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ビールの新しいストーリーは続いている

株式会社ビアスタイル21という会社と、GARGERY(ガージェリー)というビールブランドについて話したい。社員数3名の小さな会社、全国約1,000の飲食店で扱っていただいているビール、その成り立ちと20年以上に渡る物語は、少し面白い。

取締役兼ビール醸造責任者の佐々木正幸、営業&ブランド伝道師の座間雄樹、そして代表取締役(※)でありマーケティング責任者の自分、別所弘章の三人 、この3人になるまでの紆余曲折は置いておくが、事業開始の2002年当時は4名だったので、成長ストーリーどころか社員数は減っている。そんな小さな会社が、よく20年以上も腰折れせず粛々と愚直に同じ想いを持ち続けてここまできたものだと思う。
※ 創業時は佐々木が代表、2020年6月より別所に交代。


大手ビールで生まれた小さく強いビールへの想い

2002年7月25日に株式会社ビアスタイル21は大手キリンビール株式会社の社内ベンチャー的な位置づけで設立された。社内公募で選ばれ事業企画を最初から手掛けたのが佐々木と僕の2人。後に2名が加わり、4人でGARGERY(ガージェリー)というビールを開発し、会社設立に至った。

この事業を企画するに当たっての僕らの想いはこうだった。

日本のビール業界に疑問を感じている。ビジネスとして“量”ばかりを志向した商品、広告イメージ先行の商品、そして酒税法の隙間をついた価格訴求型の商品がますます広がっている。一方で消費者の嗜好性は着実に高まってきている。ワイン、日本酒、焼酎について一定の知識を持って楽しむ人は明らかに増えているし、モルトウイスキーを語る人もいる。ビールについても地ビール、ベルギービールなど小さな流れが始まっているように思える。(2002年当時は“クラフトビール“という言葉はなかった。)

ビール業界の真ん中にいて感じるこの乖離感は何だろう。

お酒が大好き、ビールが大好きな自分たちが、仕事として、使命を持って、今やるべきことは何だろう?

徹底的に話し合い、4人の想いが収斂した。

既存のビール業界を否定するのではなく、新しいものを創らなければいけないと思った。アンチテーゼだけでは人を惹きつけることはできない。ビールが本来持っている可能性を引き出して、さらに他にはない魅力を加えたい。願わくば、飲んでくださる人たちの生活や人生を演出する名脇役として長く愛されるものを創りたい。一番売れるビールではなくても、一番愛されるビールを創りたい。

それがGARGERY(ガージェリー)だ。

スタートは、ブランドのメッセージを最も力強く伝える商品一本で行くべきと考えた。GARGERY(ガージェリー)のフラッグシップとして、ガージェリー・スタウトが生まれた。一般的に思い浮かべる「ビール」のイメージとは全く異なる、新しい「何か」がこれだ。

ガージェリー・スタウト(樽詰)

コントラクトブリューというビジネスモデル

設立したのは醸造所を持たないビール会社。本格的に独自のブランド展開を志向した“コントラクトブリュー(契約醸造)”という日本では初めてのビジネスモデルのビール会社。大手ビール会社の醸造設備は、僕らが造ろうとしているビールの量には大き過ぎたし、また大手ならではの様々な社内ルール、組織体制、業界慣習が、サイズ感が全く異なる事業においては足枷になるだろうと考え、別会社にすることが重要だった。一方で、醸造設備を新たに造って大きな投資をするよりも、既存の地ビール会社をパートナーとして製造を委託することで、大きな設備投資を避け、新規事業としてのリスクを小さくすると同時に、お客様に新しい価値を伝える活動に力を注ぐことができる。当時は1995年に始まる地ビールブームが一旦収束し、ほとんどの地ビール会社は製造設備の稼働率が上がらず厳しい状況にあったことも重要な環境要因だった。

当初、ガージェリー・スタウトを新潟のエチゴビール株式会社に製造委託し、その後発売したガージェリー・エステラは静岡県の醸造所に委託した。(現在は、2009年以降に発売した瓶商品も含め、全てエチゴビールに委託。)醸造責任者の佐々木が、ビールのレシピを作り、原材料の手配をし、メールや電話で醸造所とやり取りをしながら醸造管理をしてきた。(現在は佐々木は新潟に常駐。)

余談だが、今は「ファントムブルワリー」という醸造所を持たないビールブランドビジネスを指す洒落た言葉があるが、日本においては、その先駆けで、かつ20年以上に渡り継続している唯一の存在が、ビアスタイル21でありガージェリーだと言えるだろう。

大切なのはビールの鮮度とコンディション

飲食店からいただく注文の数だけ毎日樽詰めをして、その翌日に冷蔵便でお店に届ける。365日無休で「昨日詰めたばかりの樽生ビール」を飲食店に届ける。これがガージェリーの出発点だった。ビールは熟成タンクから瓶・缶・樽などの容器に詰めた瞬間から酸化劣化の時計が動き始める。だから流通在庫はもちろん工場在庫にさえすることもなく、詰めた直後に消費される現場つまり飲食店に届ける。いかに良いコンディションでビールを飲んでいただくか、それはビール自体の出来がどうかいうことと同じか、場合によってはそれ以上に重要だ。ちなみに流通在庫が無いと、お店にとっては注文から納品までは一日ギャップができる。だからお店の利便性を考え、受注も出荷も365日対応にした。この少人数で365日営業を続けている僕らも僕らだが、それに付き合っていただいている醸造所の方々に感謝しなければいけない。

