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家族の中でのカースト、クソ食らえ

僕にとって家族とは、なくてもいい存在である。

僕の両親はステレオタイプな人間で、時代に逆行している。もう何年も一緒にいるので、流石に慣れたというか関わらないことでうまくやってはいるが、ステレオタイプな考えに辟易することは日常茶飯事である。きっと一生分かり合えないと思う。

僕には兄がいるのだが、一度大学を留年したせいで本来行くべきだった大学院を辞退せざるを得なくなった。そして留年後北海道大学の大学院へ進学し、その後就職。そのまま北海道で暮らしている。要は優秀で、学歴もそれなりに高い。
僕はというと、高校はいわゆるバカ高校。それから美大進学を希望するが挫折し、その挫折中にやりたいことが見つかりCGの映像を学べる専門学校へ進学。卒業後、映像制作会社にプロダクションマネージャーとして就職。CGとは関係のない仕事に心身ともに酷使し、8ヶ月ほどで退職、その後CG会社に就職し現在に至る。

僕は自分が大変なところや弱さは家族に見せないで生きてきた(見せるべきではないと思ったし)。高校で友達が出来ず居場所が映画館しかなかった時も、美大進学の為美術予備校に通って挫折を味わった時も、専門学校在学中にある程度優秀な成績を保持しながら自主制作を何本も作った時も、映像制作会社で1週間帰れず、帰れても終電帰りの毎日だった時も、退職後コロナ禍で就活が大変で寝る間を惜しんでポートフォリオの作品を作りながら今の会社へ就職したことも、その会社に就職したあとも仕事をしながら友人のMVを作るために1人で手配から撮影、編集まで全てやったことも、今現在も仕事をしながら友人の結婚式ムービーを作っていることも、家族はそんなことは何も知らない。ここ数年しっかり休んだ記憶がなく、割とボロボロなので今の友達のムービーが作り終わったらさすがにしばらく休もうと思っている。

ここまでは僕の大変だったこと自慢に聞こえるかもしれないが、言いたいことはその人が見せず伝えずとも忙しさや大変さは存在していて、見えなくて分からなくてもそれは理解することや想像することが大事ということだ。兄だって僕が知らないだけで心身を削った経験だってあったはずだ。人の忙しさというものは人それぞれのキャパシティがあって、感じ方はそれぞれ違う。よって比較対象にはできないのだ。

正月に親戚一同集まった。基本的に話を振られるのは兄で、僕はみんなにバカで楽して生きていると思われているみたいで、疎外感を感じた。僕に向けられるのは枕言葉が「あなたは分からないと思うけど、」や「あなたは知らないと思うけど、」と言う始まりの会話。分かってるし知ってますけど...という気持ちだった。
兄は目に見えて分かりやすい学歴があるので、すごいねぇや大変だったねぇなどの言葉を受けている。家族の中にアート方面やサブカルチャー、本や映画などの話を深くできる人はいないので、僕の仕事の話は振られることは少なく、聞かれて答えたところで、結局相手がよく分からないので、僕が何かよく分からないことをしている人間だ、とそういうような空気感になった。地獄みたいな正月だった。

家族の中でカーストが出来上がっていて、僕が最下位である。家族間でカーストなんてあるべきじゃないのに。なので、何か口論に発展することがあると僕の味方をしてくれる人はいない。

この変えようのない縛りの中から抜け出せたら僕は家族とはできるだけ関わらないで鎖国状態を作り生きていくと決めている。

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