歌い方が分かりません。
おはようございます。
河野企画代表、チューバ奏者、指揮者の河野一之です。
先日妻(同業者)と夜の散歩中にレッスンの話をしていた。
その際、過去にあった質問の中で「歌い方がわからない」というものがあった話になった。
確かによく聞かれる。管楽器のレッスンもそうだけど、指揮者としてバンドのリハーサルをレッスンさせていただく際も”歌い方”についてはよくアドバイスをさせていただくことに気が付いた。なので今日は
演奏時の歌い方の話
歌うとは?
音楽を表現する際にただ決められたテンポで基準の音程に揃え、指示通りの音量(デシベル数)で演奏を行うというのはどうやら”歌う”とは言えなさそうだ。
それができても
じゃあfinaleとかsibeliusで良いんじゃない?
つまり楽譜制作ソフトで流れる電子音などの、PCで作った音で良いんじゃないということだ。
これで世の中の音楽が全て事足りるのであれば我々音楽家は用済みなのだけれども、なんとか生きている。なので"歌う"ということはどうやら人にしかできないようだ。
つまり楽譜制作ソフトが作る人工の音源と、生身の人が作る演奏し作る音源には違いがある。それはなんだろうか、それが広義つまり広い意味で歌うと言えるかもしれない。
人工の音源は素材が無かったり特に指示をされなければ音色やテンポ感、音量、アーティキレーション(表現記号)などの音楽を表現する上での音の揺らぎが設定できない。
しかし、生身の人間が演奏する音楽では上記の表現が全て
・その場の空気
・奏者の状態
によって変えられる、つまり揺らぎが起こる。これが「歌う」ことと言えるのではないだろうか。
毎度同じ表現にはならないだろうし、同じ奏者、楽器、曲で取っても演奏する時間を変えれば毎度変わる。その”揺らぎ”が聴衆の聞こえ方を変えさせる。
往年の歌手が持つ大ヒット曲を当時のライヴレコーディングと最新のライヴレコーディング、全く同じ歌手が歌っても違って聞こえその時々の良さがでるのはわかるだろう。
つまりこの場合の”歌う”とはその時その瞬間”奏者+曲+その場”の三つがかけ合わさって生まれる音楽の揺らぎ、解釈からの表現ということになりそうだ。
ちゃんとやりなさい
僕たち日本人が小さい頃から教わる呪いの言葉
・ちゃんとやりなさい
この力は強烈で、”ちゃんと”の定義もないまま放たれるこの言葉に苦しめられた人も多いだろう。しかも多くの場合定義が不十分なため分かりやすい世界最高峰や自分よりそれができる身近な誰かと比べたり、比べられたりし自分の自信や個性を失っていく。
これで生まれるのが音を外さない、決められた音程で、正しいタイミングで吹こうとするということ。つまり楽譜制作ソフトのような演奏を無意識的に目指してしまうのだ。
指揮をさせていただくと奏者それぞれの表現を一つにまとめ音楽を作っていく作業になるのだが、この楽譜制作ソフト的演奏によく出会う。
音を外さない、音程をよく、テンポもリズムも決められた通りに
大勢の人間で一つの曲を表現する場合にはとても必要なテクニックの一つであることは間違いないがこれが”目的”になってしまっては勿体無い。
”目的”がなんのためにあるか
それは音楽を表現し、聞いていただく方々に音楽を通して何かを感じていただくためだ。
その音楽を表現する”手段”が目的に取って代わってしまうのは違う。
ちゃんとやりなさい。
この場合の本当に意味は、
自分で考え、その自分の解釈をその曲と楽器を通して表現しなさい。
である。
歌い方、その練習の仕方
自分から溢れ出る音楽をそのまま表現したら良いよ
そうよく言われるけれどもそれってどういうこと?という方のために書く。
1、まず”歌うために”とか考えず自分が好きだな、合うなと思うどんなジャンルの音楽でも良いのでめっちゃ聞く。好きだったり合う音楽なのできっと楽しい、その楽しさを存分になんども味わう。
2、1をとにかくやる。勉強のためにとか歌うため、演奏をするため、とかどうでも良いのでとにかく好きな曲を聴きまくる。
3、少しづつ鼻歌とか実際に口ずさんでいるのい気づくはず。それを楽器でもやってみればいいだけ。
これだけ。音程が正しいか、原調か、テンポは?音色は?高さは?
どうでもいい
とにかく好きで好きでたまらない曲を聴きまくって自然と口に、鼻歌にでるまで聞いたらいい。その欲求を楽器を使って発散するだけ、音でも探しながら演奏してみたらいい。
やりたければその音源とともに吹いても良いし、歌うだけにしてもいい。
正解や不正解、合ってるか正しいか、間違ってるかなんて一切気にせずお風呂に入りながら気軽に鼻歌を歌うように、誰かに聞かせるでもなく
自分がそれを好きだから
出てしまっている。
そんな状況が生まれればそれが
あなたの歌い方だ
これに慣れてきたらいろんな音楽を聞いている時に
・こんな歌い方があるんだ
・今度は自分もこうしてみよう
とか色々試しながらやってみたら良い。
誰かと比較したり、正しいか悪いかはやってみてから考えるべきだし正直人によるのでどうでもいい、しかも多くの場合比較や正しいかそうでないかはあまり重要視されない。
あなたが歌い、それを好きな人がいるか、違うものを好きな人がいるか
それだけだ。
こうやって歌い方は”勝手に”身についていき、その後理論化させたり感覚的に習得していく。つまり答えありきだ、
最後に
楽譜に書いてあることを忠実に再現するゲームをしたいのであればそれでも良いけれど、ただの記号でしかない音符たち、そして楽語や作曲者たちの解説も全て表面上の情報で、その楽譜に込められている音楽を引き出すのはプロアマ関係なく
我々演じて奏でる、演奏家だ。
せっかく音楽を演奏する機会を持っているのであれば、誰かが決めたちゃんとした、正しい音楽も時には良いけれども、自分が思うその曲への
想い
を思いっきり出してみても良いのではないか、出してみて気づく足りなかった技術だけ練習したら最大限の近道でないか
僕はいつもそう思う
Have a wonderful music life!
Thank you
Kazz
サポートして頂いた支援は全て金管楽器や金管バンドの奏法の研究、音楽を使ったエンターテイメントの発展に使用させていただきます。