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親としての覚悟

この春息子は小学校を卒業した。

卒業式の数日後、チームの卒団式も開催してもらった。

このnoteでも何度か書いてきたが、息子の学年はずっと選手が少なかったのだが、1人だけいた同級生も最後は0になり、最終的に6年生は息子だけになってしまった。

さらに言えば息子のひとつ上の学年も0だったので、息子は5年生の時から、ほとんど同級生もいない中で、チームを引っ張る立場だったことになる。

そんな息子にコーチや保護者の方々も同情的というか、労いの気持ちがあって、とっても愛に溢れた卒団式を開いてもらった。


最終的に一人になったことで、予算がすべて息子の為だけに使われるわけで、卒団のお祝いに頂いた記念品も、「わ、すげえ!」という物を頂いた。

同級生がいっぱいいたら人数で予算が割られるわけで、こんな良い物はもらえなかったかと思うと一人で頑張った甲斐があるというものだ笑


まあ、それは冗談としても、息子の謎の「愛され力」も相まって、コーチや保護者の方々が息子のことをとても気掛けてくれていたのが分かって良かった。

そしてそういう居場所を自分で作った息子が誇らしくもあった。


卒団式のとき、送る言葉や歓談の席で、みんな口々に息子は優しかった、と言ってくれた。

おれも息子は優しい子だと思う。


優しいというのは良いことだ。

だけど、サッカーをする上で、スポーツをする上で、優しさは邪魔をする。

息子の試合を見ていてもどかしく思うことは少なくない。

その原因を突き詰めるとだいたい「やさしいからかなあ」となる。


勝つためには優しさはいらない。

そう言われているし、おれもそれに異論はない。


だけど、おれはやっぱり息子にその優しさを失わないで欲しいと思っている。

勝負に邪魔だからその優しさはいらない、とおれも思うし、実際そう伝えようとしたこともあったが、でもやっぱりそこは求めなかった。

優しさが良いとか悪いとかいうより、それが息子の個性だと思ったからだ。


息子にも個性や性格があって、それが決して人として間違ったものではないのなら変える必要はない、と思ったからだ。


この先息子が自分の意思で自分の性格を変えようとするならおれも文句はないが、親が目先のサッカーの勝利の為に子どもの個性や性格を変える必要はない、と思えたからだ。


色々な楽しみ方があるとは言え、サッカーやスポーツは基本的には勝ちを目指すもので、当然おれも息子に勝ってほしいと思うから息子の優しさ問題には葛藤があった。

それでもやっぱり個性や性格を尊重しようと覚悟を決めさせてくれたのが息子であり、サッカーであって、そういう意味でも非常に良い経験になった。

息子はもちろん、親のおれも少しは成長できたのではないかな、と思う。


次は中学サッカー。体格や運動神経で誤魔化すところがあった息子もそれが通用しない場所でどうするか。

チャレンジの場所になるだろうが、そして親のもどかしさも倍増しそうだが、変わらず見守っていこうと思う。


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