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【Noterとしての私】

ー読み手から、書き手になるということについてー

【Ⅰ】書き手になる、一歩先へ


はじめまして、ゴロウと申します。

私のTwitterやnoteでのフォロワーさんは、ツイートや記事を既に読まれて、お分かりになるだろうかと思いますが、私はとにかく読書が大好きな人間です。

好きなジャンルはと言いますと、文学、漫画、ビジネス書、専門書、学術書となんでも読む、いわゆる雑食系であります。

これまで、Twitterやnoteの方では私自身については大雑把にでしか触れてこなかったと感じ、改めて自己紹介させて頂く事でより、私についてフォロワーさんを含め、この機会に多くの方々に知ってもらいたいと思い、この記事を書こうと決めました。

まず、この記事のタイトルで記しました通り、noterとはなんでしょうか?
まずは、noterについて簡単にご説明します。

noterについて調べますと、noterとは、noteを書いている人の事を指す言葉であるみたいです。

私も一人のnoterとして、これまでたくさんの記事を書いてきて多くの方々に読んでもらえた事はとても光栄な事であると感じています。

同時に、Twitterやnoteでの感想も頂ける事でより近い距離でコミュニケーションが取れるというのは、大きなメリットであり、これはTwitterやnoteならではの大きな特性であると思います。

Twitterを始めてから、読書好きな方々との共感出来る読書談義や何気ない日常会話のやりとり。

毎日、交流がある人との会話や初めてフォローしたり、フォローバックしたりした事で繋がりが生まれ、現在も仲良くさせてもらっている方々からの温かいメッセージなど。

そういった繋がりの中で、私はたくさんの出会いや発見を通して現実では経験出来ないような価値を手に入れる事が出来たと実感しております。

私にとっての‘‘書くこと’’の第一歩というのは、Twitterから始まったと言っても過言ではありません。

Twitterを始める前の私は、完全に読む専門のただの読書好きに過ぎませんでした。

ですが、ここから私の‘‘読み手’’から‘‘書き手’’になるまでの物語が始まりました。

‘‘読むこと’’から‘‘書くこと’’を通して、私の価値観は大きく変わりました。

自分の感情や思考を整理し、‘‘書くこと’’で自分を成長させる事が出来るものだと私は考えています。

‘‘読むこと’’でしか気付く事が出来ない学びもありますが、‘‘書くこと’’でしか得られないものもあります。

私はこれまでで、‘‘読むこと’’や‘‘書くこと’’の喜びをTwitterやnoteで再確認させられ、ある‘‘一冊の本’’と運命的な出会いがありました。


【Ⅱ】一冊の本との出会い


‘‘書くこと’’を意識し始めた私が、これだけは毎日続けてきた事があります。

それは、Twitterによる日々の出来事のツイートです。

ツイートに関しましては、今までに数回ぐらいでしかツイートをしなかった事はなく、どんなに話すネタがなくてもとにかく、何かしらのツイートをする事を心掛けてきました。

それは、‘‘おはようございます’’や‘‘おやすみなさい’’といった一言、それだけでも構わないという事です。

どうしても、何か無理してでも話さなきゃと思って話そうと思っても、なかなか難しい事だと感じます。

それは、自分に対してハードルを思いっきり上げすぎてしまっている事が原因だと考えられます。

考え過ぎず、‘‘ご飯を食べて美味しかった’’こと、‘‘仕事が疲れた’’ことなど自分で意識しなくても、無意識的にも感情は吐露出来るものであると私は感じます。

ですが、思った事をそのまま素直に吐き出す事はあまり良い事だとは思えません。

大切な事は、自分が日々の日常での出来事をしっかりと噛みしめ、感じたこと、考えたことなどを人に公開する前にメモか何かに取ってから、その記したメモを文章化させて、それは読んだ人にとって不快に感じさせてしまわないかを大前提に、吟味する必要があると思います。

こういった‘‘書くこと’’の継続、習慣として取り入れている私にとっては‘‘書くこと’’は呼吸をしたり、お腹が空いたらご飯を食べたり、眠たい時に寝たりと、1日の中でのルーティンワークとして捉えています。

