見出し画像

孤独死って悲壮感ありすぎるから「ソロエンド」とかにしたらダメ?

こにちはぬん。
ソロエンドの可能性が現時点で89%くらいのベビだす。

今の世の中、いろんな形の終活がありますね。
おベビもかつて、終活に関する記事を書いたことがあります。

結構前だったと思うのですが、「墓友(はかとも)」というものも流行りました。
主に身内がいない人同士で、望む埋葬の形が一致する家族以外の人とお墓に一緒に入る、というものらしいです(身内がいても一族所縁の墓を拒み、墓友でお墓を、という方もいるとか)。
お墓だけでなく、お葬式の形もかなり変わってきましたよね。
大きな会館などで大規模な葬儀を行うよりも、こじんまりとした家族葬が増えたなどなど。

でもこれ、近代になって日本が豊かになったため一般市民も斎場などで大規模なお葬式をあげることが定着したからだと思うんですよ。
例えば昔々は家族が亡くなった場合、ほとんどの場合は自宅で質素に行う家族葬がメインだったのではないか? と思います。


■親戚付き合い・近所付き合いは避けるのに「孤独死したくない」って矛盾だよね


親戚とも疎遠、近所付き合いどころか隣の部屋に住んでいる人すら知らない、などは現代でよくある光景でしょう。
現代人は、個人を重んじる人が増えてきました。
家族や親戚・近所の人や職場の人との交流に時間や労力を費やすよりも、「個人としてどう生きるか・生きたいか」に重きを置く傾向が強くなってきていると感じざるを得ません。

それはつまり、「生きているうちから(生前から)身近な人でさえその関りを極力少なくし、浮いた分を自分に費やしてきた」選択であり、結果です。
生きて元気でいるうちはそれでいいと思っちゃうものなんですよね。
わたしもその一人です。

わたしが親戚と関りがあったのは本当に小さい頃だけでしたし、親戚との交流が一気に無くなった一番のきっかけは、祖父が亡くなった事でした。
祖父がいたからこそ親戚が集まる機会がそれなりにあったのですが、祖父が亡くなってからはまるで「一族のまとめ役」がいなくなったように、一気に親戚付き合いがなくなりました。

わたしは元々、親戚付き合いが好きなタイプではなかったのでそれで良かったのですが。
母はまだ叔父や叔母たちと兄弟なので繋がりがありますが、その子供という「従妹たち」であるわたしと従兄弟世代となると、成人してしまえばもうほとんど「どこかで暮らしている人」という感覚です。
きっとこうやって、それぞれの家系からさらに枝分かれしていくんでしょう。

同じく近所付き合いが面倒なので極力避けるタイプ(わたしもそうですが)な人が、ある日突然家の中で亡くなっていてもそもそもの交流がなければ気付きようがありません。
交流があれば、「あの人最近見ないな」などの違和感を覚えたりするのでしょうが、そもそも隣人に興味がない場合、生活パターンなども知らないのですから当然です。


「元気なうちは煩わしい付き合いは避けたい! でも孤独死は嫌だ!」
というのは矛盾がある事です。
これは当事者であるわたし本人も強く感じています。

「干渉されたり、気を遣ったり、それらが嫌なら『自分の最期も干渉されない覚悟』が必要」ではないかなと思っています。


■家族がいればソロエンドは避けられる?いいえ、違います


「確かに親戚付き合いや近隣住民との付き合いをマメにしているわけではなく、どちらかというと必要最小限だけど、家族がいるし!」という方もいると思いますが、家族がいる=ソロエンドを避けられる ではないと思います。
妻や夫という伴侶がいてもどちらかが先に亡くなるというパターンの方が圧倒的に多いでしょうし、子供がいても、老いた時にその子が傍にいるとは限りません。

子供は老後の保険でもなければ、看取り役でもない。

もちろん、我が子に看取ってもらえれば最高の最期でしょうが、そればかりは「希望通りのシナリオが運良く実現できた場合」に限られると思います。
何らかの事情で成人した子供と決裂し、ソロエンド待ったなしという方も、実際にそういう関連のお仕事をされている方からよく聞きました。

わたしには人間の子供はいませんし、これはあくまでわたし自身の考えですが、「老後が心配だから子供を作る」「先々に介護してほしいから」「一人で死ぬのは嫌。子供がいれば看取ってもらえる」という考えで子供を持ちたいとは思いません。
もちろん、子供が自分の意思や希望でそうするのは全く問題ないと思いますが、「それを匂わせる事を長期にわたって子供に植え付け、子供が義務だと思い込む」ようなことはしたくない、というのがわたしの考えです。


