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文章と自分のリハビリ【Long版 ④】プラモ作文反省会

 只今、こころの充電中につき。
 一日一題、お題にそってものを書いて投稿するサイトに出したものより。


・◇・◇・◇・


 今回は、まるで既成品のプラモデルを組み立てるかのようにお手軽に書いてしまった文章の反省会をします。

 既存の、いかにもなイメージを組み合わせて文章を作っていたら、まるでプラモデルを組み立てているような、妙な気分になりました。そこで、こんなふうに新しいものを生みだすのでなく、組み合わせでプラモのように作文することを、とりあえず、「プラモ作文」と名付けてみました。
 名付けたことにより、どこが自分のオリジナリティで、どこが既存のイメージによっかかった作文なのか、感覚的に区別しやすくなった気がします。

 プラモ作文のいいところは、産みの苦しみがほぼほぼ不必要なので、とても楽なところです。
 アカンところは、既存イメージの良し悪しを判断することなく、そのまま踏襲することです。こんなのもう、クリエイターを名乗る、もしくは志す以上、いちばんやったらアカンことです。次に掲げるいくつかの文章は、書きながら「あーあ、思考停止しとるがな……ははははは」とこころの中では乾いた笑いが生じておりましたです。

 やればそれなりの分量は書けるし、それなりに面白いものもできる。だけど、あとから、気分が空虚。それが、プラモ作文です。いちおう、毎日書くのを目標にしているので、疲れたときは割り切ってプラモ作文でもなんでもすることにしてますが、こんな感覚、できたら味わいたくない、とおもいます。


 ところで。そういえば私、noteを書くときの、これだけはまもる、という掟がひとつだけありました。それは、「クリエイター」と「作品」という単語は使わない、ということです。
 もともとは、自分はクリエイターと名乗るだけの技量はないし、作品でござーるとドヤ顔できるほどのものもつくってないし、という意味でした。それに、この数年、このふたつの単語が社会のなかでインフレーションをおこしているような気がしませんか。私は、その風潮に疑問を感じているので、いつも別の言葉にいいかえるようにしています。その作業は逆に、「クリエイター」も「作品」も、使わねばならないときにしか使わない、ということにつながります。
 だから、「作品」という単語は、これまで note では「ショスタコーヴィチの作った音楽」に対してしか用いていません。これは気がついたら自然にそうなってて、音楽や楽曲という言葉と入れ替えようとしたけど、手が頑強に拒否してできませんでした。たぶん、私のなかでは、ショスタコーヴィチの生み出したものは、音楽、という、歌う人間の体を媒介して増殖する半ば生命体であるような存在、とは違う、と感じているのでしょう。

 で、さきほど、ついうっかり、「クリエイター」という単語を note で初めて書いてしまったのですが、うーん、と悩んで、最終的には消せませんでした。
 さても、クリエイターってそもそもなんなんでしょう。世界最強のクリエイターは、キリスト教の神様です。だって、たった6日で天地創造してしまったんだもの。ということは、クリエイターたるもの、どんなに小規模であれ、その創作物の中には、ミクロな天地創造が仕掛けられていないといけない、ということになります。
 そういう意味でなら、私はクリエイターである自信はあります。ていうか、たぶん存在のしかたそのものがクリエイターです。いかにちいさくとも、作りだしたもの毎に、新たな天地を創造して、授けてのける存在でありたい……まあ、だからこそ、note という場所を選んでいる、っていうのはあります。
 ……ということを、今回、うっかりと「クリエイター」と書いたことで自分の中に発見しました。だからといって、自分が「クリエイター」と名乗るのは違うとおもってるんですよね。「クリエイター」というのは、社会的な身分とか立場とかでなく、私の属性ってやつ、と理解するのが正確なのでないかとおもいます。なので、私が「クリエイター」と名乗るのは、自己紹介欄にわざわざ「黄色人種」と書いておく、ぐらいの強い違和感があります。


 それはさておき。
 これから反省会、開始します。

 

