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絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #36

  目次

 ぐぎゅるるるるるるるぅ、ぐぎゅ、ぐぎゅぎゅるるるるるぅぅぅぅぅ。
 腹になんか飼ってんのかと言いたくなるほど景気よく、生白い顔の青年が空腹を無言で訴えた。
「おやおや、おやおやおやおやジアドくぅん、はははまったく、君はまったくそういうところは子供みたいだねぇ! もう少し辛抱したまえ、空腹すら楽しめるようでなければ紳士とは言えないよ? 君の御父君はそれはもう、いついかなる時でもダンディズムというヤツを完璧に体現した清濁併せ呑む懐の大きな男でねえ! 人前でそのような生理現象をおおっぴらに催すなど決してしない奴だったよ! いやぁ、あれは実に見事な自己演出だった! やや! 酒が来たよジアドくぅん! どれどれ……うむ、うむ! 工業用エタノールに申し訳程度に穀物のフレーバーが入った実に強烈な味わいじゃないか! はははこれが郷土の味わいというものだろうかねぇ! 旅の醍醐味だよジアドくぅん!」
 うさんくさいおっさんの長口上を完全に無視し、ジアドと呼ばれた青年はぐぎゅるぐぎゅる腹を鳴らしつづけている。
 ――るせー……
 ゼグは閉口した。
「『禁断の聖域フォビドゥン・セフィラ』は、最初は完璧に機能していた。死に瀕した人間は〈接続棺〉に収容され、眠るように息を引き取ると、その人格情報や意味記憶、手続き記憶、エピソード記憶などすべてが量子情報化された。死したる人はすべて、月で不滅の悠久を生きる存在となった。もはや食事や呼吸を必要としない意識体となり、肉体というハードウェアの性能限界を超えて思索を続けるようになった」
「そりゃけっこうなこって」
 ぐぎゅるるるるるるるるぅ、ぐぎゅるるるるるるるる、ぎゅるっ。
 なんか音が近づいている気がした。
 見ると、ジアドくぅんが完全無表情のままこっちを見ている。
 その視線は、ゼグとアーカロトの間にあるジャーキーの乗った皿に固定されていた。料理はまだ来ないらしい。
「結構なこと……君はそう考えるのか。これがどれほど恐ろしいことか、わからないのか」
「わかんねーよ。飲まず食わずで生きていけるってんなら、まぁいいんじゃねーの?」
 ぐぎゅるるるるるるるるるぅ……ぐぎゅるぎゅるるぐぎゅるるるるるる。
「むぐむぐ。これはかつて予想されていたものとはまったく異なる形での技術的特異点シンギュラリティなんだよ。ヴァ―ライドは、人を原材料として人ならざる人以上のものを生み出したんだ。その事実の重大さに気づいたのは、何もかも手遅れになった後だった」
 ぐっぎゅるぅぅぅぅぅぅッ、ぐぎゅッ! ぐぎゅッ!
「食えやァぁァァァァァッ!!」
 ゼグは皿を掴んでジアドの前に押しやった。
「ゼグ、何をするんだ。そのジャーキーは僕のだ」
「てめーのでもねーよ酔っぱらったジジイが!! ったく左右から無表情で迫ってきやがって何なんだテメーらは!!」
「オヤオヤオヤ意地汚い真似はよしたまえよジアドくぅん。御父君も草葉の陰で泣いているよジ・ア・ド・くぅん! いやぁ、すまないね、なかなか興味深い話をしている少年たち。私はクロロディスという者だ。お詫びにここはこちらが払おうじゃないか」
「あァ? いらねーよ。施しは受けねぇ」
「美味です、美味です」
 ジアドがジャーキーをひょいひょい口に放り込みながら虚無顔で同じ言葉を繰り返している。
「何故だゼグ。ジャーキーが。僕のジャーキーが」
「美味です、美味です」
「ジャーキーが」
「……」
 ゼグは、頭痛を覚えた。

【続く】

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