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【旅エッセイ77】生野銀山のアイドルたち


朝来市の生野銀山へ行ったことがある。

歴史のある銀山で、今から1200年も昔の西暦800年頃から銀を採っていた記録があるのだとか。

日本最大の銀鉱脈があり、徳川幕府の財政を支える貴重な銀山だったけれど、ついに1973年に閉山され、千年以上続いた銀山の歴史に幕を下ろした。

以降、生野銀山は史跡、観光名所として活躍を続けている。

私が行ったのは夏の暑い時期だったけど、銀山の中は一定の温度で涼しい。銀山一年を通じて湿度・温度が変わらないらしく、ワインや日本酒の貯蔵も行われていた。

銀山の歴史を紹介する資料館や、当時の銀山内での様子を再現する蝋人形が置かれている。

鉱山での仕事は過酷で命の危険が伴う。何かの小説で、過酷な江戸時代の鉱山の様子を読んだ覚えがあるけれど、膝まで水に浸かった状態で休みなく働くとか中腰で石を取り除き続けるとか粉塵で肺を悪くするとか、健康な人でも数年以内に死亡してしまうような過酷な環境だったらしい(キチンと調べていないので、現実にそれだけ過酷だったのかわからない)

でも、生野銀山の蝋人形とそれに付随する説明を呼んでいると、当たり前だけど決して楽な仕事ではなかったのだろうなと思う。
 色々な歴史があるんだな、と思いながら生野銀山を後にした。

それから数年後、友人と「生野銀山に行ってきたよ」と話になった。
すると友人は言った。

「生野銀山と言えばギンザンボーイズだよね」

ギンザンボーイズ? まったく聞いたことのない名前に困惑する私に、友人は続けて言った。

「アイドルだよアイドル。生野銀山に居たでしょ?」

まったく生野銀山と結びつかない『アイドル』という言葉。
友人が生野銀山で撮った写真を見せてもらう。 
するとそこ映っていた。

『超スーパー地下アイドル GINZAN BOYZ』を紹介するパンフレットと、彼らのプロフィール。

『次郎羅茂(じろうらも)は空と太陽を愛する、イタリア系フェイスの掘大工。暗い洞窟内での作業に耐えられず、露天掘り職人になった。銀山を訪れるお客様にとっては最初に出会う職人。常にフォトジェニックなポーズを意識している』

『太郎羅茂(たろうらも)は次郎羅茂の兄。信心深く恥ずかしがりやで、口癖は「穴があったら入りたい」。振るったノミのあとはお経になり、掘り進んだ岩は必ず仏像になってしまうことから、いつしか「生野のミケランジェロ」と呼ばれるようになった』

……などなど。総勢60名。友人の撮る写真に写っていたのは地下アイドルとして売り出された「蝋人形」たちの姿。

銀山の様子を再現していた60体の蝋人形にそれぞれ名前とプロフィールが与えられ、アイドルに仕立て上げられていた。
しかもPV付きでCDまで出している。
 
いったい何故こんな力の入れ方を。
少なくとも私が訪れた数年前は、真面目な史跡、当時の様子を伝える貴重な銀山跡だったはずなのに。お堅い「史跡」だけでは観光名所として売り続けられなかったのだろうか。

理由はどうあれ、地下アイドルとして売り出されて蝋人形たちは第二の人生(?)を満喫しているように見えた。

銀の鉱脈、史跡、そしてアイドル。

写真は、時代に合わせて姿を変えてたくましく生き続ける銀山がまだ真面目な「史跡」だった時代の、銀山の入り口を撮った一枚。

写真を撮った時は、まさか数年後にこの場所に地下アイドルが並ぶことになるとは思いもしなかった。


また新しい山に登ります。