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再婚 ステップファミリー誕生

没イチ生活は、もともと縁もゆかりもない土地で、実家からも遠く離れて、暮らす日々でした。
何の因果か、大伴旅人の太宰府時代の亡妻挽歌について、論文書いているという曰くはありましたが……。

仕事は、むしろ好調期の感もあるけれど、外食中心の生活はアラフォーとしてはどうなのか、という思いもあり、
この際、東京に帰ろうか
とも考えはじめました。
改めて就活をしたところ、東京での仕事は、案外あっさり見つかりました。

ただここで、大きな選択を迫られることになります。

十数年ぶりに東京に帰る道が開けた、ちょうど同じころに、今の妻と出会いました。
知人の紹介で、彼女の子どもたちの勉強の相談に乗ったのがきっかけでした。
勉強のアドバイスをしたり、一緒に遊んだりする中で、案外打ち解けることができました。

お姉ちゃんがそうしたらどうかと提案したこともあり、最終的には再婚することにまでなりました。

ただ、そうは言っても、結婚を迷う理由がニつありました。

一つ目は繊細な時期の子ども2人にとって再婚はどうなのか、ということ。

もう一つは、寡夫となってまだ3年ほどだったので、さすがに早すぎるか、ということでした。

後者については、子どもの頃から可愛がってくれている叔母の、
「もちろん周囲の人は、『やけにさっさと次に進んじゃって、冷たい奴だ!』と噂するに決まってる。
当たり前だよ。
他人は厳しいし、面白がって悪口言うもんだからね。
でも、そんなの気にしてたらキリがないよ。」
という、ストレートであたたかい言葉に背中を押されて、決心がつきました。

一方、前者については、2人してかなり悩みましたが、せっかくなら子どもたちの成長に関わっていきたいという思いが私にあったのと、何より子どもたちからの応援もあって、結婚することに決めました。

実は、子どもたちも生まれで言えば2人とも東京出身だったのですが、
・妻の実家が九州である
・お姉ちゃんの方が福岡で中学受験に合格していた
・音楽に本気で取り組んでいる弟くんも良い先生たちに恵まれている
などを考慮して、結論としては、九州残留となりました。

なお、すでに子どもたちは一度苗字をかえていたので、またというのはどうかと思い、一度もかえたことのない私が
妻の実家の姓にかえることを選択しました。みんな仲良く二つずつ経験したことになります。

別姓も便利ですが、こうしてみんなで話し合って一つにまとまるのも、チーム感が出ていいのかもしれません。

この流れで、「え〜っ!」と、驚いたのが、私の実家サイドで、これは後で聞いた話ですが、
「目を覚させてきなよ」
と、親戚にも吹き込まれてもいたらしく、ややピリついた感じで母が九州までやって来ました。

ところが、コミュ力が異常に高い子どもたちが、空港のお迎えで、開口一番
「おばあちゃ〜ん!」
と、屈託なくなつきまくり、車でも隣の席を取り合うほどの接し方をしたため、母は押されっぱなしとなり、アワアワすることに。
数日後に見送った際には、涙の別れみたいにもなり、結局、100%懐柔されて帰っていったのです。

こうして、今の家族との生活が始まりました。

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