ボツ1ステップ父さん

没1の立場で再婚し、2人の子供の継父となって奮闘。そろそろ子育ても終盤戦に差し掛かって…

ボツ1ステップ父さん

没1の立場で再婚し、2人の子供の継父となって奮闘。そろそろ子育ても終盤戦に差し掛かっている50代です。 東京→海外→九州→東京 と移動しながらすでに10回以上の引越しも体験してきましたが、いまだに10年先の居場所がはっきり見えない、ローリングストーンなオジサンです。

最近の記事

子育て奮闘記(絆づくり大作戦)その3

家族旅行と金融教育 ヨーロッパへの家族旅行の際、現地での支払いは現金とカードの両方を半々くらいで乗り切りました。 ユーロへの両替は空港で行ったので、子供たちもその様子を見ていました。好奇心旺盛で何ごとにも興味を持つ2人は、当然マネチェンにも興味津々なわけです。 そこで、簡単に外国為替のことを説明して、為替相場や円高のこと、それから手数料のことなどについて話をしました。 はじめにこの話をしたので、€の値札を見たときには、自分でおおまかな円換算をしていましたし、現地で一度だけ

    • Book Review『瞬時に「言語化できる人」が、うまくいく。』

      著者:荒木俊哉 氏 世の中には「言語化」本がたくさん出ていて、なんとなく興味を持っていたのですが、立ち読みしたという妻からも読んだらプラスになりそうな本だと勧められたので、購入して読んでみました。 一言で言って「買って損なし」の本でした。あとからAmazonの口コミも見ましたが、かなり数の高評価がついています。 (私の場合、口コミは、質よりもまずは数に注目することにしています。今回の場合は平均のポイントも高かったです。) 本の内容を紹介しますと、 人間は誰しも出会った

      • 子育て奮闘記(絆づくり大作戦)その2

        オランジュリーと折り紙 旅行記その2 パリ篇 13歳と11歳のこどもたちにとっては、ヨーロッパ旅行は大冒険でした。 日本を離れる前に、「海外は危ないから」と聞いたことを重く受け止めていたお姉ちゃんは、常に家族のそばから離れぬよう用心深く歩いていました。 息子の方はいつも通りのマイペース&人大好き振りを発揮していて、いつも折り紙の鶴を持ち歩いては、コミュニケーションをとった人たちに配っていました。 行きの飛行機でさっそく小トラブルが発生します。 乗り継ぎ後のローマ→パリ間の

        • 子育て奮闘記(絆づくり大作戦)その1

          家族で海外旅行 〜新婚旅行はみんなでヨーロッパへ〜 新婚旅行に家族みんなで行けるのが、再婚ステップファミリーの特権の一つです。 我が家はみんな旅行好きで、せっかくだから思い出作りしたいよね、ということで、小中学生の子どもたちを連れて、最初の夏休みに海外旅行をすることになりました。 それなりにお金はかかりますが、このタイミングで行くことに絶対意味がある、と夫婦の意見が一致したので、しっかり計画することにしました。 妻にはなんといってもヨーロッパに行きたいという想いがあり、

        子育て奮闘記(絆づくり大作戦)その3

          まるで上手くいかなかった子育て

          ステップファミリーが形成され、小学生と中学生、2人の子どもの親に、いきなりなったわけですが、これが全く上手くいかなくて、今から考えると、我ながらあきれるほどです。 いちばんの問題点は、それまでの自分中心の生活を変えられなかったことでした。 たとえば、 ①それまで通り、食事は勢いよく、とっとと食べてしまう。(ゆっくり子どもたちの様子を眺めながら食事を楽しむ、というようなことがない。)❌ ②みんながいるところで、自分の話を妻にしてしまう。(話を家族で回していくことがない。

          まるで上手くいかなかった子育て

          プロフィール

          《好きなもの》 旅行 車 映画 音楽 スポーツ観戦 美術館 詩 歴史 世界遺産 カメラ  など 《これまでの歩み》 東京都の西部、多摩地区に生まれ育ち、大学院を出るまで、自宅暮らしでした。 卒業後、教育関係の職を得るも、一年にして派閥抗争に巻き込まれリストラの憂き目に。 落ち込むひまもなく、東南アジアでの駐在生活に突入しました。 英語が苦手なのにも関わらず、気づけば、その地で7年間を過ごしていたのです。 途中、現地で知り合った日本人女性と結婚しましたが、結婚して1

          再婚 ステップファミリー誕生

          没イチ生活は、もともと縁もゆかりもない土地で、実家からも遠く離れて、暮らす日々でした。 何の因果か、大伴旅人の太宰府時代の亡妻挽歌について、論文書いているという曰くはありましたが……。 仕事は、むしろ好調期の感もあるけれど、外食中心の生活はアラフォーとしてはどうなのか、という思いもあり、 この際、東京に帰ろうか、 とも考えはじめました。 改めて就活をしたところ、東京での仕事は、案外あっさり見つかりました。 ただここで、大きな選択を迫られることになります。 十数年ぶりに東

          再婚 ステップファミリー誕生

          結婚、帰国、そして没イチへ

          東南アジアでの生活も4年にさしかかるころ、縁あって、同じく駐在員であった日本人女性と結婚しました。 お互い30代の前半で、やや遅めながら、今どきとしてはまあありがちな年齢だったと思います。 仕事もそこそこ順調だし、自分の人生も安定期に入っていく流れかな、と思ったのも束の間、そこからちょうど一年経ったころに、彼女が倒れ、検査の結果、ガンが見つかったのです。 現地で急遽大きな手術を受け、ひとまず腫瘍は取れたのですが、再発するかは五分五分と言われました。 身を固めて親を安心させ

          結婚、帰国、そして没イチへ

          リストラされて海外へ

          仕事もないし、専門の研究にそこそこ熱中できてもいたので、浪人したのに大学院まで行くという酔狂な道を選んだ私ですが、大学院を出てすぐに、同窓のツテもあり一本釣りのようなかたちで、ひとまず教育関係に就職を果たしました。 そんなに大きくないところでしたが、せっかく声を掛けてもらったし、ここで頑張るのも悪くないかな、と前向きな気持ちでいたところ、まさかの展開が……。 いわゆる「お家騒動」というやつに巻き込まれて、リストラの憂き目に遭ったのでした。 私を引っ張ってくれた人は、創業

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          バブル弾けた学生時代

          共通テストが行われた今日、自分の学生時代を振り返ってみます。 (写真は改装中でモダンな仮社が立つ太宰府天満宮) 私の高校時代はバブルの真っ最中。 浪人時代にはベルリンの壁が崩壊。 大学に入ると、湾岸戦争やバブル崩壊が起こる。 そんな激動の時代でした 大学に入った頃、就職活動で早々に大手から内定をもらった先輩がいました。 その人は、公務員試験の日に、受験を阻止すべく内定企業が企画した「就職前研修」という名の飲み会旅行に参加し、遊びまくっていました。 文学系の私とはで立場が違

          バブル弾けた学生時代