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幸せは手に入れるものではなく気付くもの。

おはようございます。

チューバ奏者、指揮者、金管バンド専門家の河野一之です。

今日は「幸せ」の話。

よく「幸せ」という単語を目にしていたけれども、果たしてそれが

・何なのか
・どういう状態なのか
・どうやって手に入れるのか

全くわからなかった。

しかし、色々な勉強をしていく中で幸せとは何か自分にないものを得て感じるものではなく、今すでにあるものに感じるものなのだと少しづつわかってきた。今日はそんな話。

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今すでにあるものから感じる

今まだ無いものに幸せを見出そうとすると欠乏感を感じるだろう、なぜならそれがないと幸せになれないと勘違いをしているから。

またそれ自身が「こちらが想定していた幸せ」とは違う幸せを運んできた時理想通りではない!と思うことだってできる。

つまり良くも悪くも幸せとは僕たち自身が「創造することができる」のだ。

例えば極論、今呼吸ができ、このnoteを読むことができる視力があり、感じを読める知識があって、インターネットを使いこのサイトにアクセスできているということだって、できない人はいるわけだ。

だとしたら僕らが当たり前のように出来ているこれらのことは幸せに値するのでは無いか、ここに感謝できるととても心が暖かくなる。

これが幸せだと思う。

ありがたい=有難い、有ることがし難いということを感じられそこに感謝できることが幸せへの第一歩だ。決して今ないものに幸せを求めてもそれはこちらの思い通りの幸せは運んでくるとは限らない、だとしたら既に今持っている物事を振り返りありがたく感じる方が幸せは感じられる。

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今ここで幸せを感じられないならどこへ行っても幸せは感じられないかもしれない。

これは完全に人によるのと、その時その瞬間TPOによって変わるのは重々承知で書くけれども

近場もあったし遠方もあったけど、僕は様々な土地を転々として幼い頃から過ごしてきた。同じ場所に住んでいたのは最長6年だろう。

あとの27年間はなぜか最短1年とかで移住をしてきた。

そんな中で思うのが、自分自身を持ち、自分自身で幸せを感じられる存在でない限り

どこに行っても不幸を感じる。

だろうということだ。

よく移住して幸せを手に入れよう!とあるけれども、多くの場合宣伝広告やSNSで発信している人たちは「それが出来た人たち」だけで、そうでない幸せを感じられなかった人はわざわざ宣伝広告会社に使われないし、自分からSNSで発信などしない。
(今少しづつネガティブな内容も情報価値があると知られてきたので無い事はない。)

〇〇へ移動したから幸せを感じるのではなくて、自分自身がもともとどこへ行っても幸せを感じられる存在で有るかどうかが重要になる。

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まとめ

ずっと幸せとは何か?と何か新しい情報、まだ僕が手に入れていないものの中からずっと探していた。

でも本当はすでに持っていたし、それに気づき知ることが幸せなのだとわかってから人生は変わった。

なのでちょっと極端だったかもしれないけどプロポーズするときも、妻のご両親にご挨拶するときも

「幸せにします!」

とは言わなかった。彼女の幸せとは僕の妻がそう自分自身で感じるものだからだ。彼女”自身”がそう感じられるようにお互いを尊重しあって生きる事は大切だけれども、僕が彼女の”幸せ”、つまり感情や感じ方を操作することなんて無理だ。

先日誕生日を迎え、日々にありがたさを感じ、また幸せを感じたので今日は書いてみた。

幸せはどこかに落ちているんじゃない、既にある自分の中に見つけるものだ。

Thank you

Kazz


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