見出し画像

結婚、帰国、そして没イチへ

東南アジアでの生活も4年にさしかかるころ、縁あって、同じく駐在員であった日本人女性と結婚しました。
お互い30代の前半で、やや遅めながら、今どきとしてはまあありがちな年齢だったと思います。

仕事もそこそこ順調だし、自分の人生も安定期に入っていく流れかな、と思ったのも束の間、そこからちょうど一年経ったころに、彼女が倒れ、検査の結果、ガンが見つかったのです。
現地で急遽大きな手術を受け、ひとまず腫瘍は取れたのですが、再発するかは五分五分と言われました。

身を固めて親を安心させるはずが、相変わらず心配をかけてばかりの人生となったことは、申し訳ない限りでしたね。

とりあえずそこから2年は現地で暮らしましたが、検査などは日本で受けていたこともあり、7年目に入ったところで、帰国を考え始めました。
相手の実家が九州だったので、東京への帰国は選択肢になく、転職のための就活がまた必要となりました。

それで、試験などのために、一時帰国していた夏に、ガンの再発が見つかったのです。

なんと言うか、虫の知らせじゃないですが、帰る準備とタイミングが合ってしまったというのが、なんとも……。

場所も悪く、余命の中央値は20ヶ月とハッキリ言われました。
幸いその時の試験で、翌年からの仕事が決まりましたが、たとえ落ちていても、帰国するしかない立場だったので、ありがたかったですね。

人生の運をどこで使うのか、という点では、いつも大事なところでは救われてると、ポジティブに信じて来ましたが、母からは後年、
「あの状況を『ついてる』と考えているなら本当におめでたいよ」
と言われました。
確かにそうかもしれません。

多方面にご心配をかけながら、7年間の在外生活を終え、九州での新生活をスタート。

実は、海外に渡ったときよりも、九州で働き始めたときの方が、はるかにカルチャーショックを受けることが多かったです。

職場や近所の人たちはあたたかい人ばかりだったので、良い環境の中で自分の乏しい適応能力も、うまく磨かれていったと思います。

「自分は恵まれていると思う」
とあるときそう言ったところ、だいぶ上の先輩から、
「そういう考え方をする人は運が逃げないから、ずっと恵まれた状態でいられる」
と教えてもらいました。

そして、九州で迎える3年目の夏に、私は没イチとなりました。

当時、仕事は順調で、転勤後の職場でも良くしてもらっていましたが、
自分にとっては縁もゆかりもない場所にひとり取り残されてどうなるのかなあ、
漠然とした不安を感じる、40歳目前の私なのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?