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どうせみんな死ぬんだし、足るを知る。

河野企画代表、チューバ奏者、指揮者、金管バンド専門家の河野一之です。

僕が住んでいる地域は今日は久々の朝日が差し、何日かぶりのベランダ・ブログ。そよ風が最高。・・・っと思ってたら雨降ってきた

今日は足るを知るという話。

多くの国が採用している資本主義、日本もそうであるけれど、この資本主義の世界ではとにかく売ることが必要になる。

なので大企業から街中の商店まで宣伝や様々な工夫など売るための努力を惜しまない。サービス含めモノをより多く、より高く買ってもらう必要があるわけだ。

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相田みつをさんの言葉に「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る」という言葉があるけれど、今の世の中果たして奪い合いか、分け合いかと言えば残念ながら前者だろう。

つい数ヶ月前の買い占めなどは全くそうだ。

さて、今日の足るを知るという話。父が教えてくれた言葉なのだけれど、我々夫婦も実践している。

足るを知り、無駄に持たず、時間を浪費せずだ。

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人それぞれ色んな役割があって、その人に合ったモノやモノの量があるようだ。たくさん食べる人や少食の人、モノがたくさん必要な人から少量で済む人などね。

多くの場合幼少期に「もっと」と思いながら育つと、大人になってから=経済的、時間的自由ができてからその幼い頃の欲求が爆発するようで、その我慢していたことに歯止めなくお金や時間を注ぎ込んでいく。
(これは決して悪いことばかりじゃないからね、僕は肯定的に見てるよ)

ここで我々夫妻。僕たちは両家の長男長女、僕は一人っ子で、お互い初孫。大抵の場合愛でられまくりながら育ったことが容易にイメージできると思うんだけど、食べ物やモノに不自由をして育った記憶は読者の皆様の想像通り無い。それもこれも家族や親戚一同のおかげなんだけど

もはやモノが溢れすぎていて、与えられすぎていて「いらない」と言った記憶さえある。(それも僕側の両親の離婚で終わりを迎えるのだけれどね。)

そういう育った背景があるので僕たち夫婦は正直あまりモノがいらない。

車欲しい、家欲しい、何か高いものが欲しいとかは本当にない。

しいてあげれば、高い安い関係なく美味しいものを食べたい。好きな人たちと好きな場所にいたい。これぐらいだ。一人¥1,000のしゃぶしゃぶ食べ放題が月に一度のご馳走だしね。

例えばここで、年収を上げたいとめちゃめちゃ頑張ったとする。でも年収が今の倍になり、妻や好きな人たちとの時間が半分になったら意味がない。

年収を倍にしたことで心をすり減らし幸せを感じづらくなりストレス発散に物欲や食欲、色欲にまみれたら、本質的に意味がない。

お金がたくさんある、モノがたくさんある、何かがたくさんある幸せも確かにわかる。全く否定しない。

でも
・”無い”幸せ
・”足りていると感じる”幸せもあっても良いと思う。

人生の中で唯一有限なのは時間で、絶対誰でもいつか死ぬ。必ずね。これを覆してきた人はこれまで人類の歴史がなん億年とあるようだけどいない。

自分に必要では無いものを手に入れるために使う”時間”はないし、必要で無いものを手に入れるとそれを処分するのにも時間やお金がかかる。またそのお金を手に入れるのにも時間がかかるので二重に時間がかかる。

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また1つだけ今日のブログで言語化しておきたかったことがあって、それが
「誰かが売りたいものを買わされている。」

しかも色んなマーケティングスキルとか催眠とかの手法を使ってね。
(例:食物繊維は足りていますか?シミソバカス気になりませんか?ダイエットしたくありませんか?日本人の何人に一人はガンで死にます。etc)

本当に心から必要だと思ったものであれば大賛成なのだけれど、不安を煽られたりこちらを誘導して買わせるものを買うために人生の貴重なそれを買うためのお金、つまり時間を浪費する必要はあるのかと常々思う。

無駄なものを買うなという話ではなく、その無駄が自分の人生を彩り豊かにしてくれるのであれば良い、でも不安からくるものならば「人はいつか死ぬ」という大局から見た場合どうでもよくなりはしないだろうか

なので僕は足るを知り続けたいし、いつでも本質を重視したい。だってどうせ死ぬんだから。

数ヶ月後に死ぬとわかっていたら特に思い入れのない宝石の指輪とか欲しいかな?そのお金があったら会いたい人に会ったり、思い出の品を眺めたり、綺麗なものを見に行ったりしにいくだろう。僕に2008年、死をもってそれを教えてくれたのは祖父だった。

最高の映画の1つ

The Bucket List。これもそう。

平和な世の中最高だけど、そこに甘んじて必ず来る死を忘れ無駄な人生の時間を浪費する余裕は僕にはない。死ぬまでのわずかな時間をできるだけ好きな人たちと好きな場所で過ごしたい。そう思う。

あなたはどうだろう?






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