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今を生きるための手応えとなる言葉

こんにちは!めんだこです。
もう10月半ばになってしまいました…。

実は、9月末から少し不安定な日々が続いており、なかなか更新できませんでした。そのことについてはまたゆっくりと、話せるときが来たら話そうかな。(といいつつ、3章で少し触れています)

さて、今回も良本に出逢えたので記録です!
『光であることば』 若松英輔著

大学生の時、詩集デビューをしたく、友人と本屋さんで詩集を選んだ時に私が初めて購入した詩集が若松さんの作品でした。
キリスト教的考えが入っているなと個人的に感じ、私の身体にすんなりと入ってきたのを覚えています。
そんな彼の「ことば」に関する本なんて、、、読まなくては!!と買いました。

まず初めに。
素晴らしい1冊でした。様々な書物を読んだ経験のある彼だからこそ、
あらゆるジャンルから引っ張り出された言葉たち。
それらは、違う所から集まったはずが、並べてみると一筋の強い光が通っているようでした。

己とは何か。人生とは何か。学びとは何か。

答えのない、行く先のないこれらの問いかけに対し、確実に手ごたえを感じさせてくれます。

今回は、中でも私の人生に影響の与えてくれた言葉を紹介させてください。

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「自由」とは。

「自由」とは「自ら」に「由る」こと。自分自身との繋がりを取り戻さない限り、何も始まらない。自分自身との対話。
「自由」とは、自己と深く繋がること。自分とは何かという手応え。

『光であることば』若松英輔著32項/82頁

 私、人との繋がりって本当に大切だと思っています。
いつでも、自分に刺激、学び、安らぎを与えてくれたのは人との繋がりでした。
 ですが、人との繋がりの中でも、他者と繋がる以前に
自己と繋がることこそが本当に必要なことなのだと気づかされました。
自己と繋がれていない状態での他者との繋がりは、結ばれても足場が固まっておらず、すぐにするりと抜けてしまう紐状態。
 力強い手を相手が差しだしてくれていても、温かく柔らかい光のようなものだったとしても、自分が自分と繋がっていないと、受け止めきれない。
繋ぎ止め続けられない。
 少し切ないですね。でもそれくらいに、自己と繋がっていることが人生で優先すべきことで、重要なのだと思います。
大切な人が差しだしてくれた手を繋ぎ止め続けられるように。

「自分とは何か。」
漠然として、真っ黒な底の見えないこの問いかけに対し、自己との対話を通して、様々な人や物との出会いを通して、少しずつでも手応えを獲得し、足場を築く。
「自己とは」という強靭な足場を。まだまだ頑張らなくてはと思いました。
自由になるために。自分に由る為に。自分に還るために。

「生きる」とは。

生きるとは、「答え」のない世界を「手応え」を頼りに歩き続ける事。

『光であることば』若松英輔著 82項

 先述と少し似ていますが、何事にも答えのないこの世界。何を頼りに生きるのかと聞かれたら、自分が獲得していく「手応え」でしかない。
誰の言葉でも考えでも、何でもいいんです。
自分が「これだ」と手ごたえを感じたのならば。
逆に言えば、その「手応え」に鈍感になってしまうことが一番怖い。
自分は何を良いと思って生きてきた?何を喜びにするのか?何を正しさとするのか?何を希望とするのか?
自分の内が震える瞬間を見逃してはいけない。見て見ぬフリをしてはいけない。自分の内側こそが道標となるのだから。
 だからこそ、自己との対話が必要不可欠なのだと思います。
沢山自分に問いかけてみる。一人で寂しいと思う必要はない。
かけがえのない「自分」がいる限り絶対大丈夫。
私は何が好き?何が幸せ?今日はどんな日だった?明日は何する?
全部自分に聞いてみようと思います。

「愛」とは。

「愛」とは、自己を新生させるのものであるかもしれないが、何よりも、他者の眠れるいのちの泉を照らし出すものであるらしい。

『光であることば』若松英輔著 99項

今回響いた言葉1位です。
実は、3年間付き合ったパートナーとお別れをしたんですね。
その私には響きすぎて、涙までも溢れる言葉でした。まさに光であることば。

 この3年間「愛」について、「無償の愛」について考え、向き合い続けました。精一杯1人の人間を愛しきったこと、後悔ありません。
非常に自分を豊かにしてくれる時間でした。
沢山の新しい自分とも出会いました。大切な人がいる日常の彩を知りました。何度も何度も強くなりたいと切に願いました。全てがかけがえのない愛しい経験です。
 「愛したい」と強く願う自分、そのために葛藤する全て。
これらは相手がなければできなかったこと。
結果どうであれ、誰かを愛することができた人生でよかったですし、愛することで今まで出会えなかった自分と出会えたことが何より財産となりました。

そんな全力で愛しきったと思える3年間が、
どうかあなたの眠れるいのちの泉を照らしてくれますように。
私は、あなたの存在、命そのものを愛おしみ、慈しみ、愛していました。
いつかこの愛が心の底に届いて、今度はあなたが誰かのいのちの泉を照らし出せる人になれますように。
この3年間が未来のあなたの幸せのためのお守りになりますように。
ちゃんと生きてね。

重すぎますかね。笑
私がもらってきた無償の愛を、大切な人に贈りたいともがき続けただけ、
ただそれだけの3年間でした。

「真実の学び」とは。

「真実の学び」とは、世にいう成功や栄達のためではなく、生の機微を見極め、人生の困難にあって、それを見失わずに生きるためである。
更に言えば、例え、矛盾は渦巻き、悲しみや苦しみが折り重なることすらある人生であっても、やはり生きるに値するものであることを、全身で感じようとするのが「学び」の教義だ。

『光であることば』若松英輔著 154項

 深すぎるお言葉。生の機微と聞いてどのようなものをイメージしますか…。
 本当にあると思うんです。自分の心が、命が浮いたり沈んだり、震えたり、悦んだり、熱くなったり、固まったり。
私はよく、もやもやすることがあると、黒い鉛を飲み込んだように胸が重くなります。言語化することが少しずつ軽くなったり。
 あとは、昨日までの自分と、今日の自分では同じものを見ても感じることが全然違うと思うんですね。やっぱり、生きてるって生もので、常に変化している。
そんな自分の命の変化に敏感で在りたい。
それが例え困難の状況で苦しい変化の渦だとしても、それでも人生は生きるに値するということを全霊で感じていたい。
そのための学びなんだと。受け取りました。今の私は。

やっぱり、人生って生きるに値するものなんですね。
生きようとするからこそ人生なんですかね。
だからと言って、生きるのを辞めること、
そうしたくなる気持ちを否定しません。生きようとしろ!とも思いません。

でもそれでもやっぱり、生きるに値するものなんだとは思います。
人生って。

そう信じ続けるために「学び」があるのではないしょうか。
学ぶからこそ、生きていられる。

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さてさて、数ある素晴らしい言葉の中から、今の私に響き、救ってくれた
まさに光であることば達を紹介させていただきました。

読んでいる中で、今の私には理解し得ない言葉も沢山あったんです。
何度も重ねるように読まなくてはならない本だと思っています。
その度に光を得て、手応えを感じずにはいられないのだと。

今を生きるあなたが光射す道を歩めますように。

めんだこ。

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