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不必要の必要性

おはようございます。音楽家、チューバ奏者のKazzです。

このnoteはコロナ禍で音楽の機会が減っている全ての人に、何かしらお役に立てることはないか、と昨年550日連続で書いていたnoteの第二章的なものです。

基本的には今自分自身がプロ金管楽器奏者、指揮者という音楽家になるまでにした成功体験や失敗体験をもとに同じ苦労をしてほしくないという思いのもと書いています。誰かの役に立っていたら幸いです。

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不必要の必要性

みなさん、おそらくすでにお気づきであると思いますが、この2年続いているコロナ禍で「不要不急の行動は慎みましょう」という大号令のもと、失われたものが沢山あります。

まさしく不要不急と呼ばれる雑談とか、飲み会とか、祖父母との面会とか、もっと大きいものだと音楽のコンサートとか色々あります。

ですが、本来こういう不要不急と叫ばれてしまうもの、これらが僕らの人生を豊かにし、また不要不急では”ない”もの=必要性が高いものの生産性を上げていくのではないかと思うのです。

雑談の中でアイディアは生まれる

仕事の場で、「はい、それでは新しい案を出していきましょう!」なんていうよりも、仕事以外の場で仲の良い友達同士で何のしがらみもない状態で案を出し合った方が出てくるのと同じで、本来雑談や飲み会、そういう中でのほんの些細なコミュニケーションの中にアイディアは埋もれています。

また雑談が場を和ませたり、関係性を深めたりなどの効果を持たせます。

つまり、不必要と思われやすい行動の中に必要性が含まれている。不必要と必要は表裏一体なのではないかと思うのです。

人生には両方が必要

僕は世間一般的に必要だと言われているもの(急を要するもの)、不必要だと言われるもの(不要不急なもの)、全て必要だと思っています。そしてその答えはバランスです。

先日、アート作品を展示する美術館に行きました。そこに飾ってある絵画や造形物、映像での作品、ぱっと見で正直生存するには必要がなさそうです。

それらのアートがなくても、食事は取れるし、睡眠も取れる、衣食住とはまた別なところにあるからです。

でもお客さんの流れを見ていると、決して安くはないチケット料金にも関わらず、ひっきりなしに来場されています。つまり、ちょっとしたランチコースでも食べられる金額を支払ってでも、そのアートを鑑賞したいと思う=その鑑賞時間が自分には必要だと考える人がいるわけです。

音楽も全く同じです。例えばアマチュア奏者であれば、休日の最中、疲れた体を癒すために家で寝ていれば良いものを、わざわざ重い楽器を背負い、燃料代を使ってまで車で練習場に行くわけです。

コンサートだって、安い居酒屋なら飲み放題のコースで2時間いられるぐらいのチケット料金を支払い、音楽を鑑賞する。でもこれも何千円、何万円を支払ってでも鑑賞したい人はいるわけです。

こういう一見不要不急と言われやすい、芸術の鑑賞や体験、でも蓋を開いてみると

・家を出るまでにおしゃれをする時間
・家を出てから会場に行くまでの間の時間
・待ち合わせをし、誰かと雑談をしながら向かう時間
・会場での”同じ作品を好きなもの同士が集う場所の空気感”
・催物の休憩の合間の時間
etc

とそのメインを鑑賞する時間以外にも本来は上記したようなたくさんの時間が存在します。これら全てが入り混じって人生を豊かにするのです。

必要性が高いと言われる仕事だってそうでしょう。通勤の合間、同僚との雑談、昼食休憩、ちょっとしたアイコンタクトや仕草の交換、あげればきりがありませんが一見無駄、不要不急というものの中に僕たちの人生を豊かにするものがたくさんあります。

コロナ禍、本当に早く終わると良いですね。昨今の情勢を見ていると政府が無能だなんて思いませんが、コロナ禍を終わらせたくない方がいらっしゃるのではないかと思うぐらい長引いています。

核ミサイルと同じで、コロナは地球上から消えないので、コロナから人間が感じる不安度が減れば良いなと思います。つまり、僕ら人間、とりわけ日本人の不安が減るのを待つばかりです。

Thank you

Kazz


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