・◇・◇・◇・


① お題【声が聞こえる】

「……!」
突然のことだった。君はなにかに驚いたように、首をもちあげてきょろきょろとしはじめた。まるで、ミーアキャットかプレーリードッグのように。
「どうしたん?」
「ん……なんか、声が……聞こえる?」
「声が?」
「したか?」
「うんにゃ。してない」
商店街の焼き鳥屋のまえで、焼き上がりを待ってたむろしていた僕たち5人組は、口々に返答した。
「マジで、聞こえてない?」
君をのぞく全員がガン首そろえてうなずいた。
「……んー……ていうか、声だったのかなぁ……?」
「なんじゃそりゃ?」
「いったいどんなんよ?」
「うん……AIがしゃべる宇宙語、みたいな感じかなぁ……」
「まっさか、宇宙からの交信……とか?」
「いや、ないないないないないない!」
「空耳、空耳……あ、焼き鳥、焼けたってよ!」
とか、わいわいがやがや。焼き鳥はひとりあたり3本ずつ、むしゃむしゃ食べたんだっけ。

君が遠い惑星からやってきた迎えの宇宙船に連れて帰られたのは、それから10日後のことだった。
あのときの空耳の声がその予兆だったなんて。そのときわかるわけないじゃないか。だから、無邪気に君の耳が変なせいだと決めつけてしまえたんだ。
ふがいない。はがいたらしい。いまでもあの日を思い出すだけで、涙が出そうだ。

 《声が聞こえる》というお題に対し、単純に、それは空耳だろ?、って。そうじゃなかったら、宇宙からのシグナルだよ……ってことで、

 空耳かと思ったら、ほんとに宇宙からの信号で、友だちが宇宙に連れ帰られた

 という話になりました。
 このあらすじにたどりついた時点で、あぁ、なんてありがちな……と苦笑いしながら、やる気がへなへなっとなってました。
 登場人物は、とりあえず男子高校生ってことにして、男子高校生のありがちといえば、

 部活帰りに学校近所の学生に特化した大盛りメニューのある、学生大好きなおっちゃん、おばちゃんのきりもりするお好み焼き屋とかで空腹を満たす

 であろう、とおもわれました。
 そこで、都合よく空耳が聞こえ、空耳が聞こえたこと自体も都合よくウヤムヤにできる場、ということで、

 道路に面した焼き鳥屋さん、その前で焼けるのを待ってたむろしている

 と、場を設定しました。

 

 あらためてふりかえってみて、ホントに工夫もなにもないなぁ……としかいいようがないです。それでも若干の愛着があるのは、これまで書いた文章の 99.9% が、登場人物が 1〜2人であるなかで、唯一の5人もの登場人物がでてきた文章である、という、ちいさなチャレンジがあったからではないかとおもいます。そうはいっても、「君」「僕」「その他3人」ていどのあつかいなんですけどね。
 だけど、できないなりに奮闘して5人分のセリフを書いたことで、なんだか、かこさとしさんの絵本「どろぼうがっこう」のなかの、生徒たちの返事、

 はーい
 へーい
 ほーい
 わかりやしたー

 みたいな、調子のよさとおかしみが出せたのではないか、とおもいます。

 もうひとつは、

 日常が壊れる予兆はすでにあったのに、あれがそうだった、と気がつくのは、必ず日常が壊れた後

 っていう、思いがつねづねあって。しかも、「これはヤバいんじゃない?」とだれかが予言しても、多数派のがやがやでかき消されてしまいがち、という無念もあって。
 日ごろの思いを込めて寓話のように書けたのも、愛着がある一因かと思います。


② お題【ジャングルジム】

いい年をしてついうっかりジャングルジムのてっぺんまで登ってしまった。
満月の夜。誰もいない公園にて。地元の仲間とひさしぶりに飲んで、二次会でカラオケを死ぬほど歌って、テンションがおかしくなってたせいだ。きっと。
てっぺんにすわると、満月が近くなったようにおもえた。砂場や鉄棒、その他もろもろの遊具が、なぜとはなしに、ちっちゃく見える。花果山のてっぺんで威張ってた、猿山のボス時代の孫悟空(もちろん、『西遊記』の方のだよ)って、きっとこんな気分だったんだろうな。
さすがに、オオカミみたいに月にむかって遠吠えはしなかったけど……いや、あともうすこし酔いがまわってたら、やってたかもしれんな……。

