見出し画像

#20 結婚で好きな仕事を手放したくないーー勝負に出る

迷った挙句、思い切って実験的なバケーションを取ることにした。夫と日本に2週間行く計画をたて、その間仕事もできるかどうか試したかった。親にも最近会ってないし、たまには帰省したい。日本で1日最低4時間は仕事をするつもりだった。

でも実際は、帰省したらしたで忙しく、おまけに夫の通訳や付き添いまでしなければならず、そんな時間は一ミリも無かった。親は私たちの為に披露宴のようなパーティーを企画してくれ、バスまでチャーターして、親戚達を集め、着物まで着せてくれた。それまで親しくしてなかった事から、そんな親の「想い」に深く感動した。それから何年たっても忘れる事はない。

一時帰国は楽しかったが、ぐったり疲れてアメリカに帰ってきた。そして、雑誌の次の号の広告枠が半減してしまうのを目の当たりにする。「たったの2週間の休暇で広告がこれだけ激減するなんて」。とにかく顧客はメンテナンスが必要だと改めて実感した。特集記事も取材をしなくても良いリサーチだけで書ける文面に変えた為、リアル感がなかったのかもしれない。

「やはり私1人ではこの月刊誌は背負っていけない」。友達は結婚で「グリーンカード」は、むしろ早く取れるのだから、仕事はいつでもやめたら」?と助言していた。でも私の中では葛藤があった。

自分が初めてサンフランシスコ・ベイエリアで立ち上げたタウン雑誌に愛情がある。しかも今人気がある雑誌を自身で潰してしまう勇気が出なかった。あれだけ大変な毎日だったのに、いざ失うとなると、私は、お金やグリーンカードの為に仕事をしていなかった事に気づく。「私はこの仕事が好きなんだ」

雑誌発行を辞めるという事は、5年間死に物狂いで積み上げてきたものが全て水の泡となること。今まで取材した膨大な情報量や私の雑誌に付き合ってくれた広告主、読者を全て失う。一時的に失った(旅行をしていた)2週間はすぐ取り戻せる、でも生活はまた元の路線に戻り、夫とギクシャクしてしまう。「さて、どうしようか」…

勝負に出た。社長と指しで話し合う為、LAに飛んだ。「サンフランシスコ支局を私だけで切り盛りしていく事はもはやできません。雑誌も人気が出てきたのだから、あと2人従業員を雇って下さい。そうすれば売り上げも倍増させる自信があります。私の自宅ではなく、新しい事務所を開いて下さい。この運営には最低3人が必要です」とキッパリ提案した。後は社長の判断に任すしかない。

社長は決断できなかった。「新しい事務所を開く為には最低事務所維持経費が$25000必要になる。君、その経費を払ってくれるか?」 「??」口があんぐり開いてしまった。社長は、私の旅行中に広告の売り上げが下がった事を気にしていたのか。要するにリスクを取りたくないのだ。社長自身は自分の会社をどうしていこうとしているのか、ハッキリしたビジョンが見えなかった。「いいえ、払いません」

社長にとってはサンフランシスコ支局を閉じてもリスクはゼロだった。事務所は全部私の自宅、または私が事務所を自費で借りていたのだから。

私は落胆してサンフランシスコに戻った。「これがきっと運命なんだろう」と受け入れるしかなかった。そして結局この結果が私の進むべき道となった。「でもこの先どうして生きていくんだろう」?膨大な取材データの数々、これらの記事や写真を全て無駄にすると思うと、心が折れてしまいそうだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?