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【おうち療育】駄々っ子の土俵に立たない裏ワザ



よその子だと

泣いてても

わめいてても

できなくても

かわいく思える


なぜ?


それは

そこには

心配や責任がないから



電車で子どもが泣いて

居た堪れない気持ちになったり

発表会でうまく出来ない我が子をみて

将来を案じるくらいに

不安が押し寄せたり



そんな大袈裟な〜と

傍目には思えるのに

自分ごととなると

とたんに同じ思いを抱えたりする



それもこれも

心にゆとりがあれば

なんてことはなくて


でも子育ては

命の育みだから

簡単なわけないし

親はいつだって

真剣に向き合ってる


だからこそ

いろんなことに一喜一憂したり

気持ちをゆさぶられながら

子と一緒に育っていく


人間だもの

いつもゆとりある子育てなんて

出来っこない


我が子を

愛しているから

必死になる


駄々に引きつられ

いつもどこかで

気づけば

髪を振り乱したりして




いつも

気付かぬ

プレッシャーを

私たち親は感じているのかも


そう思うと

いつもお疲れさま

よく頑張っているよね

そんな言葉を

自分に贈ることが

大切だとおもう



ところで子どもが

ワーワーわめいているとき

同じ土俵に上がると

たいてい

ロクなことにならない


子どもが駄々っ子になって

こちらもヒートアップしそうなとき

もし心に隙間があれば

試してみて欲しいこと!


それは…

ズバリ!

目の前で

駄々をこねてる子どもに

ドラえもんのアイテム

スモールライトを浴びせて

こびとサイズになったことを

イメージするの

その様子を

一歩下がって見てください



相手が小さな小さな存在と思うと

ギャーギャーが

ぴよぴよにしか感じなくなるから不思議

駄々っ子に

カッとなるのは

相手に期待ができる状態だから


絶対に何を言っても伝わらない

赤ちゃん相手ならば

そもそも同じ土俵には立たない


でも子どもの体が

大きくなるにつれて

どこかで

なぜだか

言葉が通じるんだから

聞き分けがよくて

当たり前でしょと

子ども相手に大人のような

扱いをしてしまうことがある


そんなとき

駄々をこねる子どもが

いかに子どもであるか

「あらためて自覚」


することが必要


我が子を

時に客観視したり

一歩下がって

よその子だと思って

見ること

子育ての様々なシーンのなかで

必要なスキル

だと思う

たとえば

他にも

咄嗟に大きな声で叱りたくなったときに

冷静になるために

普段使わない方言を使ってみたり

色んな工夫の仕方がある

自分なりのやり方を見つけることで

子育てを楽にする



身体が大きくなると

言葉がしゃべれると

とたんに100を求めがちになる


脳の発達

心の発達

それらと連動し合う

身体の発達

どれもまだまだ

子どもは子どもらしくあって

こびと

のままなのだ



可愛いこびとさんたちは

いつも道しるべを必要としてる

その道が

大人たちの寄り添いと

工夫と努力にあふれた

あたたかな道であってほしいと思う(o^^o)

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