そんな中、私が日々読書をしていく過程で‘‘ある本と運命的な出会い’’を果たしました。

それは、いしかわゆきさんが記された『書く習慣』という本であります。

『書く習慣』は、書くことをこれから始めようと思っている方や書くことを今も楽しく行っている方にとっても、とても刺激になるし勉強になる素晴らしい本であります。

私が以前に‘‘書くこと’’をテーマとして、いしかわゆきさんの『書く習慣』を軸に記事を記したものがあるので、ぜひ『書く習慣』と私の記事を合わせて読んで頂けたら幸いです。

【参照】↓

こちらの記事は、おかげさまでたくさんの方々に読んで頂けて大変ありがたく思っています。

‘‘書くこと’’をテーマに、これほどの長めの文章を書いて、この記事を書き終えた時は大きな達成感がありました。

『書く習慣』についてと、‘‘書くこと’’の魅力につきましては前述の【‘‘書くことの本質について’’】で、私の考えを整理し、まとめ記しましたので、まだ読まれていない方がいれば、ぜひ読んで頂けると嬉しいです。

たった、一冊の本との出会いによって自分の人生を大きく変えてくれる力があるという事を再確認させられたといってもいい、感銘を受けた一冊だと感じています。

この本との出会いによって、私は‘‘書くこと’’がより好きになりました。

‘‘書き手’’すなわち、noteを書き続けるnoterとして、あるいはクリエイターとして、私は私の書いた文章をこれから先も大切にして、一人のnoterとして少しずつではありますが、成長していきたいと思いました。


【Ⅲ】‘‘読む人’’、‘‘書く人’’としての私 


私にとって、読むこと、書くことについては明らかに違うものであるという事に実感があります。

【Ⅰ】で記しました通り、私は書く以前は読む専門の人間でありました。

読書をすることで、他人の価値に触れて、自分にはない価値との出会い、発見と学びがある事が読書の魅力の一つであると思います。

感情や思考を言語化されたものは、私たちに大きな価値を与えてくれるものだと考えています。

読書論や本を積ん読する事、そして趣味としての読書の話など、そういった考えを私はエッセイとしてまとめました。

ぜひ、こちらの記事をお読みになって頂ければ、読書の有意性に触れる事ができ、本を読む事の楽しさに気付くきっかけになると思うので、ぜひご興味があれば読んで頂けると幸いです。

【参照①】↓

【参照②】↓

【参照③】↓

こちらで、記しました記事に関しましては、私なりの読書の魅力を自分なりの言葉で、まとめ記したものとなっています。

‘‘書くこと’’以前に、‘‘読むこと’’でさえも現代の私たちにとっては難しく思われるのも無理はないと思われます。

私たちは、自分がどういった本を読むべきなのかは誰も教えてはくれないものです。

誰かがオススメしていた本を読み、それが自分にとって求めていた本であり、運命的な出会いがある事もありますが、それは稀なケースであるという事として頭の片隅に入れて置いた方が良いように思われます。

読み手側にとって本を読む時、その本が合う場合と、合わない場合があります。

自分の感性と、他の人の感性というのはどうしても、違いがあると私は思うのです。

同じ本を読んで、読んだ人と意見を交換し合ったりして価値を共有し合う事は素晴らしい事であると思います。

なので、‘‘読む人’’にとって大切な事というのは、読む立場である自分が本当に好きな本を何冊も読むという事がこれまで読書が好きでこれた証であると感じています。

全ては、‘‘読む人’’に誰もがなるということから始めるということ。

‘‘読む人’’というのは、いつからでも、誰でもなれるものだと私は考えています。

まずは、‘‘読む人’’である自分に誇りを持つ事で自分を急激に成長させる効用があると思います。

大切な事は、‘‘心の底から読書を好きになること’’です。

そして、‘‘書く人’’について私がnoteを始めてから最初に投稿したものと、改めて投稿したものはまだ、拙い文章だと感じられる自己紹介記事が2つあり、それと私がnoteを始めた具体的な理由について記した記事もありますので、ぜひとも読んで頂けるとnoterとして活動を開始した私の全体像が浮き彫りになって私について理解して頂けるのではないかと思います。

