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『肥大化する霊能者の前世のエントロピー』

「今度はある有名な霊能者に会ってインタビューする話。実は全部ハッタリでしたと言わせる話」

「その霊能者ってあの人?この前言ってたあの人?」

「そう。あの人。小説の中とかでないと会えないからね。面識も何も無し。しかしこの病院の図書室の棚には、あの人の本が多すぎる。良いこともたくさん書いてあるし面白い本だが、何だか安易過ぎやしないか。病人だからってあんな本ばかり読まされてもなあ」

「確かに。でもいい本です」


「前世を信じるか信じないか」は「サンタクロースを信じるか信じないか」と同レベルの只の言葉遊びに過ぎない。セーラは子供の頃にはそう思っていたけれど、人によってはどうもそうではないということが長じるにつれて薄々分かってきた。時には生死に関わるくらいに人によってはとても重大なテーマなのだった。現にセーラが勤めるこの病院でも前世や来世や霊感や神様や信仰について語る患者は多い。大抵は脳挫傷の後遺症だった。国民の多くが戦争や暴動によって脳に重い障害を負っていた。

セーラはある老人患者が書いたノートを読んでいた。この老人は一年以上前から月一で雑誌に原稿用紙5枚程の短編小説を投稿し続けているのだが、未だに採用された試しがない。


「先生の本を何冊か読みました。人生相談の本は面白かった。身も蓋もない感じが良かった。先生の前世は天草四郎だそうですが、私の誕生日は天草四郎の命日です。千利休の命日もです。旧暦ですけど」僕は先生に対して冷や汗タラタラで切り出した。

「天草四郎と千利休、どちらもハッタリの人ね。千利休は茶道の大家だけど、茶碗なんて元々は土くれ。どこにでもあるものが黄金とか城とか国一つと交換になるなんて、大したものよね」
大茶人をハッタリの人と言われて、僕はいきなり圧倒されてしまう。

「モンテーニュというフランスの随筆家の誕生日が私の誕生日と同じです」
僕はあまりメジャーではない人の名前を出してみた。

「『エセー』という本を書いた似非臭いおじさんね。私もたくさんエッセー書いてきたし、演劇だとか芸術活動だとか色々やって来たけど、ハッタリでしかない。人生は全てハッタリ。どうせハッタリなら上等なハッタリをかましてみないとね」
どうも先生にはこちらの言いたい事を先回りして言われてしまう。

「腹芸ってヤツですか?」何とか僕は切り返してみるが、

「あなたに信仰はあるの?神を信じてる?」とても難しい質問をぶつけられてしまった。

「私の信じている神様はとてもみすぼらしくてちんけなものでして、先生のような立派な信仰を持った人の前では信じているとかいないとか言う信仰告白を行うことでさえも、何だかみすぼらしくて恥ずかしい気分です。いっそ神など信じてないと言ってしまった方が楽なくらいです」

「そんな神様なら本当にいっそのこと捨ててしまえば良い。信仰は尊いものだけど、宗教と信仰は別物。宗教は商売だから」

「昔から代々受け継がれている神様ですし、私が捨ててしまうのは何だか気の毒ですから」

「随分とお優しいことですこと」

「まあ、貧乏神ですよね。腐れ縁です。仕方がないです」

「なかなか神様というのは生易しいもんじゃないわね。言われてみると、私の神様もあなたの神様と同じようなものよ」

「そんなことはないでしょう。先生のような信者の前では、誰もが信仰心など持っていないのと同じようなものです」

「私は自分の信仰心に自信があるわよ。あなたの信仰心は少しひねくれてるし、色々損をしてそうね」

「まあ確かに損をしているかも知れません。今回一番お聞きしたかった事について質問させてください。こんな言い方は失礼でしょうけれど、先生の人生もかなり煮詰まってきた所で、やっぱりあれはちょっと病気になってたとか、酒を飲み過ぎてたんだとか、食うものがなくてひもじかったからだとか、そんな風に言ってくれたらと思ったりもするんですよ。前世だとか霊感だとか、全てハッタリでしたと、そういう風に白状してしまえばもう何もかもがスッキリして先生もこの星も、そして全宇宙さえもがハッピーになれるような気がしているんです。そう思いませんか?」


「で、結局この人は白状して亡くなるって話なんですか? 」
セーラは聞いた。話は途中までしか書いてなかった。

「白状はしない。インタビューする人もそこまでは期待していない。だが言葉尻とか行間とかにどこか含みを持たせるような、そんな余韻を残して文章を締めたい。それが文学の醍醐味だし、それがないとツマラン。何のために書いているのか分からん」
老人が言った。

「続きを楽しみにしてます」

「あんたはいい読者だよ。本当に」

セーラの生れた国に、かつて国民の全てから愛された霊能者がいた。
美意識が非常に高くいつも自信に満ち溢れていて、その人自身が美の体現者だと言って憚る所がなかったのだが、良く良く冷静に考えてみれば只々けばけばしいだけの性同一性障害のお年寄りでしかないのは明白だった。
それでも世間ではそんなことは決して言ってはいけない事だという雰囲気が蔓延していたし、セーラも「あんな人を美しいと思えるような人こそが本当の大人なんだろうな」と感じていた。
今でもそう感じている。
だからセーラはいつまでも大人にはなれないが、永遠に若い。


おしまい

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