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【レポート】場の発酵研究所:第1期#02 [ゲスト]竹本了悟さん

こんにちは、事務局の渡辺(わったん)です。

6月22日(火)は、場の発酵研究所・第2回でした。第1回講師のMOTOKOさんからは、資本主義が行き詰まる中で、私たちは何を信仰していくのか?という深い深い問いをいただきました。(第1回のレポートはこちら

そして今回の講師は、仏教を追求してこられた竹本了悟さん。宗教はまさに、信仰の形の一つだと思います。MOTOKOさんからの問いを引き継ぎながら、今回も研究員やフェローが30人以上集まり、答えのない発酵の時間が始まりました。

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第2回ゲスト:竹本了悟さん

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奈良県西照寺の住職。生きる意味を求め、防衛大学校を卒業後、海上自衛隊に入隊するが、道に迷い退官。改めて、生きる意味を求め、龍谷大学大学院で救済論(救いとは何か、どうすれば救われるか)について研究。その際に浄土真宗本願寺派の僧侶となる。その後、浄土真宗本願寺派総合研究所の研究員として、宗教者の役割をテーマに実践的な研究に従事。2010年に「自死の苦悩を抱える方の心の居場所づくり」をする京都自死・自殺相談センター(愛称:Sotto)を設立、代表を務めている。2018年、研究所を退職、電力事業で「温かなつながりをつむぐ」TERA Energy株式会社を4人の僧侶で起業、代表取締役に就任。

竹本さんは幼少期に、自分の生きている意味に悩んだといいます。いじめにあい、なぜそんな苦しい思いをしないといけないのか、と。そして中学生の時に、身近な人のために生きる人生なら意味があるのではないか。という仮説にたどり着きました。

そして命がけで国を守る人たちに憧れて、海上自衛隊に入隊。しかし、家族よりも国防を優先せざるを得ない生活にまた悩んでしまいます。

改めて生きる意味を問い始めた竹本さんは、龍谷大学大学院に入学。生きるヒントを「救済論」というテーマに求めました。カントやヘーゲルなど様々な哲学を研究した先に、仏教にたどり着いたそうです。

大学院後は、浄土真宗本願寺派総合研究所の研究員に。ここまでの研究の過程が、今の竹本さんを精神的に支えているようです。

仏教の教えと竹本さんの取り組み

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私たちの生活にとって、身近ではないかもしれない「仏教」。竹本さんはそんな仏教から得た、今も支えとなっている言葉を紹介してくださいました。

独生独死独去独来(どくしょうどくしどくこどくらい)

独り生まれて独り死に、独り去り独り来る、という輪廻的な思想で、究極的には独りである、という認識が前提にある。人は根本的に絶望的な孤独を抱えている。現代社会はそれを、見ない様にごまかして解決してきた。孤独を紛らわすためにエンタメやビジネスが発達していると見ることもできます。

縁起=因縁生起(いんねんしょうき)

因と縁により生じ起こる。あらゆるものは縁起で成り立っている。そのつながりを実感できることが大切。世界とつながっている、世界に開かれた存在であることを体得することで絶望的な孤独から解放される。仏教はそう言っているが、同時に、人間は自分という世界からなかなか抜け出せないとも言っています。

阿弥陀仏(あみだぶつ)

阿弥陀仏というこの世界の真実のはたらきを象徴的に表現する物語。阿弥陀仏とは智慧・慈悲のはたらきを表現している。

智慧:苦が生じる関係性の全てと楽になる方法が見通せる
慈悲:楽になる方法がわかるから放っておけない

お釈迦様は王子であるがゆえの悩みを抱え、出家して全てを手放すことで一度すべてのつながりを手放し、悟りを開いた後、再び世界とのつながりを紡いでいった。悟りを開くと人の苦しみが見えるようになり、どう解決できるのかも見えるようになる。そうすると、苦しんでいる人を放っておけなくなる。苦しみが楽になるように様々な方法で導いていかれた。

お釈迦様は、こうした智慧と慈悲のはたらきを阿弥陀仏の物語によって象徴的に表現している。

そして、この世界には阿弥陀仏と智慧と慈悲で満ち満ちていると教えている。ぼくはこの事を、この世界は温かなはたらきで満ちている、と表現しています。

竹本さんは2010年から、「自死の苦悩を抱える方の心の居場所づくり」をする京都自死・自殺相談センター「Sotto」を設立し、代表を務めています。ここには「死にたい」という強い孤独感を抱える人が集まりますが、竹本さんたちは"温かなはたらき"を提供しています。これは阿弥陀仏の温かなはたらきと通ずるものです。