【参照①】↓

【参照②】↓

【参照③】↓

これらの3つの記事を番号順に通して、‘‘書く人’’としての私の考え方についてはご理解してもらえたのではないかと思います。

‘‘読む人’’と‘‘書く人’’である私の存在は同一ではありますが、読書という行為、書くという行為の私というのは別であると私は捉えています。

現在の私は‘‘読む人’’であり、‘‘書く人’’であります。

私にとって、本を読む事で書くという衝動に駆り立てられる。

逆の場合ですと、文章を書く事で読むという衝動に駆り立てられます。

読むということと、書くということとは表面上では違って見えるだろうと思われます。

しかし、読むことと、書くことには、見えない糸があってそれは繋がりがあるという認識を持つようになりました。

‘‘読む人’’、‘‘書く人’’である私はどちらを止めようと思っても、私の中の潜在意識としてある読書欲と創作欲の2つが複雑に絡み合っている為、これからも読書と執筆を意欲的に続けていくだろうと思います。

それは、何故か?

何故、そういった見えない糸が複雑に絡み合っているのか?

それは、本心から‘‘読むこと’’も‘‘書くこと’’も好きだからだと思います。


【Ⅳ】noterについて、考える


私が読むこと、そして書くことについて定義した過去にツイートしたものがあります。

こちらのツイートは、私が以前から考えていた事を簡略化させまとめたもので、ぜひ読んで頂けたら幸いです。↓

ツイートを踏まえて、本=テキストというのは、自分以外の他者の思考を切り取った貴重な産物であります。

書店や図書館に行けば、あらゆる分野に精通した専門家の思考に触れられます。

思考にただ、触れるだけではなく私たちは書くことで学んだ思考を別な思考へと創造させる必要があります。

noteにおける、あらゆる記事はプロ、アマチュアの方々の思考の切り抜きが集まっています。

そういった思考の切り抜きをたくさん、読むことで思考の根源に触れられ、そこからnoterとしてのクリエイターは新しい思考の切り抜きを生み出していきます。

クリエイターは、クリエイターの書いた記事を読み、クリエイトします。

現代に生きる私たちは、手軽に創作物を公開させる事が出来るようになりました。

これは、noteという一つの世界がnoterという存在を生み出す為に設けられたクリエイターの楽園といっても過言ではありません。

小説家や映画監督、ライターなどの専門的な仕事に属する人にとってはnoterとしての位置付けは低く見られるかもしれません。

しかし、noterはnoteを使ってオリジナルの創作物を生み出していきます。

noterには、noterにでしか出来ない役割というものがあると私は考えています。

これまでのクリエイターさんたちが記した記事の中には、文章力が突出して到底自分には書けない記事と出会った時というのは、悔しさと共に憧れの気持ちが私の中で湧き上がります。

noterとして、これから私は私の信じた文章を書いていき、多くの方々に何かしらの価値を与えられるような偉大なクリエイターとしてのnoterになるのが夢であります。

読むことで、言葉に触れられる一時が愛しくて、書くことで自分の中の気持ちが整理され、心がたくましく成長していく感覚がとても好きです。

ーこの先も、私は書き続けていきます。


【Ⅴ】私から、皆さんへ


最後まで、お読みになって下さりありがとうございました。

今回の自己紹介記事を通して、私はこの先も皆さんからの温かい支えによって書き続けていく事を誓います。

これから先、私にとって文章を書き続けるという事というのは自分を成長させ、磨いていく上で必要不可欠な存在であるという事を再確認させられました。

noteに出会えて、そして皆さんに出会えた事は本当に良かったと思いました。

これまで、私の記事を読んで下さったnote、Twitterでのフォロワーさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

本当に、ありがとうございました。

これからも、よろしくお願い致します。





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