子どものときは、ジャングルジムって怖かったんだよな。オレ、背の順で一番前だったし。
この鉄パイプの正方形がデカく見えてデカく見えて。上へむかって乗り越えられる気がしなかったんだよ。
まんいち落っこちたら、この枠組みの真ん中を、スカッ、と余裕で抜け落ちるだろうな、それから地面に激突!……って予想するだけで、ふるふるゴメンだぜ、っておもってた。

それがどうだ。
こんなにちっちゃかったっけ、ジャングルジム? ちっちゃかった、どころじゃないや。ちゃっちかったっけ?
なんで、オレ、あんなに怖がってたんだろう。

ああ、なんだか夜風が寒くなってきたなぁ。山のてっぺんとおなじで、ジャングルジムのてっぺんも、吹きっさらしだから、よけいに寒いんだ……もういいかげん降りなきゃ。それに、もし、通報でもされたら、ややこしいからな。
オレは慎重に手足をたぐってジャングルジムを降りた。この年で、ジャングルジムから転落事故なんて、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない、っていうはもちろんだけど、オレ、蓮太郎の父親だから。こんなことで死んだりしたら、大変だ。

もういちど、今度は地べたからお月様を見る。
ジャングルジムと満月。なかなかいいな。俳句でもひねれそうだ。オレにはムリだけど。
ていうかさ。こんど、蓮太郎と公園にいこう。一緒にジャングルジムで遊ぼう。オレにはちっちゃくなったジャングルジムだけど、蓮にはとてつもなくデカく見えてるんだよなぁ。
そうだよ。オレの子どもはまだまだちっちゃい。まだ、このジャングルジムがデカく見えてデカく見えてたまらないほどに……まもってやらなくちゃ、オレが。

だめだ、だめだ。こんなところで、こんな時間まで、酔っぱらってちゃ。
はやく家に帰ろう。

 《ジャングルジム》って、子どものときはむやみに怖くて登れなかった、っていう思い出を物語化できないかと書いた文章です。
 というせいもあり、以下の、

子どものときは、ジャングルジムって怖かったんだよな。オレ、背の順で一番前だったし。
この鉄パイプの正方形がデカく見えてデカく見えて。上へむかって乗り越えられる気がしなかったんだよ。
まんいち落っこちたら、この枠組みの真ん中を、スカッ、と余裕で抜け落ちるだろうな、それから地面に激突!……って予想するだけで、ふるふるゴメンだぜ、っておもってた。

それがどうだ。
こんなにちっちゃかったっけ、ジャングルジム? ちっちゃかった、どころじゃないや。ちゃっちかったっけ?
なんで、オレ、あんなに怖がってたんだろう。

 っていう部分以外、あんまり必要でなかったのではないか、という気持ちが、いまだにぬぐえません。
 とりあえず、この主人公である「オレ」に都合よくジャングルジムについての思い出を思い出してもらうために、

 酔っ払ったあげくに、つい、ジャングルジムに登ってしまった

 という設定にしました。
 さらに、ジャングルジムから降りて、話にオチを付けてもらうために、

 ・「オレ」が子どもの時……小柄な体に対してジャングルジムが大きすぎて、怖い。
 ・「オレ」が大人になってから……体が大きくなり、相対的にジャングルジムが小さく感じる。ゆえに怖くない。
    ↓
 ・「オレ」の息子……まだ体が小さいから、ジャングルジムを大きく感じてしまうであろうと予想。
 → ゆえに、「オレ」は父親としてしっかりしないといけない。

 という、月並みにほかならない思考をしてもらいました。

 あらためて思うに、そんなことよりも、「ジャングルジムに登るのは怖かったけど、中を迷路がわりにうろうろするのは楽しかった」のは何故か、と自分の思い出を考察したほうが、もっと面白くできてたかもしれません
 でもたぶん、そこまでのエネルギーが残ってなかったんだろうなぁ……このとき。