「死にたい」と言ったら、「そんなに苦しければ死にたくもなるよね」とぬくもりを感じてもらえるコミュニケーションをとる、と。

自灯明 法灯明(じとうみょう ほうとうみょう)

お釈迦様は遺言として、自灯明、法灯明、という言葉を残しました。私(お釈迦様)を頼りにするのではなく、自らを拠りどころとして生きていきなさい、と。ただし自分だけでは独善的になるので、法則を拠りどころにしなさい。法則とは、仏法の事で、その一つがこの世界の本質は温かなつながりである、ということ。

竹本さんはこの考えに出会うことで、自ら選択できるようになり、かつ世界とのつながりを実感できる機会として、テラエナジーという電力会社を僧侶4人で立ち上げました。"寄付つき"の再生可能エネルギーを由来とする電気を提供しています。

なんで僧侶が電気会社なんだろう?という疑問、研究員の中にもあったのではないかと思います。

しかし背景にある仏教の教えを知ると、腑に落ちるものがありました。たしかに私たちは生まれた時から、親や学校など、誰かが契約した電気を疑うことなく使ってきたと思います。

それを自ら考えて選択する、その選択によって寄付先とつながる、というのはまさに、自灯明・法灯明が具現化された事業でした。

孤独と発酵

竹本さんのお話を受けて、研究所発起人の坂本と藤本も語りました。

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坂本

近代化が突き詰めてきたものは、合理性。合理的に仕事を進めるには、合理的に理解し合える人たちだけで進めればいい。その方が経済的な成果が出やすいが、その結果として生まれたのだ分断だったのではないかと思います。

イギリス政府は2018年から、「孤独問題担当国務大臣」を設置しました。国が孤独を社会問題であると認めたことになります。近代化による分断の果てに生まれた孤独という問題。

「場づくり」という言葉は、分断して孤立した人たちをまたつなぐために、便利な言葉として使われ始めたのかもしれません。しかしもう一歩踏み込んで、1人ががんばって場をつくるのではなく、いろんな要素が重なって場ができることを表現したいと思い、「場の発酵研究所」と名づけました。

「サピエンス全史」という本では、他の動物よりも肉体的に弱い人間(ホモ・サピエンス)が生き延びてきてこれた理由は、弱いからこそ人と人がつながって協力せざるをえなかったことだと述べられています。そして、物語をつくる力。死後をも想像できる"物語力"。坂本の「1人ではなく、いろんな要素」という言葉に、竹本さんが応えます。

竹本さん

自分は触媒になれる、と思っています。仏教に関していえば、仏教自体に人を救う力があるのであって、自分自身に力があるわけではありません。しかし仏教に出会った自分を通じて、仏教を知り救われる人たちがいます。自分がいないと仏教を知ることができない人がいます。そこで自分は触媒となり、仏教を伝えます。

これは、発酵でいう菌の役割に似ていると感じます。個別に存在していたAとBの関係性が菌を介して変化するようなイメージ。

また仏教の法則では、いろんなつながりの中でたまたま生じている、という考え方があります。また生物科学者の福岡伸一さんは、いろんな要素の分解と合成が重なって形を成している状態を「動的平衡」と言っています。生物的に見ても人間はあらゆる細胞や微生物とつながっているという視点は、社会とのつながりを捉えるヒントになるかもしれません。

しかし、つながりの存在を頭の中ではわかっていても、悩んでしまうのが人間。仏教ではそれを煩悩と呼ぶ、と竹本さんはいいます。

お釈迦様は王族の息子として生まれ、物質的には恵まれていたはずなのに、苦しんでいました。周囲から敬われることに疲れてしまった。そこで出家してつながりを断つことから始めます。そして悟りを開き、自らつながりを取り戻していったそうです。

そんなエピソードを聞いて、藤本も語ります。

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藤本

孤独の質は、時代を経ることに変わっているのだろうと思います。自分自身はたくさんのつながりをつくってきたと思いますし、人と人がつながること自体は簡単になったと思います。しかし、それが仏教のいう本質的なつながりなのかは、わかりません。

