先日、町の乗馬施設に小さな子が大勢来ました。馬に親しんでもらおうと町が企画しました。私は安全見守り係として参加しました。 小学校に上がる前のおチビちゃん達が、大きなお馬さんにニンジンをやろうと頑張っていました。興味と恐怖。馬を好きになって欲しいです。 私は農家で、馬がいる環境で育ちました。農耕用の馬です。3歳には乗っていたと思います。小、中、高といつも馬と遊んでいました。馬が大好きだったんだと思います。勿論世話もしました。 馬が好きで、いつでも遊びで乗れるのは、今考え
お陰様で投稿200回。ありがとうございます。 NHKのプロジェクトXが復活しました。大好きな番組。 先日は黒柳徹子さんが通った「ともえ学園」の話でした。小林という先生が創られました。 他校で問題ありとされた子供さんを積極的に受け入れたそうです。 一人一人を良く見、その子に応じた教育をした。違いを認め、個性を大事にする。絶対画一的な扱いをしない。軍国教育が叫ばれる中大変な有機だったと思います。結果、ノーベル賞を受ける科学者が出たり、黒柳さんのような国際的な活躍をする人
同じことを何度も言ってるかもしれませんね。 引退競走馬をもらうでしょう。調教は上手くいってますか? 私は何頭も調教しました。100は下らないと思います。競走馬から種馬になった馬も調教しました。その経験を聞いてください。 競走馬だった馬は、精神的にズタズタにされています。当たり前ですね。極限まで追われているのですから。勿論例外はありますが、その率は数パーセントでしょう。ほとんどの馬は人間不信です。敵意を見せる馬もいます。 調教はその崩れた関係を立て直す作業とも言えます
やっぱり性格って出るんじゃないかなあ? 私は元々身体が弱く、意思も弱く、何事も消極的でした。いつも大人の顔色をうかがってました。大人の気に入るようにしてました。ああ嫌だ。 大学に行き変わりました。寮に入りましたが、それまで見たことのない種類の人間がいっぱいいました。先輩後輩の関係は厳しく、4年生は神様、3年生は天皇、2年生は平民、1年生は奴隷。5,6年生は何だったのかなあ?8年生もいたし。 馬術部は朝が早いので別格でした。全国大会に行くのは馬術部だけだったような。先輩
ちょっと寄り道。 仏法は生命は永遠と説きます。 夜寝て朝起きると同じリズムで、生死生死と永遠に繰り返すのだそうです。 飲み過ぎると翌朝具合が悪いのと同じで、今どんな生き方をしたかで来世が決まる。また飲み過ぎると、寝ている間も具合が悪いと同じで、死の状態でも具合が悪いのだそうです。 私は随分馬のお世話になっているので、来世は馬かなと思います。(笑) 今から馬さんたちを大事にして、私が馬になった時、仲よくしてもらえるようにしときゃなきゃ。「お前、よくも俺たちを虐めたな」
大学を卒業すると自由に馬に乗る機会は激減しました。 馬術大会に行ったなら必ずきっちり馬装して見学しました。本馬場ではなく、ほぼ練習馬場にいました。 長靴を履ききっちり馬装した人が見ていると気になるようです。 練習している人が寄って来て「どうでしょう?」と声をかけてくれます。「この馬ここにちょっと問題があって」と課題を言ってくれます。私は真剣に見てますので「こうやったらどうでしょう」と直ぐアドバイス出来ます。 そうなれば、その人馬に声をかける許可を頂いたようなもの。運
自覚してます。私は世に言う主流ではありません。 文の内容が批判的だったり皮肉っぽくなりがちです。 学生の全国大会。総合競技で優勝しました。その時の審判長の講評は今も忘れません。「クロスカントリーでゴール直後常歩にした者がいたが、宜しくない」。それは私でした。「ああ、オレのことだ」 前年、先輩が総合で優勝していました。2年連続田舎の大学にやられて悔しかったんだろうと思いました。その後オリンピックの候補にと連絡がありましたが、きわめて事務的な伝達で、候補には絶対しないと言
40歳で、乗ろうと思えばいくらでも乗れる環境になり、全部やり直しました。全部再検証しました。大会には出ないので、いついつまでに何をしなければならないとの、時間の制限がなくなり、じっくりやれました。 大学時代から人の指導を拒否しましたので、あちこち左右されませんでした。教科書はミューゼラー。その代わり、この人はと思う人の演技は、文字通り食い入るようにみました。一流と言われる人の指導は、直ぐそばで、耳をダンボにしました。 40歳からビデオもこれでもかこれでもかと見ました。世