③ お題【秋晴れ】

鮎釣り歴は、中坊のときから数えて20年、ベテランを自認していた俺としたことが……やってしまった。川底の丸石の苔のぬめりに足をとられて、つるり、となるとは。不甲斐なくも俺は、周囲の釣りキチたちには申し訳が立たないくらい派手な水しぶきをあげて、全身ずぶ濡れになってしまった。
地球温暖化の影響か、秋が深まっても日中はいささか暑い。とはいえ、水浴びするにはさすがに涼しすぎた。歯の根の合わないおもいをしながら、ほうほうの体で上陸した俺を、同じ釣りキチ同士、みんな、やさしいんだな、介抱してくれたり、焚き火をたいて暖を取らせてくれたりした。そのうち、せっかくだから、とインスタントラーメンと小鍋が出てきた。すると、コーヒーセットもあるぞ、という話になった。どうせなら、と器用な人が十得ナイフを出してきて、そこらへんの小枝を切って、鮎を焼く仕度をしはじめた。
俺は借りたバスタオルにくるまって、髪の毛から冷たいしずくをしたたらせていた。ただただ恐縮しつつ一番いいところに陣取らせてもらって元気よくはぜる火にあたり、せめてもの恩返しにと提供した本日の全釣果を炙る番をして、結局、自分でも一匹食ったんだが、程よく焼けてほろほろとなる錆びた鮎の身にかぶりつきながら、ふと見上げた秋晴れの空の、それはそれは高かったこと。
薄墨色の焚き火の煙は、風無き秋の空気を貫いて真っ直ぐに立ち上り、青い天を目指して突き刺さらんとするかのようだった。
ピーヨロロ、と鳴いたのは鳶だ。まるで煙と張り合うかのように、高く高く旋回して、点になり、あとはお日様の眩しさに飲み込まれて、声を残して見えなくなった。
と、不意に声をかけられた。
「鮎、ごちそうさまでした」
コーヒーセットの人だった。
「だけど、あとで嫁さんに叱られませんか?」
淹れたてのコーヒーの入ったカップをありがたく受けとりながら、俺は苦笑いした。夕飯のおかずはまかしておけ、と見えを切って、先週は微々たる釣果で、今日はコレ。またしても、家に帰ってあわせる顔がない、自称ベテランの俺である。
いましがた味わった鮎のはらわたのようなほろ苦い思いを、濃褐色のコーヒーの強い苦さで、俺は誤魔化した。

 ついでなので、10月にはいってからのプラモ作文も反省しちゃいます。
 この文章を書く数日前、近所の畑で焚き火をしていて、ちょうどその日は凪で、煙が真っ直ぐあがってたのが不思議だったのを思い出して。そこで、ソロキャンプで焚き火、って設定をかんがえたんだけど、疎くてピンとこなかったんですよね。
 そしたら、いまごろって落ち鮎のシーズンじゃなかったっけ、と思い出したので、

 釣り人が転んで川にはまって焚き火をするハメになったら、そのおかげで知らない釣り人とコミュニケーションが生まれた

 という、いかにもな筋書きを思いつきました。
 オチもどうにかつけなくてはならなくて、

 釣果ゼロで、嫁にあわせる顔がない釣り人

 という、安直な釣り人あるあるをもってきました。

 「濡れる → 焚き火 → 見知らぬ人とコミュニケーション」っていう展開は、釣りマンガ「釣りキチ三平」でよく出るパターンです。「釣果ゼロで嫁にあわせる顔がない」っていうのも、マンガのほうの「釣りバカ日誌」でいく度かあったと思います。それらを月並みに堕せず、おもわず「あるある!」と惹きこまれるようなストーリーとして描けるなんて、プロってやっぱりすごい、とあらためて感じ入った次第です。


 さて。もし、自分が鮎を釣る方だったら、たぶん各所に鮎釣りならではのリアリティを盛り込むことができたんだろうけど、いかんせん、私は「お父さんの釣ってきた鮎を食べまくる子ども」の方だったので、その限界はこえられませんでした。
 また、父親ももうずっと釣りから離れているので、いまの時期の鮎ってまだ十分に抱卵してたっけ、それとも産卵がすんだ鮎のほうが多かったっけ?、みたいな基本的なことも記憶になく、主人公「俺」の食べた鮎から卵の描写を省かざるをえなかった、ってのが、残念の極み。だけど、いま思うに、そんなこと気にせず、腹ボテの鮎を主人公に食わしときゃよかった……。
 ですが、ここ、