樽のラベルシール貼り作業

「ビール」ではなく「新しい何か」

製造設備を持たない僕らにとっての有形資産で大きなものは数千本の「樽」だ。これに対して、より重要なのは無形資産、つまり「ブランド」だ。「GARGERY(ガージェリー)」、このブランドをいかにお客様に認識してもらい価値を感じていただくか、それが全てと言っても過言ではない。

樽詰スタウトビールを、他にはない鮮度でお店に届け、最高のコンディションで飲んでもらう。素晴らしく美味しいが、「あの黒ビール美味しかったね」で終わってしまってはダメだ。次に繋げるためにはグラスのデザインが極めて重要だと考えた。GARGERYというロゴやブランドマークはつくったが、当初樽詰ビールだけだったため、瓶缶商品と違ってラベルが無く、飲食店で「形」としてお客さんの目に触れるのはグラスだけになる。普通のビールジョッキやタンブラーグラスにロゴをプリントしたくらいではまず覚えてもらえない。

だから誰もが一度見たら忘れられない形、しかもブランドとしてメッセージをしっかり持っているデザインにした。台座の穴に入れないと自立しないコーン型のオリジナルグラス「リュトン(角杯)」は当初ガラスメーカーの職人さんを大いに困らせたし、そもそも飲食店での実用性はあるのか、という心配もあったが、今やガージェリーのブランド名よりも有名かもしれないという存在になった。

古代の酒器である角杯をイメージしたこのグラスはエレガントで、ガージェリーのマーケティング上のターゲットにした30~40代の女性の手によく似合う。

そう、こだわりのビールをビールに詳しい人たちに訴えたかったんじゃない。外食を楽しみ美味しいものを知っていて、普段はワインやカクテルを飲んでいるような彼女たち。彼女たちに「新しいアルコール飲料」としてガージェリーに出逢って欲しかった。

その場所に咲かせるために

だから僕らは“東京外食マーケット”のど真ん中からスタートした。そして2002年から2007年までの5年間は東京にエリアを絞って展開した。

ガージェリーの品質に対するこだわりを理解いただくことは大前提として、通常の大手ビールに比べると数割価格が高いプレミアムビールに対する受容性を持つ、お客様がそういうものを楽しみたいと思えるシチュエーションを提供する飲食店。それはどんな業態で、具体的にはどのお店か?飲食店情報誌をくまなく調べてリストアップし、メンバーと喧々諤々議論を重ねながら、街を歩いた。

当時は今のようなクラフトビールブームは想像もできなかった時代。お店の方に「新しいビール会社です。」と挨拶すると、たいていは「うちはビールは決まってるから。」とそっけなく言われる。しかもスタウトビールだと知ると「うちは黒ビールは売れないよ。」

でも、とにかく試飲していただく約束を取り付け、重たい試飲キットを持参。

最初はネガティブな反応をしていた人が、このキットを開けて準備している最中、リュトンに目を奪われ、これにビールがサーヴされると風向きが変わる。一口飲んだ後には「ディスペンサーを置く場所があるかなぁ。」などと急に具体的な会話になったりして。

しかし取り扱いが始まってからの方が難しい。無名のビール、しかも“黒ビール”を注文するお客様はそんなに多くはない。お店の人がリコメンドするか、メニューでかなりアピールしていただかなければ10L樽のビールが回転しない。ビールが古くなって味が落ちたものを出したらガージェリーもお店も評判を落とすだけ。扱っていただかない方が良かったということになる。

だからPOPが重要な役割を果たす。普段はメーカーが用意したPOP類をあまり置かないような高級店でも使ってもらえるセンスのあるデザインが肝要。継続使用を促すために季節に応じたデザインで入れ替えもする。当時撮影だけはカメラマンにお願いしていたが、デザイン、印刷は自前。毎シーズン、会社のプリンター、パウチ機はフル稼働。瓶商品を発売して取扱い店数が増えた今はさすがに季節毎のデザイン入れ替えはしていないが、それでも自分たちで印刷しパウチして一店一店個別にアレンジしたPOPを用意するスタイルは変わっていない。

最初の数年で取扱店は都内約250店にまでなった。それでもビジネス目標としては十分ではなくコストはかけられない。生ビールディスペンサーの設置や撤去、備品の配送もできる限り自分たちでやった。また、生ビールディスペンサーを使用してもらう以上は、ビールラインの洗浄など、お店自身による日々のメンテナンスが重要。その必要性の説明、作業の実施状況についての継続的な確認とコミュニケーションこそが大切な活動になる。

ビールは醸造所で造り出荷して終わりではない。
生花のように繊細な液体の魅力を最大限に引き出してお客様にサーブしてもらうべく、何をするか、何を伝えるか、それが、僕らの使命だと思っている。

