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君子危うきに近寄らず、を徹底できるか【本気と自制心】

こにちわぬん。ベビだす。
突然ですが、最近調子はどうですか。
そりゃ人生ですから、上手くいく時といかない時があります。
吐き出す場所、吐き出せる相手をちゃんと確保しておくことは自分のメンタルメンテナンスのためにも大事です。

けれど、「吐き出し方」や「吐き出す場所」選びによって、スッキリしようとしたつもりが逆効果になることもあります。

■何も考えずマイナスを吐き出す人は、他者から「本気の人」と認定されない



色んなSNSやプラットフォームを見ていて思うのですが、「本気の人」「ガチの人」ほど、ネガティブなことやマイナスなことは公開しません。
それはつまり、「自分は良くない状態である」ことを大っぴらに公表することであり、例えていうなら


「今我が社の業績は不調です」と堂々と言うのと同じこと。




本気の人が集まる場では、誰だって「好成績な、伸びそうな、成長株でありそうな」人と関わりたいもの。
そんなガチ勢の集まる場で、「今調子悪いんだよね~」と公言するのは、「自分と関わることはあなたにとって厄となるかもしれません」と言うのと同じことなんですよね。

ガチ勢の人は、これをしません。
絶対にしません。
例え不調であったとしても、好調を装います。
今後の自分が大事で、大切だからこそ、歯を食いしばってそうしたイメージの徹底に努めます。
遊びの人・趣味の人(エンジョイ勢)から見れば、ガチ勢のこうした態度は「割り切った、クールな、商業的な」態度に見えるかもしれませんが、実はこれはとても大変なことであり、弱音を吐く方が数百万倍ラクであったりもするでしょう。

本気で取り組んでいるガチ勢の人とエンジョイ勢の人の差は、実はここに大きく見ることができます。

遊びで取り組んでいる人は、独り言感覚でポロっと「ネガティブを発信」しがちです。
それは不平不満であったり、ちょっとした怒りであったり様々です。
何故それを、いとも簡単に公に発信できるのか。

それは「心のどこかで本気ではないから」です。



だからこそ、「それを見た人が自分にどんな印象を持つか、その結果自分の今後の交流や付き合いにどう影響してくるか」まで考えてはいない。
少なくとも、本気で取り組む人はそこまで読みます。
読んだうえで、そう判断します。

そして、そういう相手と関わることはマイナスであると判断します。

■君子危うきに近寄らず


仮にAさんが、常に怒りを振りまいている人や、常に不満を爆発させている人や、そのような相手と懇意にしていたとしましょう。
それを見た人は、どう感じるでしょうか。

「Aさんはこんな人と仲が良いんだ。Aさんの周囲の人はこういう人で構成されていて、Aさんはこういう意見に賛同する人なんだ」

と少なからず思うはずです。
怖いのは、Aさんがたとえそういうタイプの人でなくとも、そういう人と交流していることで「同じ」とみなされること。


ガチ勢はこの怖さをわかっているので、危うい人には近寄らないのです。



これは日常でも見覚えのある光景ではないでしょうか?
タチの悪い連中や、ガラの悪い人と一緒にいると、「同じ」とみなされることは想像に容易いですよね。
仮にAさんが何も発言していなかったとしても、「懇意にしているということは、つまりそういうことでしょ」となってしまいます。

これはネットでも同じこと。
SNSでも、プラットフォームでも同じことです。

どんな発言に賛同しているのか、どんな人と交流しているのか、見る人は見ます。そしてそれは、Aさん自身のイメージ像にも直結し、しっかりと影響を与えます。

もちろん、何もかも繕う必要はありません。
正直に、心のままに、素直にあるがままでいることは、素晴らしいことであり美徳でもあります。

しかし、大人であるならば、そして自分を大事にするならば、「賛同するべきか・この発言をすべきか・この人と親しくすべきか」を一呼吸おいて冷静に考えられなければいけないのではないでしょうか。

そうした行動や判断が出来ないと、「突発的に何をするか、何を言い出すかわからないから危ない人」と結局は同じになってしまいます。
するとどうなるか。

本来付き合うべき人だけでなく、それまで親しくしてくれていた人ですら、
「あの人はちょっと危なっかしいところがあるから関わるのはやめておこうかな」と離れていってしまいます。

お子さんをお持ちの方ならすぐにピンとくると思いますが、


子供にすら、「友人を選んで欲しい」と願いますよね。
子供にすらそれを望むのですから、大人であれば尚更です。



根っから悪い人間や、酷い人間というものはそうそういません。
そのように過ごしていては、社会生活が成り立たないからです。
けれども皆様同じであるように、その方それぞれの人生や目標において守らなければならないものや、大事にしなければならないものがあります。
そこに万が一、悪影響を及ぼす可能性がある事柄や人物は避けて当然であり、それは「冷たさ」でもなければ、「嫌っているから」でもありませんよね。


守るものがあるかどうか、またそれに対してどこまで本気かどうか、ただそれだけのことなのです。


例えばわたしは、著書もあり、今後出す予定の本もあります。
それを考えた時、「作品を守るため」にすべきこと・すべきでないことには慎重にならざるを得ません。
これは他の物書きさんやクリエイターさんも、本気で取り組めば取り組むほど同じなのではないでしょうか。

自分が心血注いだものを、自分自身の判断や行動や選択で、壊したりすることがないように。


「君子危うきに近寄らず」
わたしは君子ではありませんが、少なくとも作品を出すようになってからは、何かをする前に「ちょっと待て」と一旦自分を落ち着かせるようになりました。
「それはたしかに、やりたい事なのかもしれない、したい事なのかもしれない。しかしそれを行った結果、自分と自分の作品にどんな影響を与えるかよく考えてごらん」
と、自分自身に言い聞かせるクセがついてきました。
これは、わたしにとってはとても大事なことです(*'ω'*)

そして今後も、「慎重さは防具である」という強い意識を以ていこうと思っております(*'ω'*)








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