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東京に行っても、ずっと

「東京に行っても、ずっと仲良くしてください」
 名古屋駅の改札前、きれながの一重に涙を浮かべ、か細く低い声をふりしぼって、初恋のそのひとは声をふるわせた。東京に行っても、ずっと仲良くしてください。じぶんの気持ちを滅多に表現しない、もしくはじぶんの気持ちを表現するのが苦手な彼が、人前で泣いているのをぼくは初めて見た。ぼくが東京の本社に異動になり、名古屋支店に出社する最後の日のことだった。

 初恋くんは会社のひとつ下の後輩で、ぼくとは正反対の人間だった。いぶし銀という言葉がよく似合うひとだ。寡黙で感情を表にしない。一方のぼくは、感情表現が豊かで愛嬌が武器だ。容姿の美醜はおいといて、かわいいという言葉がよく似合うように生きている。
 お前ら本当に仲が良いのかと上司や同僚から本気で聞かれることが多かったが、それがぼくは心地がよかった。最高に仲良しだと大きく答えるぼくの言葉に、嬉しそうにしている彼の横顔を感じるのを含めて嬉しかったのだ。彼の良さを沢山知っていることに誇らしくも思った。

 仲良くなったのは、初恋くんが入社して一年と少し経った夏のことだ。小さな短期プロジェクトで一緒に働いたことがきっかけだった。同じ部署であるためほとんど毎日顔をあわせているのだが、口数も少なく何を考えているかもわからない彼を、ぼくは苦手とさえ感じていた。夏の蒸し暑さがワイシャツを滲ませたあの日、ぼくら以外がその会に来れなくなり、ほとんど事故的に二人で飲みに行ったあの日、ぼくは彼の魅力に取りつかれ始めたのだと思う。
 寡黙で表情もほとんど動かない彼であるが、よく周りのことを見ていて、なにより人の気持ちがわかるひとだということわかった。少しだけもっていた毒は二人ともそっくりで、仲良くなるのに時間はかからなかった。

 当時ぼくには大好きな彼女がいた。かわいくてかわいくて仕方なかったし、このひとと結婚すると信じていた。だから最初、彼に対する気持ちがいわゆる恋だということには、つゆにも思っていなかった。

 沖縄、北海道、東京、大阪、北陸、九州、ことあるごとに旅行に出かけ、毎週のように遊びに出かけた。毎回ぼくから誘っていたが、毎回彼はついてきた。あることないことをきゃっきゃ話すぼくに、そうですか、そうですかと彼は相槌をうった。本当に楽しくて一緒にいるのか不安になったときに酔った勢いでぶつけてみると、そんなに楽しくなさそうに見えますかと怒られた。どうやら彼もぼくのことが大好きなようだ。好きの意味が違うことも、痛いほどわかっていた。

 初恋だった。恋焦がれることはこれまでにもあった。彼女のことは大好きだし、彼女の大好きが一生ぼくに向いていて欲しいと思っている。ふたりだけの営みに愛情も感じていた。それでも、その手にふれたいと思ったのは彼が初めてだった。理性がなければ、この気持ちは抑えられないと思った。

 ぼくの中に同性のことを好きになる可能性があることは、学生のころから知っていた。目で追いかけてしまうのは男性だったし、男のからだを見ると興奮する。男友達が盛り上がっている女性のからだへの興味が全くない。マジョリティでないことをよくわかっていたから、男の人を好きになることはしなかった。叶わない恋をして傷付くのも、じぶんの中にある異常性を認めるのも、それが他者に知られるのも怖かったからだ。その自覚から初恋までの期間を長引かせたのは、女の子に抱く欲外の恋心と、興味がないのにも関わらずセックスはできてしまう性質だった。男の人を好きになったことがない、女の人を好きになり営むことができる、この事実はぼくの中にある同性に恋をするという可能性から目をそむけさせた。知らないふり、見て見ぬふりをしていた。
 しかしもう、取り返しがつかないのだ。具体的に男の人を好きになってしまった。ふれたいと思ってしまった。今までに感じたことのない欲情を、恋慕の情とあわせて抱いてしまった。マジョリティが異性に抱くこの感覚を、身をもって知ってしまった。叶わないこの恋に、生きにくいこの性に幾度となく泣いた。

「なに言ってるの、そんなの当たり前だよ」
 何も言わず震えている彼の背中をさすった。むだなにくのない骨と筋肉の感触が、ワイシャツ越しに伝わる。あたたかい。
 大丈夫だよ、すぐに会えるしまた旅行しようと、当たりさわりのない言葉をかけた。この際、この思いを伝えてしまおうという気持ちは少しもわかなかった。仲良くなってから二年弱、長い間抱いてた彼への気持ちは、このときにはもうなくなっていたからだ。またこれは別のオハナシになるが、ぼくはぼくが幸せになるための条件として恋愛対象を男にしぼった。それからのぼくは行動が早く、大好きだった彼女とは別れ、出会いの場としてのアプリがあることを知り恋愛市場にでた。そしてこのときにはもう二回目の彼氏がいた。恋人がいる期間は一気に初恋くんへの思いは消え去り、この事実もまたぼくが男の人が恋愛対象であるという自覚を助長するのだ。ぼくは初恋くんを、友だちとしてではなく男として好きだった。

「終電なくなっちゃうよ、大丈夫だよまたすぐ会えるよ」
 俯いた彼を改札に促す。なにも話さないけれど、名残惜しいのが痛いほどわかった。
 大好きだった。もう大好きじゃなくて、ほんとうによかった。あの感情をまだ抱えていたら、上手にお別れできなかったに違いない。彼の流した涙はぼくの気持ちを一ミリも知らないけれど、それでいいのだ。ぼくはぼくの世界で必ず幸せになる。彼の姿が見えなくなると、少しほっとするぼくがいた。


 はやかわです。
 読んでいただきありがとうございます。嬉しいです。初恋と、じぶんの性の向きを受け入れるまでの話でした。初恋くんのことは好きになってよかったです。苦しかったですが、じぶんの幸せと向かい合えました。
 同性を好きになることについて、文中で異常性という表現をしました。適切ではありませんが、当時のぼくにとっては異常なことのように感じていたため、この表現を使いました。マイノリティという表現が正しいでしょうか。あと何世代したら、だれを好きでだれを好きでなくてもみずからを異常だと思うことのない時代がきてくれるのでしょうか。
 以上です。よろしくお願い致します。


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