ブランドは自分の子供

こんな感じで、2002年から2007年まではキリンビールの子会社として活動した。しかし、この小さなビール事業は、簡単に言えば親会社から「戦力外通告」を受け、キリンビール株式会社の資本を離れることになった。当時社長だった佐々木はキリンビールを退職しビアスタイル21に残留。僕はキリンに戻り同社内で全く異なる仕事に就くことになった。

それから7年半後、今度は僕がキリンビールを退職し、ビアスタイル21に出戻りをした。キリンを退職する意思決定と、ビアスタイル21への再就職は直接的な繋がりはなく別々の判断だったが、今となっては運命づけられていたものとしか思えない。

何故、この小さなビール会社に戻ったのか?

若い頃にイメージしていた“ヤングエグゼクティブ”みたいな仕事とはずいぶん違う(そもそもヤングではないが)。“取締役”だの“マーケティング責任者”なんて名刺を作ってみても、実際の仕事内容は、受注業務、宅配便の荷造り、POPのパウチ、備品のお届けだ。最近はフェイスブック、X(ツイッター)、インスタグラムというお誂え向きのメディアができたので有効活用しているが、社長になった今でも、写真を撮り文章書くのは自分だ。もちろん受注業務もパウチもやっている。

それでもだ、

素敵なお店に巡り逢うのが楽しい。
人に巡り逢うのが楽しい。
友人が応援してくれるのが嬉しい。
そして、何より、自分が創り出した「GARGERY(ガージェリー)」だから

まさしく、自分の子供だから。

だから、ここに戻ってきた。

ガージェリー・エステラ(樽詰)

時代は移っても、ストーリーは変わらない

さて「僕はこんなにガージェリーを想っています」と書いてみたが、実際のところ別所はガージェリーを7年半も離れていた。その間、当社は大手の資本を離れたことによる自由もあったが、ビジネス的には困難の方が大きかった。設立当初は4名だった社員数は、2008年から2012年まではたったの2名。2013年に大手小売企業から転職してきた座間が加わってやっと3名体制になった。佐々木がよく守ったものだと思う。

その7年半の間に、当初は樽詰だけだったガージェリーに瓶の3種類が加わり、東京限定も解除して日本全国に広がった。(樽詰の品質のこだわりは前述したが、瓶詰の瓶内熟成という別のこだわりについてはこちらの記事に譲る。)

ガージェリー瓶三種(ブラック・エックスエール・ウィート)

一方、世の中は2012年頃からクラフトビールという言葉が使われ、様相が変わり始める。

2002年当時は四苦八苦していた地ビールメーカーの一部は大きく成長、設備投資をして増産体制、海外展開を果たしたところもある。新しい会社も中小次々に立ち上がった。大手ビール会社は”クラフトビール”の会社を立ち上げ、一方で最大手クラフトビール銘柄の委託製造を受け入れ、その会社に資本を入れる。湧き起こってきたこのムーブメントをうまく利用しようと力が入る。さらに2018年の酒税法改正でビール・発泡酒の定義が変わったこともあり、極小の(発泡酒)醸造所が爆発的に増え、以前は300弱程度だった醸造所数は2023年には700にもなり、もはや個人で全ての銘柄を追える状況ではなくなってきた。

実際のところ、ガージェリーはこのムーブメントにはほとんど乗っていない。特別に意図しているわけではないが、クラフトビール特集の雑誌には掲載されないし、各地で開催されるイベントに出店もしない。確かに様々なビールに対する興味を持つ飲食店や消費者が増えたことで営業はしやすくなったし、取り扱い飲食店でもリコメンドしやすくなったという声を聞く。しかし、ガージェリーのコンセプトは、今の日本における多くのクラフトビールの受け入れられ方とは、かなり違ったところに軸足を置いている。そして、このコンセプトを変えるつもりは全くない。

飲み手の人生に寄り添うブランド、
自分だけの大切な時間を彩る、
こころまで満たすようなビール。

飲食店限定、醸造所からお店に冷蔵直送、
バーテンダー、ソムリエ、飲食のプロがサーヴする、
いつも変わらずそこにあって、長く愛されるビール。

この10年で新しいビールを1つだけ送り出した。

長らく樽2種と瓶3種だけだったところ、4番目の瓶商品となる。

Great Expectations(グレートエクスペクテーションズ)
瓶内熟成のバーレーワインだ。
ブランドのことを語ると長くなりすぎるのでこれも別記事に譲りたい。

さて、最初に3名だけでやっているようなことを書いたが、ここまでの内容でお気づきの通り、この記事の一番の要となる考えは、想いを込めたビールを美味しく飲んでいただくためには、自分たちだけの力では及ばないところが大きいということだ。お店までビールを届けることができても、お客さんの口元までは運べないから。

最後の最後の数メートル数センチはお店の人に託す。

だから、僕らは街へ出る。

バーテンダー、ソムリエ、フロアスタッフの方々に会いに行く。

お客様の前で、ガージェリーが花のように咲いていることを願いながら。


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