人は自分自身より「他人」を見ることがやめられない。だから〇〇が売れるんです
こにちはぬん。ベビだす。
唐突ですがあなたは、どれくらいの頻度で「自分自身」を見つめていますか?
滅多に自己を見つめない方もいれば、割と頻繁に自己を見つめる方もいるでしょう。
ここで上記の質問文に追加点を入れます。
その上で、もう一度考えてみて下さい。
「あなたが自分自身を見つめる時、そこに『他者からの評価・他者の目』を全く気にせず純粋に自分自身を見ている回数は、実は限りなく少ないのではないですか?」
おそらく真相はそうだと思います。
自分を見つめる時に他者の視点も取り入れることはある意味必要で、それは「客観性」や「冷静さ」に繋がります。
メインテーマは自分でも、その自分を客観視するためには尺度となるものが必要です。それが他者や世間など自分を取り巻く「社会・またはその構成員」等は身近な判断基準として手軽に用いやすいからです。
ここから本記事のタイトルに直結するお話を述べていこうと思います。
①「自分自身を見つめているはずなのに、気が付いたらいつも『他者ありき・他者にとって都合のいい自分』を見出してしまう」
②「自分らしくあろうとすればするほど、よくよく考えたら『他人に望まれる自分』になってしまう……」
③「自分らしくあろうとして吹っ切った結果、人が去ってしまい、敵が増えた気がする……」
これらにピンと来た方は、本記事タイトルを意識しつつここから先を読み進めてみて下さい。
先述したように、自分を見つめる時に「自分を取り巻く他者や世間」は尺度の一つとして使われます。
ただ、それを使うシーンが間違っているため、①②③のようなことに陥るのです。
そして他者や世間という尺度の使い方を自己と照らし合わせる時に間違った使い方をしてしまう根本原因は、
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