■ヒトの寿命とその恩恵・弊害


医学が発展し、人は長生きになりました。
昔なら死ぬしかなかったような病気も治せるようになり、延命も出来るようになりました。
そこには、恩恵と弊害があります。

恩恵はまず何より、「家族や大切な人と一緒に居られる時間が長く持てる事」「やりたいことをやれる時間が増えた事」が大きいでしょう。
弊害はやはり、「寿命に対して健康寿命が追い付いていない」これが一番大きいと思います。
長生きすればそのために体の機能が限界に達し、発症する病などもあります。また、それに伴う「家族の負担(介護など)」も無論発生します。

「体の機能の限界例」で簡単なものは、白内障などが挙げられます。
白内障は昔、今よりずっと発症率が少ないものでした。
白内障を発症する前に、寿命が尽きていたからです。

これはペットにも同じことが言え、ペットの寿命も長くなったために、昔なら「10歳まで生きれば長生き」だったペットが15歳、20歳まで生きるようになったため、老いたペットは加齢により白内障になったりします。
体の各機関が正常に稼働する限界を、医療の力で超えて長寿が実現されたための弊害であるとも言えます。

長生きするという事は「幸せな時間や楽しいことがより多く得られるチャンス期間が延びる」ことでもあり、「生きる間で降りかかる苦難に出会う確率が上がる」ことでもあるのです。
良いとこ取りは出来ない、これが真実だと思います。


■「孤独死」という表現が不安なら「ソロエンド」じゃダメ?


孤独死もソロエンドも、内容はどちらも同じです。
誰にも看取られず、死すことです。
けれど、「死」にわざわざ「孤独」をつけるのは、「煽っているなあ」と思う部分があります。
「一人で死ぬのは寂しいぞ~、怖いぞ~」と世間から脅されているような、「意図的な煽り」を感じます。


ヒトは一人では、心穏やかに死すことは不可能なのでしょうか。


野生に生きる動物はその殆どが「孤独死」です。
人間と同じように群れや家族を形成する動物であっても、「仲間や家族に看取られて死ぬ」ことは滅多になく、それはヒトと同じく彼らも確実ではありません。


ヒトも動物ですから本能として「死への恐怖」はあって当たり前なのです。
その上でわざわざ「孤独」というキーワードをセットにし、生まれつき本能で恐れている「死」を、更に恐れさせているように感じます。


死ぬのは怖いぞ~~、特に、「孤独に死ぬ」のは最高の恐怖だぞ~と、囁かれているような気持になって不安を煽られても当たり前です。


そんなアナタにおススメの新しいキーワード!(深夜の通販番組のノリで)

孤独死って、嫌な響きですよね!
なーんか不安を煽られちゃいますよね!
ただでさえ死ぬのは怖いのに、孤独に死ぬぞなんて、脅しですよね!


そんなアナタに「ソロエンド」!!




死は、チームプレイではないのです。
一人一人に生があり人生があるように、あなたにはあなただけの、特別な最期があるはず。
あなたが「その時は誰か傍にいて欲しい」のは、誰のためですか?
あなた自身のためですよね?


あなたさえ納得できる満足な最期なら、あなた一人だろうが1万人がそばにいようが、本質は変わらないと考えたことはありませんか?
「その時に誰かがいるか」ではない、という視点はありませんか?

主役はあなたなのですから、あなたが「いい人生だったな」と思えさえすれば、それこそが最高の最期です。
それこそが、本当は最も重要な事なのではないですか?


あなたの最期の時に優しくそばにいてくれる人がいれば、大いにドヤ顔して旅立ちましょう!!
あなたが最期の時あなた一人なら、思いっきりこれまでの人生に自己陶酔して旅立ちましょう!!


「孤独死」と言われると怖いけれど、「誇りあるソロエンド」は特権でもある、くらいに思ってしまっても良いと思います。

「俺の最後の舞台に、脇役は必要ないぜ・・・(フッ)」
くらい、カッコつけちゃいましょう!!

*******************


どうでしょう、今ベビはこれを自分で書いてみて、結構怖くなくなりました(自分で自分を鼓舞していくスタイル、これ大事)。

「でも孤独死って、後始末とかで死んだ後に他人に迷惑かけるじゃん。それも嫌なんだよ(むしろそれが嫌なんだよ)」
という方も多いと思います。


なので「ソロエンド専用 賃貸」「ソロエンド希望者限定タウン!!」とか、ソロエンドに特化したサービスも、海外だけでなく日本でも活発になるかもしれませんね(近い形態のものはすでにあるかもですが)。


この予言が当たったら、「琥珀ベイビーってヤツが過去に予言してたわ」って紹介して下さいね、未来の人。
そしてついでにわたしの本を買って下さい。

( ↑ しれっと著書一覧のリンクを貼るおベビ)


または「あ、それビジネスになりそう」って思った方、ぜひわたくしにお声を掛けて、一枚噛ませて下さいww


以上!
「孤独死って悲壮感ありすぎるからソロエンドとかにしたらダメ?」でした☆彡


いただいたサポートは執筆活動の大切な必要な費用として、大事に使わせていただきます。 書くことを続けられるよう、応援宜しくお願い致します。