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ラベリングはラベルを貼り付けるだけではないって話

かつてのnoteで“ラベリング”という単語を使いました。
わたくしかつては社会学徒であったため、ラベリングという概念についてもう少し書きたいと思います。
ということで、今回はデザインではなく、社会学がテーマです。

巷でのラベリングという概念の使われ方と、社会学においてベッカー氏が提唱したラベリングという概念にはさほど乖離はありません。
“レッテルを貼る”という言葉が“ラベリングをする”という言葉の意味に最も近しくて、誰しもになんとなく伝わる説明かと思います。

社会学では、“レッテルを貼る”という意味に加えて、もう少し含みを持っています。
ラベリングというのは本人がするものではなく、まわりからされるものであること。ラベリングされることによって起こる良いことと悪いことがあること。
まわりから規定される際の“まわり”とは、身の回りの人であったり、社会や制度のことであったりします。例えば、「あの子は勉強ができない」などと噂話をするいう周りの人々。「○○をしたら罪である」とルールを決めている法律(国家)。

まわりからラベリングをされるとどうなるか。
良いことの例としては、いい意味での思い込みが生まれます。「あなたはいい子だね。立派だね。」とおばあちゃんやおじいちゃんが孫に言い聞かせていると、孫が本当にいい子になること。もちろん、もともとの素養などはありますが、このように良いラベリングをされることでそのラベルに自然と方向付けができます。
次に悪いことの例。「あの子は勉強ができない」「あいつは悪いやつだ」というラベリング。先ほどと逆の現象が起こります。やさぐれてしまったり、自信を喪失してしまったりして、悪い方向へ進んでしまいます。こういう悪い現象にはさらに名前が付いていて、スティグマと言われています。

ラベリングとは、周りの人々がラベルを貼る(決めつける)だけではなく、それによって何らかの結果が起こるという事象のことです。なるべくなら、うまく使いたいものです。

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