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子どもをもつのが怖い

今日は、先日ラジオでお話ししたことを
改めて文章にしてみます。
文章より音声の方が入ってきやすい〜って方は
リンク貼っておきますので、ぜひstand.fmにもあそびにきてください📻
(該当配信は、#13です!)

子どもは好きだけど・・・

私は「自分の子どもがほしい」と思ったことがありません。

そうやって言うと、よく
「子ども嫌いなの〜?」なんて言われるけど
“子ども” という生き物(?)自体は大好きです!

私は26歳独身女なんですが
周りは次々に結婚して出産して
インスタのストーリーは毎日ベイビーズの動画で溢れています👶

そんな動画をみると純粋に「かわいいな〜」と思うし
友だちや職場の人が子どもを連れてくると
けっこう一緒に遊んだりするタイプです。
「子どもたちから割と好かれてるかも」思ったりすることもあるくらい←

それでも、自分の子どもをもちたい、とは思わない理由。

それは
自分と同じような、生きづらさを抱えた人間を
またひとり、この世に生み出してしまうかもしれないことが、心底怖いから
です。

なんだか、大袈裟に感じるかもしれませんが
誰だって「本当に子どもを幸せにできるのだろうか」という不安は
少なからず持っているものだとは思います。
「私でもちゃんと育てられるのかな・・・」と思いつつ
産まれてきたのだからやるしかない、と覚悟を決める人がほとんどなんだと、わかってはいます。

「怖いとか言ってないで、必死に働いて、必死に子育てするんだよ」
「子育てに正解なんてない。愛があれば、大丈夫」
なんていう、人生の先輩方の声が聞こえてきそう・・・


でも

もし親側が
必死に働いて、衣食住なんら不自由ない生活をさせてあげられたとしても
子どものことを心から愛していたとしても
じゃあその子は幸せか?というと
必ずしもそうじゃない、とも思うのです。


父親との関係性

私は、食べる物にもお金にも、困ったことは一度もなかったし
いきたい大学にも通わせてもらいました。
誰からどう見ても、非常に恵まれた環境です。

でも、私の父は、不安定な性格の持ち主でした。

機嫌がいいと、びっくりするほど優しいし
会社で何か良くないことでもあると
「自分が帰宅したのに、子どもたちがおかえりと言わなかった」
というだけで
食卓に並んだ夕飯すべてひっくり返して怒鳴り散らす日もありました。

たぶん、自分は努力でここまできた、という自負があるからこそ
何事も中途半端は絶対許さず
やるならすべて1位を目指していないと
この世に存在する価値すら認められませんでした。

「努力しない人間は、生きている価値がない」
それが父の口グセでした。

習い事は、父がやらせたかった習い事しか許されず
入る部活も、通う高校さえも、
父の希望に従う選択肢しかありませんでした。

習い事も、中学の部活も、コーチは父で
同級生は、試合が終わったら家に帰ってゆっくり休んでいるのに
自分だけは帰宅してからも、何時間も試合の動画を見せらながら反省会。

私にとって、自宅は
安心して、気の休まる場所ではありませんでした。

それでも

どんなに嫌だと思っても
反抗したいと思っても

子どもにとって、
見捨てられることは、「死」と同義。

父の経済力がなければ、自分は生きていくことすらできない。

それがわかっていたから
「見捨てられない自分」でいるしかありませんでした。


贅沢な悩み?


その通りです。

お金と時間をつぎ込んで育ててもらって
行きたい学校にもいかせてもらって
感謝の気持ちもないんかい、親不孝物。

子育ての大変さを知っている方なら
そんなふうに思うかもしれません。

おっしゃる通りです。

私も、理屈では感謝しています。
虐待やネグレクトをされている子ども、
世界には、住む場所も食べる物もない子どもが大勢いる中で
恵まれすぎた環境であることも、重々承知しています。

ただ
心のどこかに
そんな理屈ではどーーーしても納得できない
満たされない気持ちがある
こともたしかなのです。


埋まらない心の穴は、生きづらさになった

いろいろ言ってしまいましたが
私は、父の所業を愚痴りたいわけではなくて(笑)

私はきっと「親」というものに対して
本当は

自分がいちばん安心していられる存在
どんな自分でも無条件に受け入れてくれる存在
時に厳しくも甘えさせてくれる存在

そんな存在でいてほしかった、という
勝手な理想を抱いてしまっていたんだと思います。

でも、親も聖人じゃないから、なかなか理想通りとはいかなかった。

だから私の中には今も
「無条件に愛してくれるはずの親でさえ
“努力している私” “親のやらせたいことをやる私”
“機嫌を損ねないよう気を遣う私”を愛していて
どんな私でも愛してくれるわけじゃない。
他人なら、なおさらそう。
ありのままの私を、好きだと思ってくれる人など
この世に存在するわけがない
(友だちでも恋人でも)」
という想いが、強く存在します。

だからこそ、人に好かれる自分でいようとしてしまって疲れるし
たとえそんな仮面の自分を好きになってもらえても、ぜんぜん満たされない。
本当の私は、もっと性格が悪くて、もっと優しくなくて、もっとかわいくないのに
そんな自分をみせたら、好きだと言ってくれた人だって絶対に離れていく。
そう思ってしまいます。

ありのままの姿では誰にも愛されない自分は、良くない人間だ
という思いと
精神に不安定さを抱えている自分は、やはり父に似たところがあるのではないか
という感情で
自分のことが、到底好きにはなれません。


愛していたって、苦しませることもある

わたしが言いたいのは
自分がどれだけ生きづらいか、なんてことではなくて

何不自由なく育ててくれたって
たとえ本人的には子どもを心から愛していたって
子どもが心に傷やトラウマを負うことはある
、っていうことです。


私は適応障害という病気にかかったことがあります。
今は症状は改善していますが「完治」はないと思っています。
いつまた心が不安定になるかわからないし、体調を崩すかもわかりません。

たとえ適応障害が再発しなかったとしても
自分は「心が安定しているタイプ」とは決して言えないことは
痛いほどわかっています。

だからこそ

もし自分の子どもにも、同じ思いをさせてしまったら。

私を親にもったことで、生涯続く心の穴を子どもに抱えさせてしまったら。

もし自分が、子どもを前にしても感情がコントロールできなかったら。

私に育てられる子どもは
果たして、本当に幸せに生きられるだろうか


そう思うと、怖くて、怖くて、たまらないんです。


子どもは親の気持ちの変化を
びっくりするほど敏感に感じとります。
たとえそれが子ども本人に向けられた感情じゃなくても
子どもは驚くほど敏感にそれを察知します。

それは自分がいちばんわかっているからこそ

自分の感情もコントロールできない人間が
親になるべきではないと、思ってしまうのです。


子どもほしがらないと結婚できないよね・・・

「子どもがほしいと思えない」

そんなこと言ったらきっと
結婚なんてしてもらえないどころか
自分と付き合ってくれる人さえいないんだろうなー

「子どもほしい〜」って
将来の明るい家庭を純粋に夢見れる、かわいくて、いい子が
モテるんだろうなー

産まれる前から不幸にすることばっかり心配してるような女じゃなくて
幸せな家庭になること以外、想像したこともないような子こそが
お嫁さんにすべき女性なんだろうなー

だったら私、一生独身でいた方がいいかも。


そんなふうに独身期間を引き伸ばし続ける
26歳なのでした。

世知辛いぜ。

24歳/新卒2年目の会社員/エッセイスト,コラムニスト/早稲田大学文化構想学部卒業/趣味は美少女鑑賞です