくるのでは。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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