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言葉がすべてではない。人の本音は心で感じるしかない。

じぶんの言葉が何%くらい、本当のことを言っているのか考えたことはありますか?

私たちは非言語的コミュニケーションといわれる五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)を使って、言葉以外の感情や空気などを感じとっているのは、皆さまご存知のとおり。


でも、それだけじゃなくて、実際には直接会ってない人の感情が読み取れた経験ってないですか。


会ってないから五感で感じることもできないのに、なぜか「もしかして・・」が当たること。

しばらく会ってない友人をふと思い出して、なんだか心配になって連絡をしたら、辛い時期真っ只中だった経験とか。

ふと歯磨きしながら思い出してた人と偶然駅前で出くわしたり、久しぶりに連絡が来たりだとか。


目に見えないものを見る力。
言葉じゃなくて心で物事を感じる力。
人の内面を見抜く能力。

私たちは、みんな生まれながらにして
持っている能力なのかもしれない。


そして、多分、
この力って超能力でもなんでもなく
練習で鍛えられるものだと思う。



その練習は、
「自分がブレず、ウソを吐かずに生きること。」だと思う。あくまで私の意見だけど。



文字にすると簡単そうだけど
これが、なかなかに難しい。。

人は自然に生きてたらブレてしまう生き物だから毎瞬ブレずに生きるのはかなり難しい。。


けど、その中でも今ここを一所懸命、
昨日の自分と比べて毎日1ミリでも超えていく生き方をしていれば、あるとき、きっと感じられるようになるのだと思う。



自分がブレない生き方をしていると
誰かが紡ぐ言葉や発する言葉が嘘だったときに、「違和感」として感じるようになる。


「ああ、今この人は、自分の本当の気持ちに気づかないことを選択した。弱さを隠したくて、逃げることを選んだんだなあ。」

「この人は、いつも笑顔でたくさんの人を褒めているけど、本心は自分が嫌われて傷つきたくないだけなんだな。」

「ああ、この人は今、心から親身になって話を聞いてくれている。一切手を抜かず、一所懸命に私に寄り添おうとしてくれている。」



それがある一定の練習量に達すると、直接会わずとも分かるようになってくるのだと思う。


自分がクリアなエネルギーを放っていると
濁ったエネルギーの人に敏感になる。

だから、嫌でも分かってしまうようになるんだろうなぁ。


人の内面が見えてしまうって
嬉しくもあり、ツラいことなのかもしれない。



なんでこんなことを話したのかと言うと
私の密教阿闍梨の師匠が、言葉を交わさずとも
直接会わずとも、内面を見抜いてくるからだ。


そして師匠から
世の中には、そういう人がゴロゴロいる。
と教わった。




「ほぼ確実に内面を見抜く人たちがゴロゴロいる。だから、言葉でいくら繕っても無駄だぞ。」


「手を抜いた瞬間にバレるし、言葉を放った瞬間にバレる。いや、言葉なんて発さなくてもバレる。」

「でも親切に、"今あなたの内面が分かりました!"なんて言ってくれる人は99%いない。だから、自己鍛錬あるのみだ。」


・・・。


自分の内面が
バレてないと思っているのは、
自分だけかもしれない。


むしろ、自分自身が自分の本音に気付く
何ヶ月も何年も前に、分かる人は分かっている。


ならば、
もっと素直に生きた方がよっぽど良い!

だって、嘘や小さなプライドが見抜かれる方が、もっと恥ずかしいじゃん。笑


どのくらいの年月、どんな修行を重ねて鍛錬したら、師匠のようになれるのだろう。。


人の内面を見たいか見たくないかは別として、
素直にブレずに嘘を吐かない人生を、
私は送っていたいと思っている。



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