旅の記憶 1995春 上海外灘
29年前の春
僕は中国は上海の外灘にいた
鑑真号を下船し
すったもんだの挙句
なんとかホテルにチェックインした僕は
そのまま上海の街に繰り出す
今回はチベット行きを目論んでいたので
チベットの玄関口
西寧行きのチケットを探すためだ
チケット売り場への道すがら
外灘を歩く
外灘とは上海市中心部の
黄浦区にある観光エリアで
黄浦区西岸を走る中山東一路沿い
全長1.1kmほどの地域を指す
わずか半年前の夏に
ここを訪れていた僕だが
道を歩く人々が
とても洗練されているように感じた
前はどこかノスタルジックな
時代を遡ってきたような感覚で
街を見ていたが
それがかなり薄まっていた
中国の街並み特に人々が
日本で見るそれと
時代的な差を感じなくなっていたのだ
中国経済の成長の凄まじさだったのだろう
わずか半年で、上海の街並みは
すごい勢いで近代化を遂げているかのような
そんな感覚だった
外灘は多くの人が歩いていて
その多くは観光客だった
写真には撮っていないが
他にも多くの子供の物乞いがいて
僕たちや中国人の観光客の横を歩いては
お金を恵んで欲しいとアピールしていた
歌を歌いながら、両手を叩き
歌の報酬としてお金をせびる
子供が多かったのを覚えている
社会主義なのに
なぜ物乞いがいるのかと
不思議に思ったが
当時聞いた話では
その多くは地方から
出稼ぎに来ている親の子供で
当時は一人っ子政策の真っ只中で
2人目の子供は政府に申請できず
食べるために親が
物乞いをさせていると聞いた
真意の程は定かではないが
観光客に混じって
沢山の子供の物乞いがいたのは事実だ
こちらも中国ではよくある光景で
観光客の家族が
子供にポーズを取らせて
記念写真を撮っている
地方から観光に来ている家族と
物乞いをしている子供
日本から旅行に来ている
学生の僕
色々と感じることが当時はあった
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