せめてもの恩返しにと提供した本日の全釣果を炙る番をして、結局、自分でも一匹食ったんだが、程よく焼けてほろほろとなる錆びた鮎の身にかぶりつきながら、ふと見上げた秋晴れの空の、それはそれは高かったこと。

 はじめは単に「鮎の身」としていたものを「錆びた鮎の身」とあらためたのですが、あらためた瞬間に、焚き火をしながら魚を焼く情景が秋の風情とぴたりと一致しはじめました
 一見、ささいな修正ですが、こーゆーの大事ですね。季語が入ることでたった17文字の俳句にリアリティが生まれるメカニズムを体感したような思いです。

 正直なはなしをすると、

薄墨色の焚き火の煙は、風無き秋の空気を貫いて真っ直ぐに立ち上り、青い天を目指して突き刺さらんとするかのようだった。
ピーヨロロ、と鳴いたのは鳶だ。まるで煙と張り合うかのように、高く高く旋回して、点になり、あとはお日様の眩しさに飲み込まれて、声を残して見えなくなった。

 という以外の部分は、要らんかったな、という気持ちです。
 ここだけ取り出して、俳句のように仕上げたらよかったかもです。逆にいうと、前後のストーリーをスパッと切って、ワンシーンを際立たせるのが俳句って、ことになるんでしょうか。うーん、俳句、偉大です。


④ お題【暗がりの中で】

かけ布団の中にもぞもぞともぐり込む。これで、インスタントに暗がりが一丁あがり。冬の布団はしっかりと綿がはいって分厚いから、遮光もしっかりきく。たったこれだけのことで、気分は洞窟探検だ。
「だけど、アレのなにが面白かったのかねぇ……よくわかんないや」
と兄貴は、お猪口の日本酒をちょっとだけすすった。
「あんな暗がりの中で、ナニしてたんだっけ?」
「さぁ……オレもよく覚えてない」
わはははははは、ほろ酔い加減の兄弟ふたりで声をあわせて笑った。
「懐中電灯で、ほら、手のひらとかすかしてなかったっけ」
「あー……あったかも。なんか、いつも、電池が勿体無いって、おふくろが……」
いいさして、はっとして、写真立てのほうを向く。老いてもなお笑顔がチャーミングだった俺たちの母親が写っている。
「……いまどきだったら、布団にもぐってスマホの持ち込みかねぇ」
「ですよねー。翔太がすでにそうだわ」
「翔太、いくつだったっけ?」
「もうすぐ五歳」
「五歳かー。布団の中でのスマホ、楽しいだろうなぁ。やってみたかった」
「いますぐやったら?布団ひいてやろうか?」
「バーカ」
兄貴に頭をしばかれた。こんなのいったい何年ぶりだろう。
「明日は納骨か。おふくろ、これからずっと、暗がりの中なんだな」
「うん。さびしいな」
「懐中電灯持たせてやろうかな?」
「なにいってんの。いまはスマホの時代だよ。もうすぐ三途の川のむこうにもアンテナ立つから。いつでも通話できるぜ」
俺は酒をあおった。おろした空の猪口を、兄貴が満たしてくれた。
と、そのときだ。スマホが鳴った。俺たちは、びくっとした。よく見ると、翔太のおもちゃのスマホだった。まさかね、とふたりで顔を見合わせながら、
「もしもーし、おふくろか?」
もちろん、返事があるわけない。ほっとするような、期待ハズレだったような。
俺たちは期せずして同時に猪口をとった。それから、それぞれめいめいのやり方で、鼻の奥をツンとさせるなにかと一緒に、酒を飲みほした。