お釈迦様は"所有"を全て放棄することで、つながりを1度断ったのですね。断つことによって深まるものもあるのかもしれません。

つながることが簡単になったことで余計に孤独になっている、と感じることもあります。これまでは多方面につながりをつくってきましたが、人とつながるということ自体を見直そうとしている自分もいます。例えば「武庫之のうえん」という畑の取り組みは、人というよりは土と向き合っている感覚があります。

▼武庫之のうえん、カチカチの土と向き合うところから始まりました

「温かなはたらき」とは

藤本が上記のようなことを語りながらも、何度も「なんだか今日は、もやっとする」と言っていました。竹本さんの話を受けた後のブレイクアウトルームでも、仏教のいう本質的な「温かなはたらき」てなんだろう、と、もやっとしながら話している雰囲気がありました。

そんな中、研究員から、竹本さんのSottoが取り組んでいる「おでんの会」について質問がありました。「おでんの会」では、具体的にどんな「温かなはたらき」があるのでしょうか。

竹本さん

Sottoのスタッフが、おでんを食べに来る人に「温かなはたらき」を提供する場として運営しています。

とても印象的な参加者がいました。その方は、解雇され転職活動のストレスのために、話すことすら難しいほどでした。それがプログラムのハンドマッサージをこころを込めてしていると、5分後には寝てしまいました。ハンドマッサージを終えて目を覚ますと、こんなに優しく触れてもらえたのは初めてだった、と泣いていました。

そこから2〜3回、おでんの会に来ることで、孤独を感じているのは自分だけじゃない、この世界も捨てたものじゃないという感覚を持っていただけたようです。しばらく来なくなった後、就職が決まったと伝えに来てくれました。

竹本さんによる仏教の話から始まった今回。それは、自殺希望者の相談窓口やおでんの会、電力事業などの具体的な「場の発酵」に取り組む竹本さんを支える、信念の一つでした。

もちろん、仏教の教えが全てではないと思います。場づくりのようなことに関わる私たちが、何を考え、信じながら、目の前の場に向き合っていくのか。思考や信念と実践の結びつきについて、竹本さんからたくさんのヒントをいただけたのではないでしょうか。

最後に、発起人の二人と竹本さんの結びの言葉を添えて、締めくくりたいと思います。

坂本

抽象的な話も多かったと思いますが、抽象と具体の振れ幅がいいなと思いました。場の発酵研究所は、明日すぐ使えるようなノウハウを得るというよりは、深い問いのようなものを得る場だと思っています。

講師の皆さんと発起人の私たちが話す時間が多いかもしれませんが、この立場が転換してもいいなと思っています。ぜひ皆さんからも問いかけてください。
藤本

よくわからんな、と思いながら過ごす時間だったが、こんな時間もいいなと思いました。パチっと形にはまってわかるものではない、何か。でも、持ち帰って考え続けたいと思う問いがあったと思います。

自分自身は、つながりを求めたこれまでの10年から、少し違った段階にいるのかもしれないと思います。自分だけで気づけない変化もありそうです。他者からの眼差しを受けて変化する自分もいそう。

自分の中では、孤独の感じ方もまた、一つの変化なのかなと思いました。
竹本さん

生きる意味はもちろん、この世界とはそもそも何なのか?という疑問も少年時代にはありました。

そして途中で考えることをやめて、優しくなろうとして自分の感情は伏せて、世の中に適応しようとしました。しかしそれが、間違いの始まりでした。

今日のこの場は、そんなことをありのままに話せる場だったと思います。自分もまた、発酵の杜氏になれた気がしています。

仏教は究極的には、あなたは死ぬんですよと言っています。ところが、死んだ後の事が分からないのは大きな不安です。最後の最後に孤独で苦しんで死んでしまうのであれば、これほどの苦しみはないと思います。それを放っておけないのが仏心。こうした苦への処方が説かれているのが仏教であり、ぼくたちの活動は、仏教の法則を軸とした取り組みをやっています。

そんな話を、思っているままに本音で語り合えるこの研究所は、お寺のようなコミュニティだなと思いました。

資本主義が形にならなくなりつつある時代において、何を信じていくのか?という問いから始まった第1回。その「何を信じるのか?」について、また一つの問いを得た第2回。第3回はどんな問いが起きるのでしょうか。次回も楽しみです。

次回は【7月13日(火)】です。
初めての振り返り会(7月3日)を経ての次回。どんな発酵の場になるか、楽しみですね。

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