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「芝桜」に描かれた芸妓の美しい着物と、18歳の莫迦な私。

18歳の時だった。
友人と京都旅行に行った際、ひょんな事から、愉快な大人たちに一見さんお断りの店に連れて行ってもらうことになった。
深夜に古都の静かな路地へ誘われ、看板もなく薄明かりの中に佇む引き戸を開けると、店の中はカウンターのみの上品な和風の設えだった。

末席にちょこんと腰掛け、カウンターの向こうを見る。着物姿で凛と立つ、美しく気の強そうな女性と目が合った。この店の女将だ。私は圧倒されてどう振舞えばいいのかわからず、うつむくしかなかった。黒く光るカウンターには、自分の丸い顔が歪んで写っている。大きなカウンター全てが、漆で塗られているように見える。まさか、そんなはずはないか……

すると、コトン、と小さな音がして私の前にオレンジジュースが置かれた。
まだ注文はしていない。けれど、私に注文を聞く気はないのだとすぐにわかった。

「子どもが、何をしに来たの?」

そう女将に言われているような気がして、顔を見ることができないまま、小さな声でお礼を言う。目線の行き場を探していると、彼女の帯に宝石が輝いていることに気がついた。よく見ると、目を見張るほど大きな一粒のエメラルドが、帯留全体に施されているのだ。
漆黒のカウンターと、帯に輝くエメラルドのグリーンが、女将の姿を艶やかに引き立てていた。

女将は客に媚びることもなく、お世辞を言うこともない。調子に乗った客は、言葉少なに嗜められる。誰もが彼女に一目置いていて、その厳しさを合わせて楽しんでいるようにも見えた。なんて美しくて厳しくて、強い人なんだろう…親や親戚、学校の先生とは全然違う、これまで出会ったことのない女性がそこにいて、私は畏怖の念を持って大人たちの会話に耳を傾けるしかなかった。

それから10数年経ち、「着物好きにはたまらない本よ!」と有吉佐和子の「芝桜」を勧められた。

舞台は戦前から戦後の東京。正子と蔦代、正反対の性質を持つ二人の芸者の人生が描かれている。芸者の暮らしには当然のように着物が寄り添っていて、仕事着としての着物をどのように着こなしていたのかが伺い知れる。正子が素晴らしい旦那(パトロン)を持って見習いの雛妓から芸者としてデビューする時の着物は

一尺六寸五分という津田家のしきたり通りの袖丈(中略)重い縮緬を青だちの黒に染めて、紋は津川家の流水を白く抜いてある。
たっぷりとした裾一面に数個の久寿玉が華やかに五色の房をもつれさせてひろがっている。一つ一つの久寿玉には梅、桜、紅葉、菊、牡丹の模様が全部刺繍で重なり盛り上がり、見事という他はないような贅沢な仕上がりだった。お披露目に総刺繍とは何年ぶりかと箱屋も感嘆して…

合わせる帯は

 帯は三越で三百円という値段の多彩な牡丹を織り出した唐綴れ。これを締めるのに女の内箱では心もとないというので、土地に最古参の箱屋に頼んで来てもらった。

刺繍が豪華すぎて、分厚いから女性の手では着付けができなかった程だということか。

このように、折々に日本髪の結い方や着物の着付け、着物の柄行きや織り、色、染めやについても詳細に描写されている。
白生地の反物を二人で分けて、それぞれの好みやセンスでどんな色に染めて仕立てるかで全然違ったものになったり、それをどんな色に染め替えていって長く楽しんでいくかというTIPSも面白い。また、八掛に惚れた男の模様を入れたりするエピソードは、現代の乙女にも通じるものがある。ファッションは、いつも細部に女の想いがふんだんに込められているのだ。

作者の有吉佐和子は、花柳界にも精通していたので、きっと芸者たちの生の声やエピソードを反映させながら書いていたのだと思う。昔の着物の贅沢とは、こんなにも凄いものだったのか!と、画像を調べながら、着物についてのイマジネーションを膨らませて一気に読んでしまった。

現代の庶民には想像がつかない話だけれど、描写がリアルな分だけ、貧しい家から売られてきた少女が芸者になるという文化があったのだと再認識する。芸を磨き、教養を磨き、パトロンを見つけて稼いで借金を返す。どんなに成功しても、芸者の人生はパトロンに左右され、華やかな一方で、影のような哀しさがつきまとう。

「芝桜」を読み終わって、ふと、京都で見たエメラルドの帯留めを思い出した。
大人たちはあの時、「女将は昔、祇園で人気の芸妓だった」と言っていなかったか……? 当時はまるで意味がわかっていなかった。
なぜ、あんなエメラルドの帯留めをしていたのか。どうやってあの店を構えたのか。まさかと思ったカウンターは、本当に漆塗りだったんじゃないのか。登場人物たちと女将の人生が、次々と頭のなかでリンクしていき、胸が詰まった。

時代は変わり、もう「芝桜」ほど厳しいものではなくなっていたはずだ。女将がどのようにして花柳界に入ったかは知る由もないけれど、これまで一体どんな人生だったのかと思いを馳せる。あの場に紛れ込んでしまった小娘に対する厳しさは、華やかで厳しい世界を生き抜いてきた女性から「貴女はここに来てはいけないよ」という優しいメッセージだったのだと、今になって気づいたのだった。

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