Can you enjoy riding? 海外の人たちにも馬楽を教えてあげたい。 数年前、アメリカで指導させてもらいましたが大好評でした。ウエスタンの人もブリティッシュの人も。乗せてもらったら、最初は雑談してましたが、その内シーンとなり、真剣に見てました。自分たちの馬が目の前で、どんどん良くなるのですからびっくりしたのでしょう。しかもミスターミキタは、ただ静かに乗っているだけ。 アメリカの人は分かり易い。良いものは良いと直ぐ認める。だからだと思いますが、ぐんぐん上
人馬一体を目指しましょう。 その為には馬へのお願いが大事です。 「私が乗った時だけでいいから動いてね」 乗る前にしっかりお願いするんです。丁寧に丁寧に手入れしましょう。 その馬くんの気持ちの良い所をコシコシしてあげましょう。 たてがみが生えている地肌とか、尾の付け根の地肌は最高に気持ちがいいです。目がトローンとしてしまいますね。 乗ったら馬が嫌がることは絶対しない。愛撫はたっぷり。 特に色んな人に乗られている馬は、乗った人を値踏みします。 「こいつどんなヤツだろ
人馬一体。とてもとても我々ごときが到達出来る境地ではない。超一流の人馬にのみ得られるもの。と、思い込まされているのではないでしょうか。 私はそうは思いません。 初めて馬に乗った人が「止まって下さい」と馬にお願いし、馬がそれを理解し停止したとしたら、それは人馬一体です。だって人と馬が理解しあったのだから。 少し前、馬は意思も感情も持った動物だと話しました。単なる動く物ではありません。もちろん機械ではありません。その意志と感情にも働きかけて初めて馬術です。余りに当たり前の
どんな方々に読んで頂いているのでしょう? 学生の馬術大会の様子。学生の親御さんのお話し。 競技前に大人が下乗りと言うのをするそうです。馬の準備運動をプロ級の大人がやるらしい。何故?何のために? 学生の大会のはず。学生がやるんじゃないのか?ルール違反じゃないのか?そう言えば下見も、大人の後ろをぞろぞろ付いて歩く奇妙な行列を見たことがある。しかも歩数を計るらしい。どこの大学も同じことをやっている。私も頼まれたことがある。障害の設置の仕方とかを見たいので、部のジャンバーを借
しばらく休みました。乗馬楽しめていますか? 何度も言ってることですが、馬は意思も感情もある動物です。しかも知能は高い。草食動物特有の生き延びるための習性もある。それを良く考えて取り組むのでなければ馬術は全く薄っぺらなものになります。 知人から学生馬術の現状を聞きました。どんどん技術水準が下がっているようです。私が学生時代、50年前からみると、障害の高さで10~15cmも低くしているらしい。でなけりゃ皆失権するから。そんなスポーツってありますか。情けない。 何故そうなっ
「馬の顔は何故長いのか?」 「短いと手綱を引いたら身体にめり込んでしまうから」などと馬鹿な話しで盛り上がる仲間がいるといいですね。 馬の顔と頸が長いので乗ってみようと思ったんでしょうね。しかもスポーツとして、演技をしたり障害を飛んだり。凄いです。 他にも乗る動物はいます。象、ラクダ、牛など。象のサッカーがあるとか?ラクダの競走があるとか?牛のロデオがあるとか?でも馬のように多様ではありません。 馬は草食動物ですから、繊維質を消化吸収するために長く重い内臓が必要です。背骨
お母さんと息子さん。 鐙の話のつづき。とにかくリラックスが大事。下半身の力を抜いて、足を鐙にぶら下げる。イメージして下さい。 「つま先を前に向けろ」と教わりましたとお母さん。これどう思いますか? 「自然じゃないですね」。やってみて下さい。ダランとぶら下げるんですよ。つま先はどうなりますか。 「斜め前」。それが自然です。自然なのはリラックスにつながります。 人の足は前後に動きます。まれにサッカー選手は左右にも動かします。 鐙にダランとぶら下げると、脚は馬の腹に寄ると前回
先日、お母さんと息子さんが来てくれました。二人とも乗馬をしている。 「鐙は何のためにあるのでしょう?」とクイズを出した。 「う~ん」 「障害鐙はバランスを保つため」「じゃあ馬場鐙は?」 「う~ん」 こんなこと考えてみるのも面白い。「馬の顔は何故長いのか?」とか。 答えは、リラックスのためです。「えっ?」。思ってもみなかった。 馬場的な運動は鐙が無くても乗れますよね。むしろ無い方が乗り易かったりして。外れたりズレたりを気にしなくていいから。でも、何百年もの歴史の中で鐙を