必要な時に必要なことが起こる
おはようございます。音楽家、チューバ奏者のKazzです。
このnoteはコロナ禍で音楽の機会が減っている全ての人に、何かしらお役に立てることはないか、と昨年550日連続で書いていたnoteの第二章的なものです。
基本的には今自分自身がプロ金管楽器奏者、指揮者という音楽家になるまでにした成功体験や失敗体験をもとに同じ苦労をしてほしくないという思いのもと書いています。誰かの役に立っていたら幸いです。
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3/27 13:00~
10回目を迎えたソロとピアノの演奏会、Brass in Recitalが入場無料で開催されます。是非皆様ご登録フォームから登録いただきお越しください!
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もくじ
生きていると様々なことが起きます。
その全部が全部良いことや面白いことなら良いのですが、中には嫌な事や辛いことも起きます。
これまで生きてきて、なぜそれが起こるのかと思ったのですが、つまるところ今の自分に必要だから起きるのではないかと思うのです。
というか、そう思って前を向いて進むしかありません笑
Easy Mario
もし、あの横スクロールアクションゲームのスーパーマリオブラザーズを遊んでいたとして、そのステージになんの障害物も敵も落とし穴も、全て何もなかったとしたらどうでしょうか?
ただの平坦な道を十字キーの右を押しっぱなしにし、左から右に向かってマリオを走らせるだけのゲームです。恐らく誰も買いません。
このゲームの楽しさには落とし穴やクリボーなどの障害物、さらにボスであるクッパたち、タイムアタック制、コインの枚数による得点加点制などの制限があるところです。
こういう所に達成感や楽しさを感じる人間、そうした我々の実際の人生に、こういった障害や制限が現れないわけがないと思うのです。
障害や制限
この"障害や制限"は残酷なまでに容赦なくやってきます。
クリボーは、マリオが走ってきた時にぶつかってしまうとマリオが死んでしまうから、少し速度を弱めてあげようだなんて思わず、無慈悲に突っ込んできます。これと同じように、
僕たちの人生にも理不尽に様々なことが起きます。本当に理不尽です。
これを乗り越えるとか逃げるとかいうのは正直どちらでも良いと思うのですが、少なくともこの障害や制限は、僕たちのこれまでの人生を少なからず変えます。
誰もそのままでいられない
この地球上にあるもの、宇宙に存在するもの、どれであったとしても普遍なものはありません。
必ず変化は起きています。それが気づけるぐらい大きなものである場合もあるし、いつの間にか大きく変化していることな場合もあります。
その時に能動的に変化をしていくか、受動的に変化をしていくかなだけなのだと思います。
僕で言えば個人事業が3年目を迎えた時、それまで飲食のアルバイトもしながら事業を進めてきましたが、個人事業が順調になったためバイトを辞め個人事業一本にシフトしました。
順調に進んでいたかに思えましたが、その後新型コロナウィルスの蔓延により全てが一度ストップ、個人事業6年目になった今ではかなりの事業や仕事がストップしてしまい、変化が必要になりました。
ちょうど今短期ですが、実は新しい仕事に向かう最中の電車内です。正直この理不尽さへの悔しさや先への不安。虚しさが心に沈澱しています。
しかし、これも変化です。変化なくして前進はありません。タイトルにも書きましたが、必要なことが必要な時に起こるのです。
今キツイ人
今キツイ思いをされている方、もしこれを読んでいたら是非キッカケにしてみて欲しいのですが、
何か手放したくないものを抱えていたり、自分では気づかないうちに意固地になって視野が狭くなっていたり、プライドが邪魔していたりして動けなくなっていることはないですか?
僕もそうでした、というか今もそうだと思います。今新しい職場に向かう最中の心境でさえやだなーというネガティブな思いでいっぱいです。
でも僕自身、動かない=変化のないままの人生の方が嫌でした。世界や自分の身の回りは毎日、毎秒変わっていっているのになんだか取り残されているような気がしてくるのです。
社会の役に立ちたい、自分の才能を活かして生きたいと思ってお祈りをしていても何も変わりませんでした。とりあえず何でも、このコロナ禍に堕ちて社会も自分自身の気も滅入っている今だからこそ、何か起爆剤をと動いてみたのです。
なので、今日は完全に自分自身への応援歌、そしてこれから向かう先は自分の人生を使った人体実験です。果たして僕の人生に今起きていることは、僕自身に本当に必要だから起きているのか
それを見極めに、とり急ぎ新世界へ飛び込んできます。行ってきます!
Thank you
Kazz