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僕たちは、どう転んだって幸せになる。

前職の上司である、ニッポン手仕事図鑑 編集長の大牧さんが、以前こんなブログを書かれていた。

「どの道を選ぶかでなく、選んだ道でどう生きる(頑張る)か」。

ブログだけでなく、一緒に仕事をしていく中で何度も説いてくださったこの考え方は、僕にとって大きな指針になっている。

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僕の人生は、見方によっては失敗続きなのかもしれない。

高校時代では一時的な不登校も経験。大学には1年長く通い、せっかく就職した一部上場の大企業からも、逃げるようにドロップアウトした。

ただ開き直るようだけれど、それらひとつひとつは、今の僕にとって大きな大きな価値があるものになった。

高校時代の挫折がなければ、きっと関西の大学には進学していなかったし、大学時代の無茶がなければ、今につながる出会いはなかったし、職場での苦悩がなければ、デザインや写真を仕事にすることなんてできなかった。

もちろんその場その場では、それなりの苦痛があったし、たくさんの方々に迷惑をかけてしまったことは忘れてはいけない。
けれど結果的に、今、なんとかこうして幸せに生き続けている。

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「あったかもしれない未来」について、思いを巡らせることは、いくらでもできる。

心身ともに健全で、高校を皆勤賞で通いきった自分。
学業に打ち込み、大学をストレートで卒業した自分。
安定した収入と地位とを築いて、定年まで勤め上げている自分。
どんな選択をしていたとしても、それぞれがそれぞれに、充実した人生を送っていただろう。

だから、きっと僕たちは、どう転んだって幸せになるようにできている。

「そっちの道を選んだら、後悔するよ」なんて、もしかしたら誰かは忠告するかもしれない。けれど、僕たちは僕たちの選択を、これ以上ないくらいの正解にしていけば良い。もし仮に、そこで大きな苦労があったとしても、歩みを止めずに進み続ければ大丈夫。その瞬間は辛くても、しわくちゃになった頃には、全部全部、笑い話になっているはず。

同じように、かつて「選択をしてきた自分」のことも、きちんと誇りに思ってあげたい。
今の自分が頑張ることが、過去を変えられる、唯一の方法だと思うから。

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そして僕は、僕を選んでくれた人の想いに、全力で応えたい。

現職の中途採用のときも、たくさんの人が応募していたと聞く。
「あの人を採用しておけばよかった……」なんて、思いをよぎらせないくらいに、僕は全身全霊で頑張らなければならない。

人付き合いも同じ。
一生や一日といった限られた時間を、僕と過ごすことに使ってくれたのなら、きちんと真剣に向き合いたい。
他愛のない電話。落ち込んだときに一緒にとる食事。馬鹿みたいに騒ぐ旅行。かけがえのない、大切な一瞬だから。

まだまだ、たった28年間の人生。
だけど、こうして自分が「選び取った未来」を今、心から誇りに思っている。

僕たちは、どう転んだって幸せになれる。
そう信じて、これからも生きていこう。

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いつか、コーヒーでもご一緒しましょう。