 かなり長くなってしまってますが、10月に発生したプラモ作文の反省をもうひとつ。
 お題は「暗闇」でなく《暗がりの中で》。「暗闇」と「暗がり」のちがいってなんだろう、と頭をひねった結果、「暗がり」のほうには「ものかげで息をひそめてじっとちいさくなってる」ようなイメージが付帯する感じがしたので、「暗がりに隠れるからこそのワクワク」に焦点をあててみました。つまり、たぶんみんな、幼稚園で読み聞かされて育ってきた、古田足日の鉄板中の鉄板の絵本「おしいれのぼうけん」です。
 そこで、子どものころの記憶をたぐって、

かけ布団の中にもぞもぞともぐり込む。これで、インスタントに暗がりが一丁あがり。冬の布団はしっかりと綿がはいって分厚いから、遮光もしっかりきく。たったこれだけのことで、気分は洞窟探検だ。

 とかきだしてみたのですが、ここまで来た瞬間に、「ここでセリフを投入したら、思い出語りでなく、物語にできるかもしれない」とおもいつき、

 「だけど、アレのなにが面白かったのかねぇ……よくわかんないや」

 と、自分の感想をセリフにして投入してみました。
 だけど、正直なはなし、失敗でした……どうせなら、懐中電灯で手のひらをすかしたときの異様なあかさとか、「ぼくらはみんないきている」を音楽集会で歌うとき、かならず、懐中電灯と手の絵がうかんでたこととか書けばよかった……といまごろきがついちゃった。そういえば、やなせたかし先生も、懐中電灯で手をすかしてみたのがきっかけで、あの歌詞を書いたんですよね。
 うーん、めっちゃ惜しいことをしてしまった。

 ということで、

・いまどきの子どもなら、布団にもぐってもスマホ
・将来的にスマホは冥界とも通信できるようになる
・脈絡もなくスマホが鳴ったら怪奇現象

 とかと、ありがちなアイデアを練り合わせただけで終わってしまいました。

 唯一気にいっているのは、これを親の納骨を控えた晩の話にしたこと。最初は場面設定を、お通夜とかお葬式の後の精進落としのつもりにしてたんだけど、それにしては登場する兄弟がいささかはしゃぎすぎに思われたので、それらよりもうすこし後の日程に変更しました。
 納骨堂や墓石の下の暗がりにひっそりと片付けられる骨壷のイメージがお題の《暗がりの中で》とマッチすることになったのは、まったくの偶然のたまもの。ラッキーでした。
 あーっ、でもでも! 子ども時代の「暗がりは非日常で楽しい」という感覚と、死んだ後の「お墓の中の暗がりはポツンと静かすぎて寂しい」イメージ、もしくは「ご先祖大集合で意外と賑やか」という空想なんかをしっかり対比できてたら、まちがいなく面白くなってましたね……チクショウー!


・◇・◇・◇・


 ということで。プラモ作文しちゃった文章を4つならべて反省してみました。4つもならべると、さすがに特徴というか共通点がうかびあがってくるような気がします。
 まだしっかりとはつかみきれてないのですが、核心となるポイントは、③ の文章の反省で書いた、

 はじめは単に「鮎の身」としていたものを「錆びた鮎の身」とあらためたのですが、あらためた瞬間に、焚き火をしながら魚を焼く情景が秋の風情とぴたりと一致しはじめました。

 ではないかと感じています。つまり、「錆びた」というひとことがつけ加わったことで、「読む」という行為が「目で文字を追う」にしかすぎなかった状態から、「身体感覚を呼び起こす」に変化したのではないか
 そこに着目すると、④ の文章の、

 納骨堂や墓石の下の暗がりにひっそりと片付けられる骨壷のイメージがお題の《暗がりの中で》とマッチする

 ところがお気に入りポイントになるのも、さらに、① の文章の会話のテンポのよさが好きなのも、うまく説明できます。
 逆に、② の文章からは、いまひとつ魅力的なポイントがみいだせないのは、おもわず身体が揺り動かされるような表現がどこにもないから、であると考えられます。

 ということは、文学的な書き物をするなら、

 文章を読んでいるのは目と頭ではない、体が読んでいるし読みたがっている

 というようなことを意識しながら書くことで、脱プラモ作文できるようになれるのかもしれませんね。


・◇・◇・◇・

 

 

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。