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不登校児が親にしてもらって嬉しかったこと(その1)


こんにちは

幼児心理アドバイザーよよです!

ダイレくんの行き渋りが続いていて自身の不登校を

あのときどうだった?
親はどう思ってた?
と振り返ることが増えている




私は小学校は単発休み

中学は完全不登校のほぼ引きこもり

高校は通信月1登校

卒業後も稀に自暴自棄…

完全なる生粋の不登校児で(笑)

のちに完全に抜け出せましたが

我ながらなかなかの

こじらせっぷり!な

子ども時代でした


当時は本当に苦しくて

ただ息をしてるだけ

箸を持つのすら辛い

なぜ自分が生きているか罪悪感しかなく

深夜に声を殺し泣き続ける事でなんとか毎日を消化…

いつもギリギリのところにいた記憶…



その辛さの経験のおかげか社会に出て自立してからは、大変なことがあっても「あの時にくらべたら越えられないことはない」と糧になっているから人生わからないものですね


勉強も全くしてこなかった反動でいまは好き(笑)


人間どこかで必要なときに
必要な勉強をするようになってるのかもしれません




そんなわたしですが
親からされて嬉しかったこと



それは



「人として嫌なことをされなかったこと」


これに尽きる


もちろん思い出はたくさんある


修学旅行の代わりにと
家族旅行に連れてってくれたり

ランチに連れ出してくれたり

完全無気力になっていた私のわずかな関心をキャッチして可能な限り寄り添ってくれたり

もちろんそんな寄り添いにも
感謝しているけど過ぎ去ると思い出


その思い出とは別でね
生きる土台として
親がプレゼントしてくれたのは
深い愛情と自己肯定感だ

というのも人として
叱責や嫌味、怒鳴る、無理強い、人格否定、態度での否定、ダブルバインド、交換条件、比較等をされた記憶が一切ない


単発休みから完全不登校に至るまで
一切ないのだ


「善いも悪いもジャッチされなかった」「アレコレ上から言われなかった」
「将来の不安も漏れ伝わらなかった」
「価値観や一般論も強制せず」

いやいやいや


自分が親になってわかるけど、
ほんと嘘みたいな本当の話し

両親とも超温厚で穏やかな人なのだ


夫婦喧嘩をしてるのもみたことがない



ただただ普通に受け入れて、
普通に接して、普通の会話して
温かく注がれた愛情の思い出しかない…


奇跡かまぼろしか⁉︎

神か仏か⁉︎

どんな人格者なの⁉︎

達観しすぎでは⁉︎

いやー、謎である


上にあげたことって
一見普通なんだけど


我が子がしかばねになってたら

良かれと思って、とか

親だから言えることだし、とか

飴と鞭作戦で、とか

あれこれ、あれこれ、あれこれ

やらかすこともあるもんだよね?


私の記憶喪失?覚えてないだけ?

いえ、わたし幼少期の記憶が

抜群に良い方で

あのシーンや
あのセリフや
あの風景やらが

幼児期の頃から残っているタイプだから

間違いない!

ほんとうに対応すごかったなと



親になって分かる


自分がどれほど恵まれていて
愛に包まれた子育てをしてもらっていたか

親になったからこそわかる

愛を持つのは簡単だけど

その愛を正しく注げるか?

ひとりの人間として

世間体も気にせずに

不安も押しころし

期待もかぶせず

ただただ注いでいく

その難しさを思うと

本当に感謝しかない


当時は深海に沈んだガラスハートで

どんだけ繊細なの?て

タイプでした


時が経つことで

親にたくさん心配をかけた分

なんとか自立をしなきゃと

立ち上がる力になりました



この親の対応は

側面でみると

わたしに孤独と心理的な無限の自由を与えたともいえます

過干渉とも過保護とも
無関心とも放任とも違う

親の所有物でもなく
個の尊重

そんな感じ

それによって
未熟者が自分の意志を持ち
道を切り開いていくには?

かなりの時間を要することになったのは
事実思う


でも結果論だけど
私の成長過程においては
必要な期間だったのだとおもう

今、自立して立ち直った後のほうが長い人生になってきたのよね


みんな生い立ちを背負いながら生きてくと思うんだけど

自分の人生として当時を振り返ると

あんなに苦しい年月が

本を1ページめくる程度の軽さに

おさまってる


それは親が辛さを分かち合ってくれ
支え続けてくれて…
いや、かなりを背負っていてくれてたからなんだなとおもう

トラウマにならなかったこと

それがその後の人生で

わたしの心身を蝕むことなく

常に平穏、平和を保って

いられることに

結びついてると思う



大人なってからは…

どこにそんなエネルギーあるの?とよく周りから言われるくらいアクティブ人間で人生たのしくて

社会的にも過去からは想像すらできなかった場所での景色が見られている

我が子の子育てとなると
愛情の注ぎかたに夢中で


そんな今のわたしを当時の先生や関係者や同級生に言っても誰も信じてくれないでしょう(笑)

プラス
今の会社で話しても、まさか、嘘だ、じゃどうやってここに⁉︎と驚かれることでしょう(笑)


人生本当に何が起きるかわからないものですね



不登校とひとくくりに言っても時代背景や家庭環境、100人いれば100パターン。やっぱり正解はわからないなとは思います

わたしは反抗的な言動をするタイプではなかったのもあり、親が牙を出さずに済んだのもあるかもしれない

親が牙を出さないから反抗しなかったのもあるかもしれない

その辺はもうわからないけど
どっちもあるのかもしれないし


私も我が子の行き渋りとなると自分がしてもらったことを同じようにできることと、できそうにないこと色々あります



その道の辛さのプロでもあるので(笑)
出来れば同じ思いはさせたくないなとアレコレ余計なことを言ったりやったりして迷子になることあるし、親として未熟で本当に考えさせられる日々です


でもそんな中でも
あの温かい愛情を
私も子どもに注ぎたい


ちなみに私の両親
そんな感じだったので
あの頃のことについて
とやかく聞かれることが
一切ありません


ですが、我が子の行き渋り(初動)を通して色々と考えるうちに
親に改めて感謝を伝えたくなり
又、当時の心境も聞きたくなったのです

そのときのエピソードについてはまた次回〜!


お読みいただきありがとうございました(o^^o)

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