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出会う試練が自分に足りないものを教えてくれる

おはようございます、チューバ奏者、指揮者、金管バンド専門家の河野一之です。

生きていると様々な試練がやってくる。

僕自身も、あずかり知らぬところで誤解を受けたり、大変な目にもあってきた。でも今こうしてそういう時期を乗り越えたその時の自分からすれば”未来”から見た当時の試練たちは全て”その時その瞬間自分に足りないものを教えるため”に存在していたと常々思う。

これは全て今という未来から見た後付けとも言えるけれども僕はそう解釈する。

もくじ

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言葉がキツイ

僕は家庭内でのコミュニケーションが不器用な両親のもと生まれ、僕自身も”家族への接し方”というものがよく分からないまま大人になった。

外では誰にでも大人同士の付き合いとしてコミュニケーションは取れるけれども、ふとした時に出るコミュニケーションの下手さでよく言われるのが

・言葉のキツさ

である。今だに油断すると出てしまうのだけれども、僕の中で1つとても強い感情があり、それは幼い頃に母親に教わった

嘘はいけない

という教えだ。嘘をついたことがないといえばそれこそ嘘になるができるだけ正直に、怒られようが何をされようが話してきた。

そうしていく中で構成された方程式が

嘘はいけない=言葉を飾らず意味が直で伝わるように話す

という変換であった。それゆえ何事もどストレートに聞いていたし言っていた。

それを気に入ってくれる人もいたし、そうでない人もいたので自分の持ち味とも言えるのだけれども、もし少しでも自分の言い方を変えただけで付き合える人が増えるのであればそれに越したことはないとあるとき思った。

今後仕事の分野や範囲が広がるにつれ付き合う人も増えていくのでそうした中で付き合う人を選ぶのも重要ではあるけれども、自分自身が変わるというよりかは進化し話の仕方をいく通りか持っているというのは強みにもなると思い気をつけた。

するとやはり人とのコミュニケーションがより円滑に楽になる、そうして強気で行かなければ行かないところは自分の素質を使い、コミュニケーションを取る人によっては新しく身につけ始めた柔らかい方法を使っていくのだ。

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いろんな例

僕は言葉や態度のキツさを学び改善していくために”コミュニケーションがうまく取れず、こちらの真意が相手に伝わりにくい”という試練が長い間続いていた。

恐らくこういうnoteやyoutubeでの配信なども全て

「いやいや、そうじゃなくて、僕は本当はこういう風に思っているんです。分かって頂けたら嬉しいです。」

という見た目や言葉、態度から与えてしまう誤解を改善したいなどの潜在欲求からきているのかもしれない。こればかりは神のみぞ知るところであるが。

色々な人たちをそういう視点で見ていくと例えば

・怒ったり、自分の感情を発散させることができない人
→そのためにわざわざ怒らせられたり、その人を挑発するような出来事に見舞われる。

・家族や周囲にいる人の大切さに気づけない人
→家族や周囲の人が離れて行ったりして寂しい思いをさせられる。

・お金の使い方がわからない人
→お金に困るような事態がやってきてお金の使い方を学ばなければ生活が破綻しそうな事態になる。

・幸せに気づけない人
→例えば忙しい日々が突然終わり暇が続く、そうするとこれまでの生活がいかに幸せだったか気づく。逆にこれまでずっと穏やかな日々を送っていたのに突然忙しくなりそれまでの平和で心穏やかな生活がいかに貴重だったか気づく。

etc.

こういう風に自分に足りないもの、この世界で人生を歩んでいくのに必要なものを試練というものは教えてくれる。

自分がもっていないから他の誰かにとっては大したことない事態も大きな問題に感じたりする。

大変残念ながら人としての輪廻は過去の記憶を持ってでもいない限り大多数の人は1回目であるから前世の反省などできず毎度そのときその瞬間自分に必要な試練がやってくるのである、防ぎようがない。

なぜなら自分自身が自分らしく生きれば生きるほどこの世界で生きる上で自分に必要な試練がちゃんとくるからである。ドラゴンクエストだってずっと平和でモンスターもでない草原を歩いているだけのゲームでは人気にはならなかっただろう、要所要所に問題や試練があってそれに打ち勝つための修行があるから物語にのめり込むのだ。

そもそもRPGも人が作ったものなのだから当たり前である。わざわざお金を払ってゲームの中でまで試練に挑むのだ。でもこれが人間。
 (前提として僕はRPGが好きだ)

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まとめ

生きていると色々な問題や試練に合う。なぜか、生きているからだしこの先も生きていくのに必要なことが問題や試練となって目の前に現れる。

天変地異が引き起こす大災害で亡くなられた方々や被災された方々を目の前にしてこんな話は絶対にできないが、それさえも乗り越えられた方々がのちにどのように感じられるかはその方々のみの自由で特権である。

でも我々が普段何気ない日々を生きている中で出会う問題や試練は恐らく多くの場合自分自身が気づかぬ間に引き寄せていた自分を高めるための試練でしかない

まだ33年しか生きておらず、確証を得るために今後もよく見て考えていきたい。

Thank you 

Kazz


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