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ふーん族

おはようございます、音楽家の河野一之です。

お知らせ

まずはお知らせをさせてください。


①The LIVE "In Eb"動画販売中!
令和3年2月28日(日)
東京都西日暮里駅もより「やなかホール」にてチューバ、テナーホーン、ピアノ、パーカッションの4人で開催されたライヴコンサートの配信動画です。

あの感動を再び!

②17LIVEという無料配信サイトで毎朝生放送しています。

ぜひ覗きにお越しください。

毎朝6:30~管楽器奏者が教えるブレスウォームアップ
毎日チューバライヴ

③「即席バンドにて決められた曲を河野一之とともに練習する会」

スターウォーズに続いて今回はThe Year of The Dragon / Philip Sparke!

今後の予定
7/22(祝日)16:00~18:00
8/15 10:00~12:00
9/18 午前午後(ホールでの開催)

ご応募はこちらから

めっちゃ族とふーん族

妻を見てると、僕にとって日常の些細なことや感情の揺れに機敏に反応し、喜んだり、楽しんだり、喜怒哀楽の振れ幅が広いなと常々思います。

しかも、それをちゃんと感情として表し側から見ている僕自身にもわかるぐらいな表現レベルなわけです。

それと比べて僕は大袈裟にしない限り基本的には「ふーん」と言った感じで感情を表現しています。喜怒哀楽はもちろんしっかりありますが、妻や他の感情表現が豊かな人に比べると全くと言ってもいいぐらいな具合です。

でも僕自身は喜んだり、楽しんだり、哀しんだり、怒ったりはしているのです。 (顔がよく怖いと言われるので怒りは伝わりやすいようですが)

無意識ではありましたが、これはなんだ?と意識化した時にの一つの答えに辿り着きました。

ふーん族

何かあるとすぐに大騒ぎし、盛り上げたくなる「めっちゃ族」
自分のペースが第一な「ふーん族」

この性質の違いを理解するまで結構しんどい時もありました。

それはとにかく聞かれるからです。

「つまんないの?」「怒ってるの?」「疲れちゃった?」「楽しくない?」「なんでみんなで盛り上がってるのにそんな顔してんの?」「どうしたの?」「ノリ悪いね」

散々言われてきましたが、誰も悪気はないのです。おそらく僕に気をつかってくれた人たちであろうし、その人の目にはそう見えたのでしょう。

これまでの人生の半分くらいはこういう質問を受けた時に

そうか、そんなつもりはないのだけどそう見えたのか、笑顔を作ろう。ノリに乗ってみよう。盛り上がろう。

と努力してみました。今思い出しても気持ちが悪くなるぐらいストレスでしたが、心配させないよう、気を使わせないよう、空気を読めるようやってみたのです。

こんな感じなので、もちろん楽しくありません。

必然的にその場を離れたくなります。

学生も終わり、大人になってからははっきりと言葉に出せばその場を切り抜けられる、自分で選択をすればいいだけなのだということを学んだので

・そもそもそういう場に行かない
・上記のような質問があった際は相手の立場になって考え
「もしかしたら楽しそうに見えない、怒っているように見えるかもしれませんが、内心は皆さんと同じくらい楽しんでいます。ありがとう。」

このように対応するようにしました。

すると徐々に「カズはこうだからね」と理解してくれる人が増え生きるのが楽になりました。

笑いたくないのに笑う

これまではめっちゃ質問されるので

・笑いたくないのに笑う
・楽しさも普通なのに、めっちゃリアクションを取る
・もう満足なのにさらに面白さを追求させられる

こんなことが多かったです。

また空気が読めないと言われたり、自己中、わがまま、協調性がないと言われるのですが

僕が僕自身を大事にした結果そう言われてしまうのであれば、僕は世界の方が変なのではないかと思うのです。

もっと自分の気分で生きたいのです。

周りが面白がってるから、ノっているから、みんなが、みんなで

というのは僕自身が感情を揺り動かされる条件に当てはまらないのです。

僕が”今”好きか、楽しいか、哀しいか、怒りを感じるか、など僕自身が周りに左右されずその”モノ”から感じることが大事なのです。

なので大人になって多様性を知るまでこの国で生きていくのはとても辛い時が多かったです。とにかく「みんな、みんな、みんな」で動くので。

まとめ

少し愚痴のような内容になりましたが、もし同じような感覚をお持ちで日々の生活にストレスを感じられている方がいらっしゃったら何かをきっかけになるかもと思い書きました。

また自分自身のアウトプットとしても今日の内容はとてもいいものだったと思います。

めっちゃ族からの感情のプレッシャーも思い出しましたし、自分がどう感じていたかも思い出せました。

「君はここがダメだね」

ではなく、そこも含めて全て「面白いね」と面白がってくれる人たちと一緒にいられればいいのではないのかなと僕は思うのです。

感情は強制されるものではないじゃないですか

Thank you

Kazz







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