障害者間のマウンティングと二大精神疾患

健常者による障害者に対する差別意識は、殺傷事件やらオリンピックスタッフの人選問題を筆頭とする様々な出来事が重なり、最近は目立つところで大々的に公表するのは許されない雰囲気になっているようだが、人々の心の奥底に残存するのは周知の如くである。自分の胸に手を当ててみることも含めてね。現状が良い方向に進んでいるのかは時を経てみないと評価は出来ないのだと思う。まあ、何でもそうだけどさ。ディストピア的発想だが、優生学万歳な時代が再来しないとも限らないし、その時に善悪がどうなっているかなんて誰にも分からない。

さて今回は健常者はさて置いて、障害者間の階級意識、マウンティング的なものについて考えてみることにする。

僕はかつて双極性障害の自助会にいくつか参加してみたことがある。自助会ってのは同じ病気やら障害の人が集まり、自他の体験談を話す、聞くなどして、お互い頑張ろうねって会です。

少し考えてみればわかる話だが、双極性障害の自助会は鬱状態の人は布団から出られないので、参加者はほぼ躁状態、良くても寛解状態の皆さんである。思い返せば、おそらく自分も躁状態だった。

開会の挨拶に続いて自己紹介が始まる。そこではいきなり鬱のとき、躁のときに「やらかしてしまった」内容が赤裸々に語られる。かなりディープな内容である。でも、どこか違和感を感じたのは、反省しているというよりは、武勇伝ぽいのである。個別にお話しした女性は、かつて10人近い男性と同時期に関係があったと自ら明かしていた。病院(特に整形外科)の待合室で持病を自慢し合う老人たちを彷彿とさせる。ほぼ皆んな躁状態なのだから、仕方がないと言えるかも知れない。流石は双極性障害。統合失調症と二大精神疾患と並び称されるだけのことはある。

やっと長い前置き終了。

以下、本題の障害者間の話である。

盲目は、聾唖より重い障害なのか。腕の欠損と、脚の欠損では?同じ腕の欠損でも肘が残っている人といない人、同じ脚でも膝が残っている人といない人。それぞれで出来ることは、かなり違うだろう。パラリンピックでは同じ競技でも不平等が生じないために障害の程度を考慮し、健常者スポーツに比べて非常に多くのクラス分けがあると聞く。そう。障害にも程度の差、言うなれば上下があるのだ。自分は今のところ身体的な障害は無いので、彼らがお互いをどのように思っているのかは分からない。しかし、2人の手部欠損者がいたときに、片方が「俺達、手が無くて大変だよな」と思っていても、もう一方は「いや、同じ手でも俺は利き手だから、お前より不便だよ」と、内心思っているかもしれない、とは想像する。

何故そんなことを考えるかと言うと、先ほどの二大精神疾患の話に戻る。

正直なことを言うと、一般に双極性障害より統合失調症の方が社会生活を営む上で差し障りが大きいだろう、つまり大変だろうなと思っているからである。勿論どちらも重症度によるのは言うまでも無いが、幻覚が生じる可能性があるのは、QOLに大きな影響を与えるのではないだろうか。きちんと調べていないので具体的にどのような状態か分からないが、場合によっては人格崩壊もあると聞く。まず、この単語の響きが恐ろしい。

一応、双極性障害側が不利な点を書いておくと、多分自○率は少し高い。I型とII型(医者では無いので、この区分がどれほど明確なのかは分からない)で差はあれ、漏れなく理由なき気分の波が付いてくること。

でもね、これって面倒くさい健常者と何が違うの?「そんなこと誰だってある程度はあるんじゃない?」と言われたこともあります。側から見たら健常者と同じなのは、自分でも分かっています。特に独り言を言ったりテレビと会話したりしないですからね。「障害者の振りをしているだけでは?」と自分自身で不安になるのが、最大の症状かも。同居人は独語とテレビとの会話が酷いです。返事するべきなのか、いつも迷います。どうでも良いんですけど。ADHDだかASDと診断されていると聞いてます。

僕だけかも知れないが、気分障害の中でも双極性障害は鬱病より重病だと思っている。つまりマウンティングだよ。不毛な。

以下、不快感を覚える人が多いのでは、と思われる記述があります。とりわけ適応障害の人は読まないことを強くお薦めする。

かつて鬱病と診断されていた頃、製薬会社に勤めていた友人に「どうやら鬱病になったらしいんだ」と伝えたら、「鬱病は薬で治るから良かったじゃん」的な返信が返ってきたことがある。最近は難治性鬱病っていう薬剤応答性が低い鬱病もあるらしいので何とも言えないが、ついつい下に見てしまいがちである。適応障害は原因となる環境から離れれば改善すると聞く。職場環境とか家庭環境から離れられるかは運と決断力次第だが、原因は明確なのだ。比較にならない。

僕が一番怖いと思うのは離人症などの解離性障害。とりわけ解離性同一性障害は怖いな、と思う。その昔、精神疾患を発症してすぐの頃、何もかもが嫌になってアルコールに逃げていたのだけれど、何回か気がつくと病院で目を覚ますと言うことがあった。もちろん沢山のチューブを繋がれて。胃洗浄(かなり苦痛を伴う治療とのこと)とかをされたらしいが、幸いなことに全く記憶がない。それまで酒で記憶を無くしたことは無かったので驚いたが覚えていないし、そもそもが「人生どうでも良くなっている」ので、何度か繰り返すこととなった。でも記憶の無いあいだに、自分は何をやっていたのか考えると、強烈な不安に苛まれることが今でもある。

解離性同一性障害の人格交代では記憶が連続しないことが多いようだ。統合失調症の人格崩壊、解離性同一性障害の人格交代。何故これらが二大精神疾患にならない?人格崩壊は単なる治療失敗の証だし、人格交代は薬が無い(=儲からない)。大きな声で言う者はいないのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?