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ざっくり解説!徳川幕府はなんで弱くなったの?<前半>

雪国育ちのOL、春です。

前回は反幕府側についてざっくりと解説しました。

今回はなぜ国民が幕府に不平不満を抱くようになったのか…つまり、なぜ幕府は弱くなったのかを私なりにざっくりと解説していこうと思います。

幕府が弱体化した要因はもちろん諸説ありますが、私は経済と幕府の内部体制が大きな要因だったのではと思っています。

まず当時の日本経済は災害などに見舞われたこともあり、ペリー来航前から良くない状態が続いており、ペリーが来た頃には完全な財政難でした。

徳川幕府時代は「年貢」と呼ばれる納税方法で、国民は米や特産物を幕府に納めていました。この年貢を納めるために農民たちは米をはじめとする農作物を作っていたのですが、財政難になるとその年貢の負担は重くなっていきます。

年貢関係に関する農民の不満はもちろんありましたが、農作物を作る中で栽培方法が効率化されていき、農民は米の他にも様々な農作物を作って町で販売していました。ということは、実は農民とはいえ上手く売ることができれば経済的に今までより豊かになることもできたのです。

一方、武士は今でいう公務員のようなもので安定した収入は得られますが、限度があるという状態です。そして当時の武士は年貢で一般市民から収められる「米」という税金がお給料だったため、お米を町で売って現金化させて収入を得ていたのです。既述の通り、農作物の栽培方法も効率化されつつあり安定して供給されていたので、米の価格が上がることは基本的にありませんでした。

江戸時代はまだまだ身分社会です。武士は自分たちより豊かな商人や農民を見て、身分は自分たちが上なのに経済的には彼らの方が上という、ちぐはぐした状況に当然不満を抱きます。

そのような中でペリーの来航や開国もあり、外国の恐怖もまざまざと見せられてより「このまま幕府に任せて大丈夫なのか?」という声が国民全体から上がるようになり、幕府の支持率は段々と落ちていく=弱体化していくのです。経済難が原因で支持率が下がるというのは今も昔も変わらないですね。

幕末はドラマティックに描かれることが多いですが、シンプルに考えてみると今も昔も起こっている事は変わらないことに気づきます。このように現代と照らし合わせてみるという事も幕末の楽しみ方の1つです。

少し脱線してしまいましたが、本日は徳川幕府の弱体化した理由について経済の視点からざっくりと解説してみました!次回は幕府の内部体制の視点からみていきたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また遊びに来てくださいね!

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