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初出2006年12月24日 日本海新聞「鳥取県の美術家たち69」

私が竹内氏の絵を見たのは20年近く前だった
展覧会に行った時、私はまず全体を一望し
その中で一番惹きつけられた作品から見るようにしているが
その絵を見た時、体当たりを食らったような衝撃を受けてしまった
そこには枝に刺さった蛙の干物、モズの早贄が
画布からはみ出さんばかりに描かれていたのである
それは私達が日常に接する絵
画家によりバランスが計算され、構成された絵ではない
あくまでも主題である蛙を、無謀とも言える大胆さで描き出しているのである
こんな強烈で独創的な絵を描くのはどんな人だろう
若い美大出で難しい芸術論を戦わせているのではと、勝手に想像してしまった
後日、氏がテレビで紹介された
梨やラッキョウを作る傍ら、40歳を過ぎてから油絵を始めたとのことで
想像とは逆の普通の農家のおじさんだった
氏を訪ねて「なぜ早贄をモチーフにしたのですか」と訊いたことがある
「苦しそうな姿が自分と重なって」との返事だった
早贄はモズが冬を越すため、蛙等を木の枝に刺し保存食にするのだが
時々忘れてしまうことがあるという
食べられれば弱肉強食とはいえ、食物連鎖の環の中に入れるのだが
忘れられた蛙にしてみれば、確かに不条理な苦しみに違いない
竹内氏はそんな自然の非情さと不条理を、自分の人生に重ねていたのだろうか

左側の2枚が売れましたが、家に持って帰ると
家族が、気持ち悪いから早く返して来てと懇願したとか😓

氏の作品は「気持ち悪い」と生前に2点しか売れなかった
「きれいであってはならない、上手くあってはならない、心地よくあってはならない」は
岡本太郎が説いた現代美術の条件だが
中央から遠く離れた田舎で
土と共に生き自然の中で生命を見つめた男の「売り絵ではない絵」は
頭でっかちになった現代美術に、これからも体当たりを食らわせ続けることだろう😍

竹内稔 1927〜2003年鳥取市福部町湯山に生まれ
梨やラッキョウを作る傍ら、42歳で油絵を始める
自由美術会員 94年自由美術平和賞受賞

追記、竹内稔「田舎絵展」を私が企画し三朝図書館で開催したら
「気持ち悪いから早く止めて」との声が多くて参りました😥
「鳥取県の美術家たち」にいつまでも竹内さんが登場しないので
新聞社に「鳥取の鬼才を忘れていませんか」と尋ねると
「あなたが書いて下さい」とのことで書きましたが
これがシリーズ最終回
「きれいな絵で締めくくりかったのに」と文化部長に泣かれました😭

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